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花の歌、剣の帰還  作者: 天谷あきの
間話1 オーレリア=カレン=マクニス
21/251

オーレリア・カレン・マクニス(4)


  *


 数瞬後、あたしは上着を拾い上げて、きちんと着込んで、さっきまで着ていた汚れた服を探って詰め物を取り出して、新しい服に取り付けてある隠しに詰め込んだ。その作業の間中ずっと、娘はまだあたしの剣を持ったまま、黙ってポカンとしていた。


 あたしは自慢じゃないが華奢な方で、声も上手に作ることができる。それに外見だけはどの男も褒めてくれるから、多分予想だにしていなかったのだろう。今まで寝台に引っ張り込んだ男たちは、(ねや)の中で例外なく悲鳴を上げた。それだけ、見た目は絶世の美女そのものだ、ということだ。


 不公平だわ、心は女なのに、それまで鼻の下を延ばしてほいほいついてきた助平おやじにまでなぜ、悲鳴を上げられなきゃならないのよ。


 とにかく支度はできた。ガルテの薬のお陰か、それともさっき冷やした肝のせいか、二日酔いはだいぶよくなっている。出掛けてもまあ大丈夫だろう。汚れた服は丸めて袋にいれて密封し、荷物をまとめて鏡の前に座り、念入りに化粧を直し始めたころ、ようやく娘がうめいた。


「……うわあ」

「世の中には不思議なことが一杯あるのよ」

「全くです……じゃなくて、ええと」


 娘の気配から、あの獰猛な香りはすっかり消え去っていた。毒気を抜かれてしまったのだろう。娘はええと、ええと、と何度かつぶやいてから、


「【契約の民】、だったんだ……」

「まあね。【一ツ葉】だけど、炎よ」

「……至れり尽くせりってわけか。あの、聞いてもいいですか」

「それ、返してくれるならね」


 顎で直刀を示して見せる。まさか従うとは思わなかったが、娘は壁に剣を立て掛けて、手を放した。そして聞いた。


「あなたの彫師は?」

「え、聞きたいのってそれ? 名前? もう死んでるけど」


 娘は心底がっかりしたようだった。


「そうですか……」

「いけ好かないおっさんだったわ。もうちょい若けりゃ楽しかったんだけどさ。あたしが炎を使う時にはいつも性別がばれるようにしやがったのよ、ひどいと思わないー? 腕は良かったんだけどね。ティファ・ルダ陥落の夜に死んだそうよ。えーと後は」

「いえ亡くなってるならいいです……」


 娘はまだ驚愕の余韻を引きずっているのか、それとも彫師の死が残念だったのかは知らないが、まだ少々ぼんやりしたまま部屋を出て行った。あたしは大急ぎで化粧を終え、直刀をきちんと確保して荷物をすべてかつぎ上げ、隣の部屋に飛び込んだ。娘はまだいた。でも間一髪だった。今にも窓から出ようとしていたからだ。


「お待ちなさいよ。お陰で二日酔いもだいぶ良くなったし、一緒に行くわよ」


 窓を押し開こうとした体勢のまま、娘はいった。

「来ないでっていってるのに……もう動けるんだ……ガルテさんのバカ……」

「いや自業自得でしょ。あたしが実は男だから警戒してるってわけ? 大丈夫よ、あたし女には興味ないから。あんたみたいなおぼこい娘に手なんか出したりするもんですか」

「や、そうじゃなくてですね」

「どうしてそんなに厭がるの? あたしの雇い主がデリクだったら受け入れたの? あんた結構見る目がないのね、アルガスは悪い子じゃないわよ」


 といってもアルガスが本当は何者なのか知らないけど。


「そんなことは知ってます。でも理由がない」

「理由?」

「あなたを雇ってくれた理由が分からない。初対面だったのに」


 アルガスの名前を出したらすぐに態度が固くなる。それが不思議でたまらなかった。どうしてアルガスのことを、こうも警戒するのだろう。いい男だと思うのに。ただ、ちょっと秘密主義でちょっと口数が少なくてちょっと笑わなくてちょっと無愛想でちょっと腕が立つだけじゃないか。


「あんたがエスティエルティナだってだけで充分なんじゃないの。あたしもアルガスが本当はどんな仕事してるのか知らないんだけど、ルファ・ルダの【最後の娘】が起ったことを知ったなら、自分の命よりあんたを優先する人間は多いのよ。知らないの?」


 娘は納得いかない顔をしていた。そう、あたしも、アルガスがあたしに頼んだのが、そういう理由じゃなさそうだということはわかってはいた。あたしに頼んできた時の、アルガスの真剣なまなざしを思い返した。この娘に寄せている関心は、並々ならぬもののように思えた。それが色を含んでいるかどうかは、また別の話として。


「あんたが非力そうに見えるとか、一人じゃ何にもできなさそうだとか、そういう理由じゃないわよ」


 何やら考えている彼女にあたしは言った。そして、


「……ん、まあ、そういう理由はちょっとはあるかもね」

「……ひどいな」

「お風呂でぶっ倒れといて偉そうに言わないの」

「あなたに言われても説得力ないです」


 そりゃそうだ。思ったがあたしは胸を張った。


「口答えするんじゃないわよ。とにかく。さっき言ったでしょ、心配されてるんだから素直に喜びなさい。そしてあたしを連れていきなさい。こう見えても、あたし腕は悪くないのよ。黒髪でもないから街に寄ったら買い物だってして来て上げられるし」

「どこの誰だかも知らない人の『好意』とやらを、平気な顔して受けろって?」


 あたしは彼女の顔を見た。そして気づいた。なんてことだ。


「何拗ねてんのよ」

「拗ねてない!」

「いいや拗ねてるわ。じゃなきゃ意固地になってんのね。ああやだやだ、だから女って嫌いなのよ。もっと論理的に生きなさいよ。だいたいあんたが独り旅なんかしてるからいけないのよ、だからアルガスが余計な気を回さなきゃいけなくなったんじゃないの。エスメラルダにはそんなに人手がないの? 【最後の娘】、あんたが起つのをこの国中のどんなに大勢の人が待ち望んでいたか、知らないとは言わせないわよ。あんたが考えることはアルガスが何者かじゃないわ、自分がするべき仕事をいかにやり遂げるかだわ、そうでしょ? 些事にかかずらってないで前を向きなさい前を。そんなことも覚悟せずに起ったの? だとしたら」

「あの人はあたしが何者か知ってた」


 堅い声で娘は言った。


「あたしが一人で出て来たのは、人手が足りないのも確かだけど、それよりまだ顔が知られてないって確信があったから。なのに。一言も話す前から知ってた。あたしが誰なのか――どうして、知ってたんだろう。それがわかるまで気なんか許せない」

「知らないわよ。本人に聞きなさいよ」

「聞いた。事情があって答えは聞けなかったけど。でも」


 娘の顔が歪んだ。眉間にしわが寄った。まるで泣き出す寸前のように。


「すごく傷ついた顔された」

「……あの子が?」

「一瞬だけだったけど。あたしが知らない、と言った時、すごくすごく哀しそうな顔、したの。どうして傷つかれなきゃいけないんだろう? どうしてあたしが、罪悪感なんか覚えなきゃいけないんだろう? 知らない人のはず――なのに」


 ああ、それでか。

 あたしは微笑んだ。


「それで、拗ねてるんだ」

「拗ねてない!」

「はいはい、わかったわかった。……でも不思議ね。ホントに知らないの?」

「知らないもん」

「もん、て何よバカね。よく考えたの?」

「考えた……だってあんな印象的な人、一目見たら忘れない」


 まあそれは同感だ。

 娘が意固地になる気持ちは分かるような気がした。知らない人だ、と言ったら傷ついた顔をされて、自分が忘れているだけなのだろうかと不安になって、でも疑念も拭えずにいるところに、こっそり護衛など手配されたら、素直に護衛を受け入れるのはなかなか難しいかもしれない。あたしはため息をつく。


「まあ……あたしに言えるのはアルガスが、相当覚悟して護衛を頼んだってことだけなんだけど」

「……なんですか、それ」

「あたし嫌われてんの。アルガスに。半年以上口を利くどころか、目を合わせてももらえなかったの。あたしに借りを作るなんて、ホントは絶対厭だったと思うのよ。だからこないだは驚いちゃった。どうした風の吹き回しか、ってね」


 娘は黙って聞いている。あたしは憂いを目に含ませた。


「あたしからすりゃ、嫌われてないだけあんたが羨ましい」

「……」

「だからあたしは女が嫌いよ。女ってだけで充分なんだもの。あたしの方がずっといいのにな。美人だし腕も立つし経験豊富だし優しいし可愛いし。……でも嫌われちゃってんの。心は女なのに、体が男だから……仕方ないんだろうけど」


 娘が、少し、哀しそうな顔をした。あたしの憂い顔に絆されてしまったらしい。ふふん、ちょろいわね。これはいけるかも。あたしは睫を伏せる。


「だから嬉しかったのよ。この仕事、絶対やり遂げてあげたいのよ。あんたのためじゃないわ、アルガスのためによ」

「そんなに嫌われてるんですか……?」

「かなりね。同じ建物に足を踏み入れない程度には」

「そんなに? 体が男だってだけで?」

「ああ、ううん、怒らせるまでは、避けられてなかったんだけどね」

「怒らせた、の?」

「そ。大したことしたわけじゃないの。ちょっと薬盛って寝込みを襲おうとしただけ」

「……」


 娘は長々と沈黙した。あたしはさらに頬に憂いを乗せる。


「――それだけよ」

「そりゃ……ええと……嫌われると思うな……」

「いいじゃないねえ、未遂だったんだから」

「や……よくないと思うな……」

「まあとにかく。あんたの護衛にはあたしが一番適任でしょ。炎持ってるし腕はいいし、あたし女に興味ないから女の護衛には絶対安全よ。アルガスもそう判断したから、あたしに借りを作ってまで頼んできたのよ。……男の護衛だったら絶対頼まれなかったわね、あはは」

「それはそうだろうなあ……」

「さあさあ、すっかり日も昇っちゃったし、朝ご飯食べに行きましょ。あたしは食べない方がいいだろうけど、食堂までお供するわよお嬢様」


 にこやかに言ってやると、娘は嘆息した。あたしは心の中だけで、にんまりと笑った。

 どうやらなし崩しに同行することに成功したようだった。


   *


 それでも、朝食にありつけたのは、それからしばらく後のことだった。

 まず街の中央にある通信舎に、手紙を取りに行ったのだ。それが空振りだったので、そのまま宿に逆戻りして、食堂へ来たというわけである。娘は山ほどの食べ物を前にぱくぱくぱくぱく食べていて、あたしはおっかなびっくりスープを飲んでいた。飲んでも吐き気は襲ってこない。ガルテは本当に腕がいい。今度会ったらお礼を言っておかなくちゃ。


「手紙が来るまで動けないってわけね?」


 ぱくぱくぱくぱく食べ続ける娘にちょっと呆れてあたしは聞いた。一体この細っこい体のどこにこんなに入るのか、不思議に思うほどだった。二日酔いじゃなくてもこんなには食べられない。若いってすごいことだ。


「そうです」


 もぐもぐもぐもぐ食べ続ける合間に娘が頷く。あたしも頷いて、


「それで、どこまで行くのあんた」


 聞いてみたが、これには返事がなかった。まだ諦めていないらしい。往生際の悪い娘だわ。こりゃ、目を離したらすぐに撒かれてしまいそうだ。今日の午後まで動けないなら、一眠りしたいんだけど、やっぱり無理だろうか。

「じゃあ名前は? なんて呼べばいい? 偽名でいいわよ。これからまだしばらく付き合うんだから、うわべだけでも仲良くしましょ。撒いても無駄だってことはわかってるわよね? あたし、オーレリア=カレン=マクニス。オーレリアって呼んでね、さんもいらないわ。苦しゅうない」


 娘はふてくされたような顔であたしを見た。これにも答えないかと思ったが、ややして言った。


「……エルティナ」

「エルティナね、了解。しかしひねりのない偽名ねえ。まいっか、覚えやすくて。とにかく、あたしの仕事はあんたが無事に目的地にたどり着いて誰かの庇護下に入るまで。もしくは魔物に一度襲われるまでね」


 娘の咀嚼が止んだ。


「一度?」

「そ。あのねあんた、魔物を舐めちゃいけないわよ。アルガスの役には立ってあげたいけど、あたしだって命は惜しいもの。一度襲われてもたぶん撃退することはできるわ。相手が油断してるし、炎があるからね。でもあんたのそばにいるこのあたしが【契約の民】だとわかったら、一度撃退した魔物は今度はあたしに狙いを定めるでしょうね。だから一度だけ。一回こっきり。魔物に【契約の民】だとばれたらそこでおしまい。あたしは頑張ってどこまでも逃げるわ。悪く思わないでね。アルガスにもそれでいいって言われてるから」

「わかりました」


 咀嚼が再開した。もぐもぐぱくっもぐもぐ、相変わらず気持ちのいい食べっぷりだ。ぱくっもぐもぐぱくっもぐもぐもぐもぐ、ごくん。そして言いにくそうに言った。


「……あの、護衛代って幾らくらいなんですか? 安くはないですよね? 一回こっきりとはいえ、魔物が相手になるわけだから。でも……鈴ひとつなくして嘆いてたくらい、金欠だと思ったんですけど」

「相変わらず苦労してんのねえあの子。あたしが幾らでも養ってあげるのになあ」

「それはいいから」

「決まってるでしょ。体で払ってもらったの♪」

「ぶっ!」

「やだ、汚いわねえ。冗談よ、冗談。決まってるじゃないの」

「ううう……全然冗談に聞こえない……」

「今回の報酬はお金じゃないわ。これよ」


 あたしは貴重品入れに大事にしまっておいた報酬を取り出してエルティナに見せた。一般の人はまず知らないが、【契約の民】なら、なんとしても手に入れたい垂涎の品だ。親指の先ほどの大きさだが、これだけあれば一財産にはなる。


「リルア石……」


 エルティナが呟いた。あたしも頷いた。


「そ。知ってるのね。これだけあれば五回は契約に使えるかな。どこで手に入れたんだか知らないけど、今は本当に手に入りづらくなってるのよねえ。あたしは後はもう風が手に入ればいいんだけど、残りを知り合いに売ればしばらくは遊んで暮らせるかしらね」

「彫師に当てはあるんですか?」


 娘が聞いた。どうやらこの子は彫師を捜しているようなのだ。


「デクターに頼めば彫ってもらえると思うわ」

「デクターさんかあ……」

「あらデクターも知ってるの? ま、【アスタ】にいたんだから当然か。あの子可愛いわよねえ。アルガスとはまた違った感じで、美少年って感じでさあ。アルガスみたいなしっかり系もいいんだけど、デクターみたいな護ってあげたい系もいいわよねえ」

「……今度は背中にでも彫られればいいのに」

「やなこと言うわねえ、あんた」


 あたしは言ったが、なるほど、とも思った。

 デクターならやりかねない。可愛い顔してなかなかえげつない男なのだ、あれも。


「あの……そのリルア石をね、アルガスに返してもらうってわけにはいきませんか」


 更に言いにくそうにエルティナが言った。あたしは素っ気なく首を振った。


「却下ね」

「同じくらいの額の、お金を支払います。あたしがあなたを雇うから、アルガスとの契約を破棄してはもらえませんか」

「まーだそんなこと言ってんの。はっ倒すぞこのくそガキ」

「うわあ」

「どうしてもアルガスに借りを作るのは厭ってわけ? バカねあんた、男に恥をかかせるんじゃないわよ。アルガスに今さら返したって受け取るわけないでしょ。あたしだってそんな無様な契約、絶対、厭。この辺は流れ者の美学ってやつだから、あんたにはわかりづらいかも知れないけど」

「……」

「一度交わした契約は命に代えても守るものよ。そうでなきゃこんな稼業やってけないわ。あたしをお払い箱にしたきゃ、さっさと目的地につくことね。その上であんたがどうしてもアルガスに借りを返したいと思えば会いに行って返せば? そして罵倒すれば? 余計なことしやがってばかやろーとか言ってひっぱたいて帰ってくれば? そこまでは止めないわよ」


 言ううちに腹が立ってきて、その効果でかお腹もすいてきた。あたしは席を立って、自分の分の食事を取りに行った。その隙に姿をくらますかとも思ったのだが、エルティナは黙って待っていた。空っぽになったお皿を見つめて、呟く。


「お代わりしようかな……」

「どうぞどうぞ。それも止めないわよ。どうせ午後まで動けないんだからお腹いっぱい食べて休んでおきなさい。それでちょっとは太りなさい。もっと肉つけないと触り心地が悪いったらないわ」


 憎まれ口を叩いてやると娘は真っ赤になった。今朝のことを思い出したのだろう。ついでにあたしの性別も思い出したらしく、


「やっぱ一緒に来るなー!」

「あーのーねー。言ったでしょ。あたし女には興味ないの。あんたなんて薄っぺらくて洗濯板と一緒に寝てるみたいなもんよ、誰が手なんか出すもんですか。もうちょっと成長しないと恋人出来ても嘆かれるわよ」

「何てこと言うんだ! 心の底から余計なお世話だー!」


 ぎゃあぎゃあ言い合うあたしたちを、宿の主人が不思議そうに見ている。

 エスティエルティナと一緒にいるとは思えないくらい、平和な午前だった。

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