第960話 「悪の執行」
「オーディン……オーディン・グライト……! まだ生きていましたか! 悪人の分際でのうのうと生きているとは傲慢な!」
クルエルは立ち上がり、標的をオーディンに変えた。クルエルは全人類を敵視しているが、特にオーディンへの殺意は強かった。正義を為すべく殺人を続けるクルエルにとって、『悪』を体現するオーディンは最も忌むべき敵だったのだ。
そしてオーディンにとってもクルエルは倒さねばならない敵だった。『悪党』を名乗って以来、オーディンは『正義の味方』を名乗る者を返り討ちにしてきたのだから。
「道草を食っている場合ではないのだがな。見過ごせまい、これは」
オーディンは地面に倒れる子供達の遺体を一瞥した。こんな惨状を見せられては、無視など出来ない。オーディンの『悪』としての矜持が湧き上がっていた。
「オーディン様! いきなり飛び出さないで下さい」
オーディンの後を、ノーラが追いかけてきた。サジェッタも一緒だ。ドラゴン退治の帰り際、合流した『イーヴィル・パーティー』の面々は次の仕事に向けて移動していた。後始末に近い仕事で、『イーヴィル・パーティー』にとって重要な締めの作業ではあるのだが、それを遅らせてでもやるべき事がここにあった。
「我が輩は悪の味方だぞ。奴の所業が『正義の執行』であるならば、我が輩も悪を執行する他あるまい」
『悪』の抑止力として『正義』は生まれる。そして同時に、『正義』の抑止力として『悪』は生まれる。ならば二人は戦う運命なのだ。
「しかし……と言ってもオーディン様は止まりませんよね。お気を付けて戦って下さい。あの男は竜人。見た所、『ギーレスマッグ』の腕を移植しているようです」
「奴には前にも会っておる。忘れてはおらんぞ」
クルエルとは前にも一戦交えた経験があった。あの時はオーディンの圧勝であった。オーディンにとってクルエルは脅威になる程の相手でもない。
だが、クルエルは負ける気など少しも無かった。今はルナロードから授かった『奥の手』がある。そして何より……クルエルは心から信じている。『正義は必ず勝つ』と。
「おいボス。アタイにも暴れさせな。雑魚トカゲと相手してばかりで体が鈍りそうだぜ。このキモい野郎は骨のある奴だろうな?」
サジェッタは好戦的に鞭を構えた。しかし、オーディンはサジェッタを手で制す。
「ここは我が輩に譲れ。貴様らは邪魔者をここから退かしておけ」
『邪魔者』とは、子供達や地域住民などの一般人の事だ。クルエルとの戦いに一般人を巻き込むのはオーディンの本意ではない。そして、ノーラやサジェッタが巻き込まれるのも。
「ずりぃぞボス! 独り占めかよ!」
「後で秘蔵の酒でも何でもくれてやる。今は我が輩に従え」
「酒さえ出せば素直になるチョロい女だと思うなよ? アタイは肝臓だけで生きてるんじゃねー」
「当たらずとも遠からずだろう。要らんのか?」
「ちっ……。分かったよ。不味い酒だったら承知しねーぞ」
渋々ながらも、サジェッタはここから離れるのに同意した。ノーラと共に一般人を遠ざけるのに専念する。子供達の悲鳴を聞き、既に公園には野次馬が集まってきた所だった。腹や頭を潰された子供を見つけ、住宅街は軽い混乱状態に陥りつつある。このまま人が集まり続けたら、何の表紙にクルエルに殺されるか分からない。
「何ですかその目は……。ワタクシに楯突く気ですか? アナタのような屑が、正義の執行者たるワタクシにいぃぃぃ!」
クルエルは両手から骨の刃を露出させた。腕、正確に言うと腕を構成する部位を増殖させるのが『ギーレスマッグ』の能力だ。腕の骨はクルエルにとって武器になる。
「ワタクシは勝つのです! 一方的に勝つに決まっているのです! ルナロードはワタクシを応援してくれました。えぇ、ワタクシこそが悪人共にとっての試練になると!」
ルナロードが用意したいくつかの『試練』。その内の一つがクルエルだった。人類を『悪』と定義し抹殺しようとする『正義』という名の災害。それがクルエルだ。
「悪党の前に立ちはだかってこその正義ですから。むふふぅー、まさにワタクシに相応しい使命。ワタクシこそ! 悪しき人類を滅ぼし正義を完遂する救世主の器なのです!」
「長々と大騒ぎしてご苦労な事だな。己を鼓舞しているのか?」
「ここまで言って分かりませんか? やはり悪は愚か! 人間は皆自害すべきだと、まだ理解出来ないとは! 罪深い……何と罪深い!」
クルエルは怒りを露わにする。その憎悪は、オーディンからすれば身勝手な感情に違いなかった。
「人は死ぬべきだと? それが正義なら、我が輩は悪を貫こう」
クルエルの殺人は、独善と自己顕示欲に囚われている。その『正義』は、『正義と思われたいがための善行』だ。ある意味オーディンと似ている。オーディンの『悪』は、『悪と思われたいがための悪行』なのだから。
「貫かせるものですか! あぁ、何故アナタのような悪人がこの世に存在しているのです! アナタだけではない、どいつもこいつも悪人しかいない! 人間は、人間は何故生まれた! このような罪深い種族が!」
クルエルはまっすぐ突進し、右手の刃をオーディンに突き付けた。オーディンは刺突を躱し、クルエルの腹を殴る。クルエルは痛みに耐えつつ身を捩り、体勢を整えた。
「抵抗など許されない! 何もせずとっとと死ねば良いのに! 何故ワタクシが……正義のワタクシが痛い思いをしなければならないのです! 理不尽でしょう!」
まるで自分の主張が正論であるかのような言い回しをするクルエル。それが傲慢であると本人は気付かない。人を殺そうとしておきながら、自分の痛みは認めない傲慢に。
「殺したくば殺してみるが良い。だが、侮るなよ」
クルエルがどんな思考をしていようと、オーディンは変わりなく立ち塞がる。
「貴様が葬ってきた『悪人』と、我が輩を同格だと思わぬ事だ」




