第956話 「たとえ隣にいなくとも」
「嫌じゃ……嫌じゃ……死にとうない」
血塗れのワイスはか細く呟いた。四方八方から撃たれ、既に虫の息であった。ワイスは生まれて初めて、命乞いをした。ドラゴンとしての矜持すら捨て、銃口を向ける人間達に頭を下げた。
「わしは……まだ」
その言葉は爆音に掻き消された。ワイスの願いは届かず、人の殺意に踏み躙られる。ランクトプラス軍の爆撃は徹底的に継続され、肉片一つすら存在を許さぬかのようにワイスを粉砕した。
残ったのは、黒焦げて形を崩した死体だった。用意した爆薬全てを投じて、ようやくワイスは息絶えた。
オーディンにとっても、ワイスは間違いなく強敵だった。これ程の苦戦は滅多になかった。一人では倒しきれなかったかもしれない。
ワイスを殺したのは、オーディンではなく『人』だった。知恵では人間を凌駕するエンペラークオリティアでも、『文明』の力では到底及ばない。銃火器や、軍というシステム……人類が戦うために編み出した技術に、ワイスは負けたのだ。
人は確かに弱い。だからこそ強い武器を作り出し、群れて強くなる術を確立した。弱いが故に生まれた強さが、人とドラゴンの決定的な差だった。
「全軍、戦闘態勢解除! 諜報部に伝達の後、指示を出すまで待機せよ!」
ワイスの討伐を確認し、オルディードは部下達に待機させた。ここに来るまで、ドラゴンの群れは大方排除してある。敵戦力の切り札とも言えるワイスを倒した今、ランクトプラス軍の防衛任務は完遂に近付いていた。
「総司令。あの者は一体……」
部下の一人が、オルディードに尋ねた。ワイスを眺め満足げに微笑むあの男は、一体何者なのかと。
オーディンがドラゴンを倒して回っているとの報告は、ある程度伝達はされていた。ランクトプラス軍の敵を倒してくれている、所謂『善意の第三者』、あるいは『模範的市民』として。しかしオーディンの顔を知っている軍人は少なく、また素性の知れない『善意の第三者』は一兵卒にとって謎に包まれた人物だった。
「あぁ。奴はな……」
包み隠さず事実を言ってしまおうと、オルディードは最初に思った。自分の息子が、あのアルディーノ・ランクティアスが、ついに帰ってきたのだと。広く軍内に流布させる機会だと考えた。
しかし思い留まった。息子がどう在りたいか、これからどうしたいのか、確かめもせずに決め付けるべきではない。親の理想を子供に押し付ける失敗は、もう繰り返してはならないのだ。
「……そこの者! 名を何と申す!」
オーディンだけでなく、周りの軍人全員に聞こえるような大声でオルディードは言った。敢えて名乗る機会を与えてくれた父の気遣いを察し、オーディンは答える。
「我が輩の名は『オーディン・グライト』! 人に仇なす悪党、『イーヴィル・パーティー』の頭領である!」
「そうか! お前の選んだ道は、決して我々とは相容れまい! ならばどうする『悪党』よ!」
「言うに及ばず! 我が輩の信念は折れはしない! たとえ世界を敵に回そうとも!」
「お前の覚悟、しかと受け取った! 疾く去るが良い! 此度の功績に免じて、一度は目を瞑ろう。しかし再び我らが会うならば!」
「あぁ! その時は必ずや、矜持を以て戦おうぞ!」
主張と主張の応酬は、この場の誰しもに伝わった。伝わるように叫んだのだ。二人の立場と、これから進むべき道を明確にするために。
息子と父は、意思を同じくして声を重ねた。
「さらばだ、『悪党』よ!」
「さらばだ、『英雄』よ!」
そして親子は再び別々の道を歩む。今こそは、別れの言葉を言いそびれはしなかった。
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