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絶え損ないの人類共  作者: くまけん
最終章 人類絶滅災害編
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第957話 「ウィルスとの駆け引き」

 助けを乞う声が聞こえる。上に立つ者の責任はこういう時に問われる。力無き人には出来ないのだから、力ある者が救いの手を伸ばさねばならない。

 そう決意を抱き、ウォレット・ミカウツは行動に移していた。近々、世界全土が損害を被るような災害が来るとは分かっていた。だから準備はしておいたのだ。しかし、それが十分とは限らない。日に日に増えていく死者が、その証左だった。

「ウォレットさん。患者リストの作成、及び全医療施設への送信を終えました。人員、設備共にまだ余裕はあるようです。この調子で患者が増えても、後2ヶ月は大丈夫でしょうね」

 ウォレットの部下であるハル・バンカーが、指示通りシアノ熱の対策を推し進めていた。ウィルスはルトゥギア国にも蔓延していたが、ミカウツ家の迅速な対応により被害は最小限に抑えられていた。治療や衛生管理においては、この国の右に出る国はいない。衛生団の協力もあり、50年前の『はじまりの日』のような凄惨たる事態には陥らずには済んでいる。

「ご苦労。引き続きミカウツ系列の病院と提携し、管理と伝達に励んでくれたまえ」

 ルトゥギアに帰ってきたウォレットは、真っ先にシアノ熱対策に打ち込んだ。予め全国の病院に情報提供を依頼しておいた甲斐あって、ウォレットの対応はつつがなく進んだ。今はミカウツ家所有の事務所にて報告書類に目を通しつつ、傘下の企業に指示を送っている所である。


 これは『はじまりの日』の再来なのだろうか。またしても人類は絶滅の危機に瀕してしまうのか。

 答えは「否」だとウォレットは断じた。同じ悲劇は繰り返させない。人間は学習する生き物であり、成長する生き物なのだ。50年前の大災害から何も学んでいないはずがない。対策は既に進んでいる。

「ワクチンの開発はどうなっているのかな?」

「予定通りの進捗ですよ。今は実験段階ですが、間も無く世界中にお届け出来ますとも」

 ワクチンの開発。そのために多くの時間と金をつぎ込んできた。既に途絶えたと噂されたシアノ熱ウィルスに、研究費用を用意する企業は少なかった。「そんな病気を研究しても金にならん」と。しかし、ミカウツ家だけは違った。目先の利益に捉われず、シアノ熱の再襲来を予見して開発を進めていた。それが、最終的に最も利益を生む判断だと分かっていたのだ。

 そして現に、シアノ熱は再び人類に牙を向けた。対策を怠った企業や国家は慌てふためくだけで何も出来ないだろう。対策を立て、人類を病魔から守れるのはミカウツ系列の企業なのだ。故に責任は重い。判断を間違えられない緊張に、ウォレットは胸を苦しめていた。

「いい。それでいいんだ。いち早くワクチンを実用化するよ、ハル」

「もちろんですよ! ウォレットさんのおかげで、皆助かるんです!」

 屈託の無い笑顔で言うハル。彼のウォレットに対する尊敬と信頼は本物で、だからこそ賞賛の言葉がすらすらと出てくる。しかし、まだ成果を生んでいない状態での賞賛はウォレットにとって虚しいだけだった。

「……皆、とはいかないかもしれないね」

 事業が円滑に進むとは限らない事を、ウォレットは理解している。最悪の事態を想定しなければ、いざという時に判断が遅くなるだろう。


 50年前のシアノ熱と、今のシアノ熱は違う。それは、調査段階で判明した事だった。

 かつてのシアノ熱は感染速度は遅く、その代わり致死性は凄まじかった。一度感染してしまえば生存確率はゼロに等しい。大した衛生管理も出来なかった50年前の国々では、シアノ熱の感染を止める事は叶わなかった。そのせいで、多くの国が滅んだのだ。

 しかし今のシアノ熱は、感染速度は桁外れだが致死性は低い。数日で世界中に広まった割には、死者が少ないのだ。ウィルスに感染しても症状が出ない者、あるいは症状が出ても命に別状が無い者が大半だった。衛生団が設立され、各国の医療技術も発達した現在では、『新型シアノ熱』は普通の風邪と大差無い。命を落としたのは、一部の体が弱い者だけだった。

 無論、死者が少数だからと言って無視は出来ない。今後死者は増えると考えられる上、今が潜伏期間である可能性もある。この瞬間症状が出なくとも、何年先も安全とは限らないのだ。やはりワクチンの開発は必須だった。

 もしワクチンが完成しなかったら。完成しても、数が足りなかったら。都合の悪い展開は、常に想定しておかねばならない。

「ワクチンが完成したらどんな順番で配るのか決めておいた。君はこれを元に指示を下したまえ」

 ウォレットはマニュアルをハルに手渡した。ハルは書類を軽く読んで、「これは……」と声を漏らす。

 そこには、ワクチンを優先して与える人の条件が書かれてあった。「老人より若者を」「男性より女性を」「労働不可人材より労働可能人材を」等の項目が、あらゆる状況に対応して記載されてある。これは外部に漏れれば差別の誹りは免れないだろう。場合によっては年寄りや男性や働けない人を見捨てろ、と書いてあるに等しいのだから。

 だが言うまでもなく、このマニュアルはウォレットの個人的な差別感情で書かれたものではない。むしろウォレットは理に適わない差別待遇を嫌っており、仕事においてもプライベートにおいても公正を是としていた。理不尽を排する社内環境作りは、ウォレットの部下達からも厚い評価を受けている。

 ならば何故、このようなマニュアルを作ったのか。それは、偏に現実の残酷さを理解しているからである。「公正であるべき」という理念も、時として幼稚な感情論に成り下がり、現実にそぐわない理想と化すと分かっているからである。

「全員を助けられない可能性を、我々は想定すべきだ。優先して助けるべきは、今後の人類社会に多く貢献し得る人材になるのだよ。残る人生が少ない老人よりも、未来ある若者を。人口が減少した場合を考慮し、効率よく人口を増やせるように女性を生き残らせる。政府に一夫多妻制の復活を提言する準備もしておこう。無論、人々には戦後の復興を手助けしてもらう訳だから、働ける人材が多い方が嬉しいよね」

 ウォレットの口調は淡々としていた。意図してそういう言い方でハルに告げていた。ウォレットの言い分は、人を機械のパーツのように扱っているに近い。普段のウォレットなら、きちんと部下を一人の人間として尊重してくれていた。より良い会社を作り、多くの利益を生むには、それが最適だと信じたからだ。

 それでもなお、ウォレットは残酷な判断をする覚悟を決めた。本当は苦渋の決断だ。だが、楽な道ばかり選べないのは世の常だ。

「ウォレットさん……」

「分かってくれハル。ビジネスも慈善事業も、綺麗事ばかりでは成り立たない。たとえこの先僕様が世間から疎まれようと、僕様は人類を救いたいんだ」

 『救世主』になるには、同時に『悪魔』になる覚悟も必要だ。誰かを助けても、賞賛ばかり返ってくるとは限らない。人助けが憎しみを生む時もある。アイズ隊員なら、誰しも経験する事だ。

「分かってますよ。俺はウォレットさんの右腕ですから」

 ハルはまっすぐウォレットを見て答えた。

「俺以外だって! きっと分かってくれますよ。今患者さんがベッドで休めてるのは、急な病人増加で医療現場が混乱しないようにウォレットさんが準備したおかげじゃないですか! 多くの人がウォレットさんに助けられてるんです! 助からなかった人がウォレットさんのせいにするなんて……そんなの、理不尽ですよ」

「ありがとう、ハル。でもいいんだ。僕様はいくら憎まれたっていい。追い詰められた人には、感情の矛先になる相手が必要なんだ」

 憎まれ役を買う覚悟はあった。それで世界が救えるのなら、安い買い物だ。

「一人で背負わないで下さいよ。貴方はただでさえ激務なんだ。心まで疲れる必要はありませんよ」

「大丈夫。自分の限界は知っているつもりさ。それに、本当は全員助けたいと願ってる。その『優先順位』が、単なる順番で終わる事を期待してるよ」

 積極的に見捨てたいはずがない。欲を言えば、誰も彼も救いたいものだ。

 さて、今回の病魔との『取引』、どれだけの欲が許されるのか。

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