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花の歌、剣の帰還  作者: 天谷あきの
エピローグ
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エピローグ(2)

 マーシャが出してくれた軽食を食べながら、心が落ち着くのを待った。今度の軽食はたまごをたっぷり使った甘いプリンだった。冷たくて、滑らかで、とても美味しい。ほろ苦くてごく僅かにだけしょっぱいカラメルソースがまた、とても良く合うのだ。


 それを食べ終える頃、また来客が来た。次にやって来たのはエルヴェントラとリック、ガルテと用心棒たち、それから流れ者たちだ。入ってきたのはエルヴェントラだけだったが、入口の外から代わる代わるわいわい声をかけてこられると、なんだか動物園の珍獣にでもなった気分である。


「体調はどうだ」


 エルヴェントラは単刀直入にそう言った。舞はマーシャが運んできてくれたお茶をひと口飲んだ。とても美味しいお茶だとは言え、そろそろお腹がたぷたぷである。


「だいぶいいです。……長いこと留守にして、すみません」

「そんなことは気にするな。無事に帰ってきて、何よりだった。……ところで、体調の悪いところ申し訳ない。折り入って頼みがあるんだが」


 エルヴェントラはそう言って、頭をかいた。舞は驚いた。この人がこんなに途方に暮れて見えるのは初めてだった。

 眉を下げて、彼は言った。


「ニーナを説得してくれないか」

「ニーナを? 何か――」


 ありましたか、と、訊ねようと思った矢先。

 入口で賑やかに声(野次?)をかけてきていた流れ者や用心棒たちが、ぴたりとその声を止めた。

 その向こうから聞こえてきたのは、ニーナの声だ。


「すみません、通して通して。舞!」ばーん、という擬音付きで、ニーナが戸口に現れた。「来た来た、来たわよ! また寝ちゃう前に読まないと後悔するわよ!」


 手にした紙片を振り回しながらきびきび入って来たニーナは、体調不良もすっかり治ったらしく元気満々だ。舞はエルヴェントラをじっと見た。彼は懇願するように舞を見て、それから声を上げる。


「ニーナ。今姫とも話し合っていたのだが――」


 ニーナは足音も軽やかにこちらへやって来ていたが、エルヴェントラの発言に唇を尖らせた。ふたりの間では、既に何度も話し合われた事柄だったらしい。


「やだまたその話なの? 何遍言ったらわかるの、ゲルト。これはあたしが行かなきゃいけないことなの、わかるでしょう?」

「あなたの言い分はわかる。わかるが、姫とグウェリンが行くというのだから、ついでに取ってきてもらえばいい話ではないか」

「そういう問題じゃないのよ、もう! 舞からもなんとか言ってやってよ、もうゲルトったら本当に頭が硬いんだから!」

「姫もグウェリンもニコルも、半日も過ごさなかったのに出てきたら半年経っていたと言うじゃないか! その間――」

「巡幸が出来なかったらどうするって言いたいんでしょう、でもね、あたしが病で伏せっていたときは神官兵が代わりをしてくれたのよ。いざとなったらそれをまたお願いすればいいことじゃないの。ねえ、舞もそう思うでしょ?」


 何が? というのが、舞の正直な感想だった。そこへマーシャが割って入った。はいはい落ち着いて座って座って、とニーナが促され、ニーナも大人しく椅子に座る。マーシャの手並みは本当に鮮やかだ。


「ニーナ様。まずは姫様の承諾を得てから話を進めるのが筋というものではありませんか」


 マーシャが穏やかに窘めて、椅子に腰を落ち着けていたニーナははっとしたようだった。


「そうだわ! まだ承諾得てないんだった。ごめんね舞、わけも説明せずにわいわい騒いで。あの、舞。あなたの身体を治すのに【人魚の骨】を取りに行くって、言ってたじゃない? 少し体調が戻ったらすぐ行くって」

「え……うん」舞は座り直した。「え、ニーナも一緒に行くって、こと?」

「そうそう、そうなの。あたしね、そうしないといけないと思うのよ。だって【人魚の骨】って、歪みを遮断する石なんでしょう? ねえ舞、覚えてる? エスメラルダの周りに【壁】が出来つつあるという話」


 舞は記憶を探った。ガルシアの警告を思い出す。


「うん。……進行してるの?」

「そうなの、デクターと神官兵が色々と調べてくれていたんだけどね、結構な速度で形成されつつあるんですって。ガルシアの話では、その内すっかり取り囲まれて、寒くて人が住めなくなる、出入りも出来なくなるって、ことだったでしょう。エルヴェントラは巡幸が終わったら引っ越しの準備をしなければならないって、考えていたみたいなの。

 でね、あたし、考えたのよ。【人魚の骨】を使えば、できてしまった【壁】に穴をあけることだってできるんじゃないかなって!」


 舞は少し考えた。

 そして、声を上げる。


「……ああ……」

「ね、ね、いい考えじゃない? 【壁】に穴を開けて空気を通せば、空気が固まって冷えることだってなくなるはずよ。そりゃちょっとは寒くなるかも知れないけど、これなら引っ越しをせずに、エルギンの厄介にならずに、国民みんながまた元どおり、エスメラルダの中に住めると言うことになるわ。いい考えじゃない!?」

「うん……試してみる価値はあると思う」

「でしょでしょ! だからね、舞、お願い。あたしも一緒に連れて行って!」


 エルヴェントラの視線を頬にびしびし感じる。どうか一緒に説得してくれと、祈るような視線だ。

 舞は咳払いをひとつした。エルヴェントラの立場では、反対しないわけにはいかない、その理屈はとてもよくわかる。これ以上この人の胃に穴が空いては気の毒だ。やれるだけやってみようと言葉を探した。


「……あのね。あたしが行くんだから、ついでに多めに取ってくるよ?」

「それじゃダメなのよ、もう。舞も説明してあげなきゃわからないの?」


 ニーナは腕組みをして、じっと舞を見た。舞はちらりとエルヴェントラに謝罪の視線を投げた。出来るだけやってみたけれど、これは無理そうだ。こういうときのニーナには説得は通じないと言うことは、長いつきあいでよくわかっている。

 何しろ彼女がこれから言うことは、正論に決まっているからだ。話す前からそれがよくわかる。


「あたしはエスメラルダの王女でしょう。国の人たち皆に守られて、大事にしてもらっているでしょう。だからあたしには、国民全員を大事にする義務があるの。エルギンを見ていてよくわかったわ。守られているだけじゃダメなのよ。みんなが幸せに暮らしていけるような環境を整える義務が、あたしにはある。巡幸はもちろん大切よ、アナカルシス中の国民があたしを待ってる、それは間違いないわ。でもね、それってちょっと本末転倒じゃないかしら? あたしの大事な国民たちが住むところをなくして引っ越しをしなければならないような状況なのに、他の国の人々のために巡幸を行うなんて。巡幸はもちろんするけれど、まずは自分の足場を固めてからよ」

「うん……」

「それに、【壁】ができるっていうのは、考えようによっちゃとても幸運なことだと思わない? 【壁】に自在に穴を開けることができるようになれば、遠い未来、万一アナカルシスの王がまたおかしくなってエスメラルダを占領しようとしたら、【壁】を塞いで閉じこもってしまえばいいの。天然の防壁になるのよ、そうしたら、もうずっと安心して暮らしていけるわ」

「はい……」

「それを実現できる手段があるなら、無駄足になってもいいから、やってみる価値は充分あると思うの。で、それは他ならぬあたしの義務だわ! だからあたしが行く! 今までみたいに舞にだけ背負わせたりしないわ、だってあたしはもう、病気じゃないんだもの。ほら、完璧な論理展開だわ! 反論できるならやってみて頂戴!」


「ふふふ」舞は思わず笑った。「反論なんか出来ないよ、ニーナ。完璧だもの。いいよ、一緒に行――」

「じゃあ私が行く」エルヴェントラが口を挟んだ。「なにもわざわざニーナが行くことはない。国を守るのは私の勤め、」

「横取りしないでよ、エルヴェントラ! あたしが考えついたのよ! 巡幸の手配だの各地のお偉いさんとの折衝だの、あたしにできるわけないじゃない!」

「だが、だが、万一危険があったらどうする!」

「危険なんか起こるわけないでしょう、アルガス=グウェリンがついてるのよ。もちろんあなたがそれで安心するなら神官兵にも護衛に付いてもらうし、ビアンカとデクターも誘おうと思うの。もし良かったらデリクを雇って来てもらえば――」


 ニーナは振り返り、戸口でにんまりしているデリクが、ぐっ、と親指を立ててみせる。用心棒や流れ者たちはゲラゲラ笑っている。ニーナはまたエルヴェントラに向き直って、「ほら!」と言った。


「【アスタ】の用心棒がついてきてくれるのよ、危険なんか起こりようがないわ!」

「だが人魚がいるんだぞ!」

「何言ってるの、当たり前でしょ!? 人魚の骨を取りに行くんだから!」


 ふたりの言い合いを止めたのは、やはりマーシャだった。


「はいはい、面会時間は終わりですよ、エルヴェントラ」


 マーシャはニーナの味方らしい。さっさとエルヴェントラを立ち上がらせて、さっさと部屋から追い出した。「マーシャ!」エルヴェントラが抗議の声を上げるのもお構いなしだ。「お医師様の厳命です。皆さんもほら、姫様のご様子を見て安心しましたでしょう。また今度いらしてくださいね」などと言いながら、さっさと扉を閉めてしまう。流れ者たちがエルヴェントラを囲んでまたげらげら笑う声が、賑やかに遠ざかっていく。


「マーシャ、ありがとう。大好きよ!」


 ニーナがマーシャに抱きつき、マーシャは笑って頷いた。


「ニーナ様のような利発で賢いお嬢さんが、巡幸以外のことをやっちゃいけないなんておかしな話ですからね。あたしを連れて行ってくださるなら、マーシャに否やはありません」

「もちろん一緒に来て! ミネアも連れて行ってあげたいけど、それはさすがにエルヴェントラが可哀想すぎるかしら」


 確かにと、舞も思った。ミネアまで連れて行ったら、エルヴェントラがあまりに気の毒すぎる。


 ニーナはようやく落ち着いて椅子に座り、ずっと握りしめていた紙片を、思い出したように差し出した。


「そうそう、本題を忘れるところだったわ。アイオリーナから手紙が来たのよ」

「わっ」


 舞は思わず身体を浮かせた。

 アイオリーナの立てた作戦がうまくはまって、キファサ船団を壊滅させたと言う報告は既に届いていた。今日来たのは、ニーナが、舞とアルガスの帰還を知らせた手紙への返信のはずだ。


「なんてなんて?」

「ちょっと待って、あたしもまだ読んでないの。読み上げるからね」


 ニーナが手紙を開くと、流麗な筆跡がちらりと目に入った。見覚えのある、アイオリーナのものだ。


「拝啓、ニーナと姫へ。ニーナ、とてもいい知らせをありがとう。今すぐ飛んで行きたいけれど、わたくしは第一将軍としての勤めを果たさなければなりません。ねえ姫、たぶんこのお手紙を一緒に読んでいるでしょう? お帰りなさい、本当に、本当に、あなたがお帰りになって嬉しい。わたくしがどんなに喜んでいるか、見せてあげられないのが残念だわ。知らせを受け取ってすぐにこの手紙を書いているのですけれど、何度も筆を置いて踊り出してしまうためにずいぶん時間がかかっています」


 ニーナはそこまで読んで、ふふふ、と笑った。


「カーディスも喜んでいてよ。キファサの後始末が済んだらすぐに飛んで帰るけれど、たぶんその前にあなたは身体を治しに出かけてしまうのでしょうね。どうぞお気を付けて、そして出来るだけ急いで、帰ってきてください。

 イェルディアはとてもいいところです。とても広くて、賑やかで、色んな顔を持っているわ。遺跡もあるし、楽しく遊べるところもあるし。わたくしはね、今、図書館に近づかないように自分を戒めているところです。一度行ったらあまりの素晴らしさに我を忘れてしまったの。だからキファサの後始末が全部済むまでお預けというわけです。身体が治ったら、絶対に、イェルディアに皆で一緒に行きましょう。皆さんと一緒だったなら、きっと並んでお喋りしながら海を眺めるだけでも楽しいと思います。

 それから、カーディスとわたくしは、政務の合間を縫って、世界一周の計画を練っています。計画が出来上がったらお知らせするわ。きっと素晴らしい旅行になると思うわ!

 ニーナとビアンカの体調はどうかしら? ウルスラに治療してもらったと聞いたから、きっと身体は元気になっているでしょうけれど、怖ろしい経験は心に残るものだから、心配しています。ああ、本当に今すぐ飛んで行きたいわ! 将軍というのは窮屈なものね。実際に剣を握って戦うのはわたくしには無理だから、せめてここにいるだけはいなければなりません。心だけでも傍にいると思ってください。愛を込めて、アイオリーナ=ラインスターク」


 読み終えてニーナは息をついた。そしてその手紙を舞に渡してくれた。受け取って、舞は初めから終わりまでもう一度読んだ。そうして、顔を綻ばせた。流麗な筆跡の向こうに、アイオリーナの微笑みが見えるような気がする。


「返事、書きたいな」


 ニーナが初めにアイオリーナに手紙を書いたときは、ガルテとマーシャから、起き上がって文字を読んだり書いたりするなんてとんでもない、と言われてしまっていたのだった。今はどうだろう、大丈夫だろうか。ちらりとマーシャを見ると、マーシャは次の軽食を運んできてくれているところだった。ナッツと干しぶどう、干しナツメや干した朱桃を細かく刻んだものがぎっしり入ったタルトだ。それを舞の前に置きながら、マーシャは少し考えた。


「まだやめておいた方がよろしいんじゃないですか。目をあまり使いすぎてはいけないとガルテが言っていましたから。それに、それを召し上がったら少し休まれないといけませんよ」

「はい……」

「じゃああたしがまず手紙を書くわね。それで、舞が起きたら、伝言を書き添えればいいんじゃない? それならまだ今日のうちに出せるから」


 ニーナが慰めてくれ、舞は頷く。身体が思いどおりにならないというのはつまらないものだ。


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