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花の歌、剣の帰還  作者: 天谷あきの
第九章 再会
130/251

再会(8)

     *



 三階にはひとけがなかった。部屋をひとつひとつ覗いてみたが、どこもかしこももぬけの殻だ。

 一番端の部屋、舞がヴェガスタと一緒にアルガスを見、ヒリエッタに追い払われた部屋まで来た時、アルガスが追いついて来た。舞はホッとし、フェリスタが早速憎まれ口をたたいた。


「随分長いこと捜してたな」

「暗くてなかなか見つからなかった。……三階は無人のようだな」

「うん。でもちょっと待って。この前ここに来た時に、ヒリエッタが、『ここはわたくしの部屋ですわよ』って言って、あたしとヴェガスタを追い出したんだ」


 舞は言って、中へ入った。中は真っ暗で、すぐに、フェリスタとアルガスの燭台が追いかけて来てくれた。窓辺に立ち、窓を開く。あの時と同じ景色が目の下に見えた。ヴェガスタが陰に舞を押し込んだ緞子も変わらずにある。ああ、とアルガスが言った。


「あの時入って来たのはヒリエッタだったのか」

「そう。でもシンディが、ヒリエッタの部屋は違う場所だって言ってた。間違えたなんてことがあるのかな。この隣は――」

「王妃の執務室だ」


 アルガスは言い、執務室がある方の壁を照らした。緞子をかき分けて、


「持っててくれ。何かある」


 舞に燭台を手渡して、両手を差し入れた。ごとん、と壁の一部が動いた。程なく戻された手には、丸い透明な宝石のようなものが握られていた。


「あ、それって……【アスタ】のヒリエッタの部屋にあったっていう石とそっくりだね」


 今は背嚢の中に入れたまま、外の流れ者たちに預けて来てしまったが、あの時アルガスが見つけて来てくれた、どことなく干からびた感じのする石とそっくり同じもののようだった。違うところがあるとすれば、これはそれほど干からびて見えない、と言う点だ。アルガスに手渡されたそれを、舞は手の中で捻くり回した。リルア石が使われていることは明らかだ。つまり、魔力を用いて使用する何らかの仕掛けだと考えていいだろう。舞は燭台をアルガスに返し、アルガスの持つ燭台の明かりにそれを翳した。――やはり、これは、それほど干からびては見えない。


「……光の加減だろうか。少し印象が違うな」


 アルガスが言い、舞は頷いた。「あんまり干からびた感じがしないね、こっちは」


「何が満ちてるんだろう」


 アルガスがそう言った時、舞の手の中で、その石が“溶けた”。

 舞は瞬きをした。石の形は変わらないのに、なぜだろう、一瞬、石が液体に形を変えて流れ出したように見えたのだ。呼吸を整えて、もう一度、今の印象をなぞるようにした。――と。


『――取り逃がしたようだ』


 唐突に低いがらがら声が流れ出て思わず声を上げた。フィガスタが覗き込んできた。


「ヴェグの声じゃねえか。なんだ、そりゃ?」

『面目ねえ。だが牢からかき消すように消えたんだ。どうやったんだかさっぱりわからねえ……』

「これ……」


 舞は思わず呻いた。アルガスが言う。


「この隣は、王妃の執務室だ。隣の会話を保管することができる石――なのか?」

『……しょうがないわ。腐ってもルファルファの娘だもの、アナカルディア近辺にも、まだ彼女の手足となりたい人間は大勢いるのでしょうから。ひと晩中ご苦労様、休んで頂戴』


 ヴェガスタの声に応えたのはアンヌ王妃の声だ。

 この部屋は空いている、と、デボラが言っていたのに、ヒリエッタはここに入ってきた。そして、隠れていたヴェガスタと舞を追い払った。この部屋にどんな用があったのか、その理由が、この石にあるのに違いない。王妃の執務室で交わされた会話――デクターが推察してくれたことを思い出す。


 ――そばで聞こえる音を吸収して保存しておく。これならまあまあ小さくてもなんとかなる。ただ保存できる時間はとても短いよ。長くても半刻かそこらじゃないかな……


「これを使って……ヒリエッタは、【アスタ】で……ビアンカとあたしの話をアルベルトに伝えた……」


 でも、と、舞は思った。この石が回収されず、ここに放置されたままになったのはなぜなのだろう。

 と、石から流れ出るヴェガスタの声が険を含んだ。


『休んでるわけにゃいかねえんだよ』

『どうして?』

『ディスタ伯爵家のご令嬢――ヒリエッタ=ディスタ。あの女を追い出してくれ。休むのはそれからだ』

『……どうして?』

『あの女はどうも気に入らねえ。勘――と言やそれまでだがな。【最後の娘】は牢から忽然と消えた。そんな不可解な出来事には、大抵魔物が絡んでるだろう。俺はもう魔物にはうんざりだ。辟易だ』

『あの子が……魔物に関係があると?』

『根拠はねえし、ただの勘でしかねえ。だから俺のワガママだと思ってくれていい。なあ、あんたなら舌先三寸であの女を円満に叩き出すことなんざ朝飯前だろ。頼むよ。……あの女がここに居座るんなら、俺ぁ胃袋に穴が空く前に、あんたを麻袋に詰め込んで草原に引きずって帰る』


 アンヌ王妃はしばらく黙っていた。舞もアルガスもフェリスタも、それから、声だけのヴェガスタも、何も言わず、王妃が結論を出すのを待っていた。

 ややして、王妃は囁いた。


『あの子が魔物に関係があるなら……【最後の娘】が消えた出来事や……シルヴィアが消えた出来事や……色々なことに、関わっているのだと、したら……』

『したら?』

『追い出さなくてもきっと、朝早くに暇乞いに来るわ。もう夜明けね……あと数刻の辛抱よ』

『来なかったら?』

『そこまで愚かじゃないと思うの。……と言うか。クレイン=アルベルトがまだヒリエッタに利用価値があると考えているなら、朝になったらすぐにここを出るよう伝えているはず。暇乞いに来ずにここに留まるようなら、利用価値がなくなったと見なされたか、それとも、初めからヒリエッタは魔物になど関わっていなかったか――どちらかじゃなくて?』

『そういうもんか?』

『どうかしら……まあとにかく、朝食まで待ちましょう。それであの子が言いだしてこなかったら、政務に出かける前に何とか追い出すわ。あの子は悪い子じゃないけれど、あなた方の胃袋に穴を開けてまで、あの子をここにいさせてあげるほどの義理はないもの』

『今フィグがあの女を見張ってる。これ以上好き勝手されねえように目を離すなっつってある。出るっつったらアナカルディアを出るまで見張りを付ける。それでいいか?』

『構わないわ。……フィガスタは』声がとても柔らかくなった。『あんなに怒っていたのに、今はもう、あなたの指示に従って動くのね。和解が速やかに済んで、何よりだったこと』

『……弟だからな。草原の弟は兄には逆らわねえ。そう言うもんだ』

『娘っ子、か。……娘っ子さんの行く道が、平らかであるといいわね』


 ヴェガスタの声が苦笑をはらんだ。


『何言ってんだか、さっぱりわからねえよ』


 会話はそこで途絶え、舞の手のひらの上の石は沈黙した。ヒリエッタはこの石を置いていったのではなく、回収できなかっただけなのだと、舞はぼんやり考えた。フィガスタがヒリエッタを見張っていたから、王妃宮を出る前に、この部屋に立ち寄る隙がなかったのだろう。ヒリエッタは王妃の予言どおり朝食もそこそこに暇乞いに来た――のだろう、あの日の朝にすぐに出かけたとデボラが言っていたような気がする。ヴェガスタとフィガスタはヒリエッタがアナカルディアを出るまで彼女を見張っていた。王妃は政務に出かけ、その間に、舞はたっぷりの朝ご飯をもらい、お風呂も借りて、洗濯までしてもらった。


 王妃はそれをわかっていた。そして、黙認してくれていたのだろう。

 舞は黙ったまま、沈黙したその石を、脚衣の隠しにしまった。ここに来てからまだふた月も経たないというのに、事態はこのときには想定もしていなかった様相を呈している。あの時は綺麗で居心地の良かった王妃宮も、まるで別の場所であるかのように静まり返っている。


「しかし……」フェリスタが気を取り直したように言った。「王妃はどこにいるんだかな。出てった感じもねえんだよなあ。執務室には飲みかけの茶器が残されてた。飲んでる途中で急いで席を離れたって感じでよ」

「……」

 アルガスは何も言わなかった。けれど、舞と同じことを考えたのが分かった。


 もう王妃が連れ出されていたとしたら。

 お茶を飲みかけたとき、兵が乱入して来て、それで――


 遅かったのだろうか? ウルクディアで、あの晩、アルガスが『このまま出るか』と言ってくれた時に、やはり出ておくべきだったのだろうか? ウルクディアへの謝礼は後回しにして、王妃を迎えに行ってから改めて訪問して、礼を尽くしても良かったのではないだろうか?


「捜そう」


 アルガスが言い、舞はうなずいた。今更言っても仕方のないことだ。王妃は一度舞の手を――表向きは――拒んだ。だから最善の手を打たなければならなかった。ウルクディアへの謝礼を踏み倒している状態で、自分に後ろ暗いところのある状態で、万全の態勢ではないのに迎えに行ったとして、どんな不都合が起こるか予測ができなかった。だからああするしかなかったのだと、自分で良くわかっていた。わかっていたが、でも、何か取り返しのつかない失態を犯したのではないかという不安は、振り払おうとしてもなかなか去らなかった。




 二階へ下りた時、廊下の向こう端、やはり階段のある場所から、物音が聞こえた。アルガスとフェリスタが燭台を吹き消した。辺りに闇が落ちる。ふたりがまた、まだ背負っていた背嚢をそっと降ろそうとしたときだ。


「兵じゃねえな。誰だ?」


 低く、落ち着いた、しわがれた男の声がした。


「……ヴェガスタ!」


 ほっとしたあまり、悲鳴じみた声が出た。駆け寄ろうとしたが、それはアルガスに止められた。アルガスとフェリスタは黙ってまた燭台をつけ、舞はヴェガスタが近づいてくるのを、じりじりしながら待っていた。けれどヴェガスタは近づいてこなかった。廊下の端にたたずんだまま、しばらく考えているようだった。


「まさか」押し殺した声が聞こえた。「【最後の娘】か……?」


 さっきのあの石に封じられたヴェガスタの声と、確かに同じ声なのに。まるで何年も経ったかのように、嗄れた声だった。


「ヴェガスタ、アンヌ王妃は? 今度こそ、エスメラルダに来ていただこうと、思って、迎えに来ました」


 そう言うと、ヴェガスタは再び沈黙した。舞は呼吸を整えた。ヴェガスタが生きている以上、王妃もまた生きていて、ここにいるだろうと、確信が持てた。

 それなのにヴェガスタは、どうして近づいてこないのだろう。


「来てくれたのか――約束、どおり」


 ヴェガスタの語尾が、一瞬だけ震えた。

 咳払いをして、次に聞こえた声は平静だった。


「ありがてえ。感謝するぜ、【最後の娘】。ふたりのお供は誰だ? ひとりはグウェリンか?」

「そう、んでもうひとりは俺だ、このくそボケが」


 フェリスタが言う。ヴェガスタは初めて笑った。


「こりゃあ……懐かしい声を聞くな。え? こんな場所で何してるんだ、はな垂れ小僧」

「うるせえこの飲んだくれ。手間かけさせてんじゃねえよ」

「全くだ。はな垂れ小僧に迎えに来られるようじゃ俺もおしまいだな」


 ヴェガスタはまた笑って、居住まいを正したようだった。舞は身じろぎをした。どうして近づいてこないのだろうとまた思った。


「王妃は近くにいる。呼んでくるから待っててくれねえか」

「え、でも、」


 ここまで来たら同じことだ。呼んで来てもらうのを待つよりも、こういう場合、王妃のいる場所へ案内してもらう方が早いし、筋ではないだろうか。舞は足を踏み出した。


「一緒に――」

「来ねえでくれ」


 悲痛な声がした。フェリスタが舞の隣でいぶかしそうに首を傾げた。


「ヴェグ?」

「いろいろ準備があるんだ。グウェリン、出口はどこだ?」

「王子の部屋だ」


 アルガスが答え、ヴェガスタは、また咳払いをした。


「じゃあそこで待っててくれ。すぐつれて来る。本当にすぐだ。大丈夫、今度は嫌がってもぶん殴って引きずって来るからよ」

「待って、ヴェガスタ。アイオリーナが、アイオリーナ姫が、王妃に手紙を」


 舞は言って、懐を探った。ウルクディアで別れる際に、王妃にこれから会うのなら、手紙を渡してくれないかと頼まれた。少しだけだけれど、あなたの手伝いができると思うわ、と言っていたから、多分口添えをしてくれたのだろうと思う。


「アイオリーナ? あのこまっしゃくれた肝っ玉のいい姉ちゃんか。あんなぼんくら王子にゃもったいねえってかねがね思っていたんだが、あの姉ちゃんの方が見る目があったってことだな。だが加勢はいらねえと思うぜ」

「おい、ヴェグ――」

「すぐだ。王子の部屋で待っててくれ」


 ヴェガスタは言って、階段を駆け降りていった。舞は手紙を握り締め、その手で心臓の上を押さえた。嫌がってもつれて来る、とヴェガスタは言った。ということは生きているはずだ。でも、この胸騒ぎは何だろう。


「行こう。茶を入れられないのが残念だな。汲まれた水があったとしても古いだろうし」


 アルガスが普段どおりの静かな声で促した。その平然とした声に、またほっとした。

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