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絶え損ないの人類共  作者: くまけん
最終章 人類絶滅災害編
989/1030

第959話 「正義の執行」

 動乱の世でも生活は捨てられない。戦いや仕事に身を置かない子供達は特にそうだろう。戦地から離れた町で子供達は日常を過ごす。だが、それは平和とは言い切れなかった。

「お前の父ちゃん戦死したんだって? 俺の父ちゃんとは大違いだな!」

 ランクトプラスの郊外。一般市民が暮らす区域の公園で、小さな諍いが起きていた。しかし、諍いと呼ぶには一方的な加害だった。

「へへっ。弱虫の親も弱虫なんだな! 俺の父ちゃんはすごいんだぜ! この前の防衛戦で小隊長になったんだ!」

 少年は父親の自慢をしつつ、隣に住む少女を馬鹿にした。少年の取り巻きの子供達も、少女を見てクスクスと嗤っている。この少女が寄ってたかって卑下される光景は、昨日今日に始まった事ではなかった。

「よ、弱虫なんかじゃないもん! なんでそんな事言うの!」

 少女は少年に強く言い返した。普段はどれだけ見下されても我慢してきた少女だが、今回ばかりは看過出来なかった。大好きな父が戦死し、失意に沈んでいた時にこの罵倒だ。許せるはずもない。少女は普段見せないような鋭い眼差しで少年を睨んだ。

「……何だよその目。俺に楯突く気かよ。文句あんのか!? あぁ!?」

 いつものように一方的に言い負かせると思っていた少年は、予想外の反発に不機嫌さを隠さなかった。反論は許さないとばかりに怒声を浴びせる。

「生意気だぞてめえ。弱虫を弱虫って言って何が悪いんだよ!」

「悪いもん! パパはお国のために頑張ったのに、馬鹿にしないで! 謝ってよ!」

「こいつ……! 俺に謝れだと!? ふざけんじゃねえ!」

 ついに少年は少女を殴った。言葉で攻撃する事は頻繁にあったが、手を出したのは久しぶりだった。実際に暴力を振るうとは思わなかった取り巻きは少し驚いたが、ガキ大将の少年に意見する勇気は無かった。取り巻き達が傍観する中、少年は少女の胸ぐらを掴む。

「敵に殺された雑魚よりな、俺の父ちゃんの方が偉いんだよ。つまり俺も偉いって事なんだよ! 雑魚の子供ごときが逆らえると思うんじゃねえよ! あぁ!?」

 ランクトプラス共和国に徹底的に根付いた権威主義は、一般市民の日常生活にも常識として存在していた。「どちらが上でどちらが下か」という意識は常にランクトプラス国民の脳内にあり、上下関係は犯しがたい正義として君臨する。それがランクトプラスという国だ。

「パパは弱くない! お国のために命を懸けた、立派な兵士だもん!」

 たとえ殴られようと、少女は一歩も譲らなかった。自分が馬鹿にされるのはまだ良い。だが、父を侮辱されるのだけは認められなかった。痛みに屈して父の尊厳を無視すれば、きっと遥かに大切なものを失ってしまう。そんな気がしたのだ。

「うるせえ!」

 少年は獣のような声をあげ、少女を何度も殴った。普段は見ないような暴力的な喧嘩の場面に、取り巻き達はたじろいでいた。小馬鹿にするだけなら嗤って過ごせたが、暴行となるとニヤニヤするだけで誤魔化せない。「流石にやりすぎでは」と取り巻き達の誰もが思った。しかし、止められない。怒り狂って暴れる少年を無理矢理止めるなんて、怖くて出来なかったのだ。取り巻き達は少年の近くに群がってヘラヘラ笑う事しか知らなかった。

 少女はろくに抵抗も出来ず、殴られ続けていた。体格や腕力の差もあり、反撃が出来ない。痛ましい傷跡は増えるばかりだ。

 誰か何とかしてくれ、と取り巻きは心の中で願った。動く勇気も見過ごす勇気も無い子供達には、それが精一杯だった。


 その時、公園に血飛沫が舞い上がった。血の噴水は少女の顔を汚す。生暖かい感触が、唐突すぎて理解不能だった。

「あ……ごぅ……」

 鈍い声を漏らして、少年は動きを止めた。顔を刃で貫かれ、ビチャビチャと血を流しながら少年は静かに絶命する。少年の暴行を止めた白髪の男は、口元を歪ませて叫んだ。

「イジメは悪! 故に滅びねばなりません! あぁ、ワタクシの正義は戦乱の世でも輝いているっ!」

 クルエル・ジャストアイスは高らかに笑い、眼鏡を指で押し上げた。殺戮に歓喜し、己の正義に満足し、彼は手のひらから伸ばした白骨の刃を引き抜く。子供達の戦慄で空気は凍り、止まったような時間が流れていた。

 そして子供達の悲鳴が、住宅街の静寂を破った。


「おやぁ? どうして驚くのです? 悪が死ぬのは当たり前でしょう。正義は必ず勝つのですから! あははははははは!」

 クルエルの言葉は子供達の耳に届いていなかった。彼が何者で、何を言っているのかなんて、理解しようがなかった。ただ子供達が思ったのは、「あれは化け物だ」という事。

 それは強ち間違いでもなかった。ドラゴンの力を有した竜人は、人の姿をした魔物のようにも映るだろう。しかもクルエルは『執念の手』の殺人鬼。彼の精神は狂った殺意に満ちている。姿形だけでなく、心までもが常軌を逸していた。

「ね、ねぇ。わたしを助けてくれたの?」

 少女は震えつつもクルエルを見上げた。クルエルは少女の方に視線を向ける。

「んん?」

「あ、ありがとう。助けてくれて。で、でも! 殺すのは駄目だよ! 殺していいのは敵兵と反逆者だけだって、学校で習ったもん!」

 少女はクルエルに言いたい事があった。まずは助けてくれた礼。それと、クルエルの殺人に対する糾弾だ。いくら何でも、殺すのはやりすぎだ。暴行を受け怒りを膨らませていた少女にも、そのくらいの常識はあった。ランクトプラスにおいて、『死んでいいのは敵兵と反逆者だけ』の教えは一般常識だった。

「…………」

 クルエルは無言で少女を見た。そして腰を下ろし少女と目線を合わせた後。

 少女の腹を刺した。

「……え?」

 何故腹に激痛を感じるのか、少女がその理由を理解するのに時間がかかった。刺されてる? 何故? 助けてくれたはずなのに?

「何を何をなぁーにを言っているのですかこの悪人がぁ! ワタクシがアナタを助ける? 思い上がりも甚だしい! ワタクシに糾弾の意思を示すなどさらに烏滸がましい! 悪が、正義に、歯向かって良い訳無いんですよぉ当然でしょうがっ!」

 目を三角にして、眉間にシワを寄せ、クルエルは徹底的に少女の腹を刺した。クルエルの骨で出来た刃が、少女の血で赤く染まっていく。

「はいはいはいはいはいはい死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!」

 クルエルの憎悪は止まらない。クルエルの刃は止まらない。止めるための理性など、彼には存在しないのだから。

 むしろクルエルの殺意は加速する。ヴォルテッシアノ大陸でクロムに敗北して以来、なかなか人を殺す機会に恵まれなかったクルエルは『正義の執行』に飢えていた。

「あっ、あっ、うっ、や、やめっ、痛っ……!」

 少女は短く悲鳴を漏らして抵抗を示す。しかし彼女のか弱い力ではクルエルの殺意には抗えなかった。少女の腹の穴からは細切れの内臓がボロボロとこぼれ出す。公園に真っ赤な血溜まりを作り、やがて少女は動かなくなった。


「あ……うあ……誰か、誰か来て……」

 取り巻きの子供達は、腰を抜かして一歩も逃げ出せなかった。信じ難い残酷な光景が、子供達を恐怖で支配する。失禁して、全身が震えようとも、助けを呼ぶ声は小さかった。

「全く全く度し難い。ワタクシ以外の人間は例外なく悪人。そんなの分かりきっているでしょうに。何故悪人共が己の罪を悔いて自害しないのか理解に苦しみます。あぁ、死なないからこそ悪人なのでしょうね。本当に人間は世界のゴミだ。ワタクシが何としても人類を滅ぼさなければ!」

 クルエルは独り言を呟き、今度は取り巻きの子供達を標的に定める。一歩一歩確実に、彼の定義した『悪』を殺すため近付いていた。

 子供達は助けを欲した。命を脅かす化け物が襲ってきた時、人は『正義の味方』の救助を求めるのだろう。しかし皮肉な事に、その『正義の味方』は既に来ていた。子供達の目の前に、殺意の刃を真っ赤に汚して。

「さぁて、誰から殺して差し上げましょうかねえ!」

 クルエルは腕を振り上げる。彼の気分次第で、子供達の命は容易く散るだろう。クルエルに命乞いなど通用しない。『正義の味方』に助けなど求めようもない。

 助けに来てくれるとすれば、『悪の味方』だけだ。


「子供達を惨殺して、正義の味方ごっこは楽しいか?」

 クルエルの腕は動かなかった。彼の手首を掴む力が、殺意の刃を振るわせない。

「ア、アナタは……!」

 自分の『正義』を阻止する乱入者に、クルエルは見覚えがあった。必ず殺すと決めた相手を、忘れるはずもない。

「久しいな。クルエル・ジャストアイス……とか言ったか?」

 オーディンはクルエルの腕を引っ張り、後方に思いっきり投げ飛ばした。

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