間話5-13 エルギン=スメルダ・アナカルシス(13)
「本当に姫にお会いできて良かったわ。わたくしすっかりあの人のことが大好きになってしまったの。わたくしたちね、一緒に雪合戦もしたのよ。こちらでは雪は降ったの?」
「アナカルディアでは降ったそうよ。でもここに来るまでに降り尽くしてしまったらしくて、ここではちらほらとしか降らなかったのよ。まあ、ウルクディアでは雪合戦が出来るほど降ったのね」
「そうなの。こちらのレノアもエニスもルーウェンも、みんな一緒に大騒ぎしたの。ここでも雪が降ったらいいのにね。わたくしひとつやってみたいことがあるの。雪の多いところでは、雪を集めて小さな家をつくるんですって、それどころか中に火鉢を持ち込んで温かいものを料理して食べたりするって、本で読んだことがあるのよ。これだけ大勢のお友達がいれば、きっと立派なお家が作れてよ。ああでも、そんなに雪が降ったら行軍が大変になってしまうわねえ。戴冠式が済んだら、すぐに王宮へ進軍するんでしょう?」
「そう。全部済んで、王宮の明け渡しも済んだ後なら、みんなでゆっくり遊べるわね。アイオリーナはすぐにラインディアに戻らなければ駄目かしら? エスメラルダにはあまり娯楽もないんだけれど――ああ、そうだわ」ニーナは目を見開いた。「あたしったらうっかりしてた。ねえ、カーディス王子に会いたいでしょう? ここから少し離れた、エルギンの家にいるの。一休みしたら――」
と、アイオリーナはぽっと頬を染めた。ビアンカはさらにアイオリーナに親近感を抱いた。なんだか、可愛いかも。
アイオリーナは俯いて、お茶に匙を入れて意味もなく混ぜた。
「……邪魔しちゃいけないと思うわ。だって忙しいでしょう」
「カーディス王子はそうでもないはずよ」
「戴冠式はもう数日後に迫っているんでしょう?」
「そうね、明後日がちょうど冬至だし、舞の手紙によれば、もうすぐそこまで帰って来てるらしいの。明日の夜か、明後日の朝には着くんじゃないかしら? だから、冬至に合わせるんじゃないかと思うわ」
「まあ、王妃を無事にお迎えできたのね? 本当に良かった。じゃあそれまで、カーディスの邪魔はできないわ。カーディスはね、エルギン王子が起ってくださるのを、本当に待ち望んでいたのよ。長いこと仮面を被って来たんですもの、今はそちらに集中――」
「失礼いたします」マーシャが顔を出した。「カーディス王子殿下がお見えですが、お通しいたしましょうか?」
「――!」
なんて絶妙な到着だろう。噂をすれば、というやつだろうか。
ビアンカはマーシャの仕事ぶりに更に舌を巻いた。いないと思っていたら、お茶を配ってすぐに、エルギンの家へ知らせに行っていたのだろうか。アイオリーナは立ち上がって頬に両手を当てた。
「だ、だめ、わたくしったらこんな格好で――」
「気にしないと思うわ」
「気にしないと思う」
ニーナとビアンカが同時に言い、ニーナはさらにマーシャに言った。
「お通しして頂戴」
「待って! こここ、心の準備が……!」
うわあ可愛い人だなあ、とビアンカは思わずにっこりした。エニスと目が合った。エニスは主の取り乱しぶりに、浮かべかけた笑みを必死で押さえ込もうとしていたようだが、ビアンカと目が合ったことでその努力が無になってしまったようだ。その可愛らしい顔から笑みがこぼれて、エニスはアイオリーナの肩に手をかけた。
「大丈夫です、アイオリーナ様」
「大丈夫じゃないわ、だって、は、半年振りなのよ!?」
「そうなんです、半年振りなんです」
入り口でカーディスの声がした。彼は一同を見回してにこやかに挨拶をすると、アイオリーナを見て、微笑んだ。
「久しぶりだね、アイオリーナ」
「カーディス……!」
アイオリーナは頬を染めて入り口の若者を見つめた。きゃあ、とビアンカは声を上げそうになった。美男美女だ。物語に出て来そうなふたりの半年ぶりの再会だ。
カーディスはアイオリーナに歩み寄ると、
「綺麗になったね」
単刀直入に言った。わずかに首を傾げて、
「だから痩せなくていいと言ったのに。こんなに綺麗になられたら――王の交代がちゃんと済むまで求婚できないんだから、それまで僕はもう、心配で夜も眠れないじゃないか」
「か、カーディス!?」
「君はただでさえ宝石みたいに綺麗なんだから、外見までさらに綺麗になってどうするんだ」
カーディスはアイオリーナを引き寄せ、アイオリーナが叫んだ。
「カーディスったら――みんなが見てるわ!」
「見てないわよ~。どうぞご遠慮なく」
オーレリアが言ってくるりと後ろを向いた。ビアンカも慌ててそれに倣った。やはり後ろを向いたデリクがオーレリアに囁くのが聞こえた。
「綺麗になったら口を極めて褒めるってのは……俺には無理だぜ……」
「なにもあそこまでしろなんて言ってないわよ」
オーレリアが答えた。と、後ろでカーディスがごくごく小さな声でアイオリーナに囁くのが聞こえた。
「苺味だ」
なにがだ。
王子様だなあ、と、ビアンカは思っていた。なんだか本当に、この人目をはばからない辺りが全くもって王子様な感じだ。この人なら温泉などに遊びに行くときに、アイオリーナ姫が仕事に追われていたら、拉致くらいして連れ出しそうな感じがする。しかも白馬で。
「マーシャに頼んでおいてよかったな。あなたのことだから、到着しても邪魔になるからって知らせてくれないんじゃないかと思って、来たらすぐ呼んでくれるように頼んでおいたんだ」
お見通しでした。ビアンカは苦笑した。溺愛ぶりがなんだか微笑ましい。
そろそろ見てもいいんだろうかと思っていると、カーディスが言った。
「お気遣いいただいてすみません。もういいですよ。というか別に後ろ向いてくれなくても良かっ」
「良くありませんっ!」
アイオリーナが叫ぶ。オーレリアとニーナが姿勢を戻したので、ビアンカもおずおずと戻してみると、アイオリーナは真っ赤っかになっていた。カーディスが平然としているのとは対照的だ。レノアは慣れているのか、平然としていたが、エニスは本当に嬉しそうににこにこしていて、ビアンカと目が合うと目配せをして笑った。
カーディスにもお茶とお菓子が配られた。ニーナは悠然とお茶を飲むカーディスを見て、おかしくてたまらないと言うように笑いを堪えていたが、そのうち咳払いをした。
「王が代わるまで求婚できないの?」
「そうなんです。子どもの時に、今よりずっと思い詰めてたときにね、そう決めてしまったんですよ。我ながら融通の利かない子どもだったものですから、誓いまで立ててしまったんです。でもアイオリーナに出会ったときに後悔しました。しまった、あんな誓い立てるんじゃなかったって。だから気が気じゃないんですよ。僕がアイオリーナに首っ丈だってそこら中に言いふらしてあるんで、彼女に言い寄ろうとする男は貴族の中にはいませんけどね、ウルクディアみたいなこともあるし」
「わたくしは安全だったわ」
ようやく気を取り直したようにアイオリーナが言ったが、カーディスは一蹴した。
「冗談じゃない。【最後の娘】を是が非でも手に入れようとすれば、あなたの口を封じようとだってするだろう。ウルクディアのギーナ=レスタナには三人も息子がいるんだし」
「そんなことはなかったのよ、カーディス。わたくしがあなたの許嫁だって、知れ渡っているんですから」
「残念ながら許嫁じゃないからね、まだ。よく調べればわかることだ。姫を諦めるくらいなら、あなたもろとも手に入れようとくらい、しそうな気がしたんだ。夜中に踏み込んで来たりしたんじゃないかなって気がするんだけど?」
「もしそうだったらどうするの?」
アイオリーナが必死で目で訴えるのを見ながらニーナが興味津々と言うふうに訊ね、カーディスはにっこり笑った。
「王宮の前にウルクディアに攻め入りますね。ちょうど第一将軍の兵がウルクディアを包囲していることだし、アイオリーナを拉致したのにウルクディアが関わってたって証拠をでっちあげて」
結構腹黒いぞこの王子様は。
ビアンカは感心した。さすが、長年周囲を欺き続けただけのことはある。
「そんなことなかったのよ、カーディス。大丈夫だった。なんの心配もなかったの、わたくしはこうしてここにいるじゃないの」
アイオリーナが静かに言い、カーディスは苦笑した。だからルーウェン=フレドリックは、夜中にレオナルド=レスタナが踏み込んで来て姫が廊下に蹴り出したことについては、エルギンに知らせなかったのだろうか。そうかもしれない。エルギンも怒っていた。夜中に踏み込んだことを知ったらさらに怒るだろうし、ふたりの王子を完全に敵に回したら、ウルクディアの未来は本当に真っ暗だ。
――俺なら家財道具一式かついでとんずらする。
イーシャットの声が耳に蘇った時だった。
「でも本当に、無事で良かった。――ニーナ、先程知らせが届きました。イーシャット殿が、一命を取り留めたそうです」
ちょうどイーシャットのことを思い出していた時だったので、ビアンカは本当にびっくりした。そして腰を浮かせた。ニーナは硬直している。ビアンカは手を伸ばして、ニーナの肩をつかんだ。
「ニーナ!」
「……もう大丈夫だそうです。そろそろ姫とも合流してるころじゃないですか。まだ動かすには支障があるでしょうから、分岐点の集落までゆっくり移動して、そこで養生するのがいいだろうって、兄上たちが話していましたよ。助かって良かった。本当に申し訳ないことをしました。さぞ、ご心配だったでしょう」
「ああ……」
ニーナは顔を覆った。多大な努力をして、激情を押し殺したのが分かった。
しばらく経って、うめいた。
「ありがとう……」
「どういたしまして。ヘスタ一味も捕まえましたし、後は戴冠式を滞りなく終えて、王宮に攻め込むだけです」
「ヘスタ一味って?」
アイオリーナの問いに、カーディスはビアンカをみた。ビアンカは、ニーナがしばらくの間余韻に浸っていられるようにと、身を乗り出して、アイオリーナにヘスタのことを説明した。【アスタ】の中に裏切り者がいたことと、それがティファ・ルダの名を騙っていたことと、それを昨日、全員捕まえた、と言うことを。
アイオリーナは聞き終えて、感心しきった様子だった。
「まあ……大変だったのねえ」
「いえあの、デリクとデクターと、ニーナと、オーレリアが、助けてくれたから」
「それでも、皆さん全員、無事で良かったわ。その、イーシャットという方を襲ったコルネリウスに加え、四人を捕まえたのね?」
「ファルジェリオ=ルジヘスタ、ケヴィン、ドーリッシュ、ジェイル。ひとりずつそう名乗った」とカーディスが言った。
「ティファ・ルダで遺体の見つからなかった、マイラ=アルテナ姫以外の全員が捕らえられたのね。それなら、もう、何も問題はないのかしら」
「そう願いたい。今は地下牢にほうり込んで、ルファルファの神官兵ががっちり見張ってる。戴冠式が済むまで閉じ込めておく。だからもう、何もできないはずだ。鈴も取り上げたし」
「彼らは、戴冠式で、何かするつもりだったのかしら?」
カーディスはうなずいた。
「エルヴェントラが一晩かかって聞き出した。鈴を使って魔物を呼び込んで兄上を殺すつもりだったって。危ないところだった」
「本当ね……」
アイオリーナはカーディスを見上げた。ビアンカはドキドキした。さっき、カーディスが来る前に、アイオリーナは言っていた。カーディスは長いこと、エルギンが王位を継ぐのを待ち望んでいたのだ、と。アイオリーナもきっと、アルガス以外ではただ一人だけ、カーディスがそう望んでいたことを知っていたのだ。たぶん随分長いこと。
その瀬戸際に足をすくわれるところだった。もしヘスタを野放しにしていて、戴冠式でエルギンが殺されていたら。カーディスはどんなに辛かっただろう。アイオリーナのカーディスを見る目には、その心情が溢れているように思われた。
と、カーディスがアイオリーナの手を握って、ひょい、とその頬に唇をつけた。
「!!!」
「……そうならなくて本当に良かったよ」
「ひ、人前でっ」
「だから頬にしといたじゃないか」
「そういう問題じゃありません!」
わーもう好きにしてください。ビアンカはまたエニスと目配せをして笑った。




