第952話 「罪を斬る剣」
「な、何じゃああああっ!」
今度こそ斬られた腕を目の当たりにして、これが想像ではなく現実だと気付く。慢心を上書きする痛覚は、ワイスを何よりも激怒させた。
「言ったであろう。この剣は痛みに耐える程強くなると」
桁違いの斬れ味を見せ、オーディンは言った。勝ち誇ったような台詞だが、声に余裕は無い。今の一撃だけで、気を失いそうな苦痛がオーディンの体を走ったのだ。息が荒くなり、全身が震える。加害の代償にしては大きい。
だが、それでもオーディンは剣を手放さない。この程度の痛み、記憶喪失していた頃の頭痛に比べれば些細なものだ。恐るるに足りない。むしろ、この痛みに安心しつつあった。
これで良い。相手の痛みが分かるからこそ、覚悟を持って剣を振れる。
「ば、馬鹿な……。貴様怖くないのか!? ひ弱な人間の分際で、痛みを恐れんのか!?」
斬れば斬るほど激痛を味わう剣など、普通は握ろうとしないだろう。しかしオーディンは、あろう事が躊躇いなく剣を振るった。ワイスには分からないのだ。痛いからこそ躊躇わずに済む、という感情が。
「……恐れるに決まっておろう。貴様はその爪を振るう時、恐れないのか?」
痛みに段々と慣れてきた。『慣れ』は重要だ。結局の所、鍛錬の意義は『慣れ』にある。慣れれば経験となり、技術となり、実力となる。『贖罪の一振』のデメリット能力さえ、オーディンの強さへと昇華しつつあった。
「愚問を! わしが下等生物を潰すのに恐怖する訳なかろう!」
「ならば理解出来まいな。貴様に罪の意識は生まれない。罪を恐れず、ひたすらに傲慢であり続ける。葛藤を捨てた前進など暴走と同じだ。故に貴様は、罪の痛みを知らんのだ」
「ふん! 何を言っておるのじゃ! 恐怖で思考が崩れたか? 所詮は人間、弱き生物よの!」
言葉は交わらない。話し合う気などお互いに無い。両者が出会った時点で、殺すか殺されるかしかあり得ないと分かりきっていた。
「我が輩は思い出したのだ。己の罪を。そして罪を背負う覚悟を」
アルディーノ・ランクティアスは、『悪』として生きると決めた。その意味は決して軽くない。罪に苦しみつつ、罪を重ねなければならない。世界を救うために立ちはだかるその試練を、オーディンは乗り越えたのだ。
キャリアは言っていた。剣には意思があり、持ち主の覚悟に応えると。その正体が、オーディンにも掴めてきた。
贖罪の一振は、罪を切る一振り。他者を斬る罪を負えば、使い手に痛みを送る事で擬似的に『罪を斬る』。目には目を、とばかりに痛みには痛みを返す。罪と罰を常にセットにするのが、この剣だ。断罪とはいつだって痛みを伴う行為なのだから。
己の悪を自覚し向き合う覚悟が無ければ、この剣は使えない。故にこの剣はオーディンを選んだのだ。この世で誰よりも『悪』を背負い、それを無視しなかった男だから。
今更オーディンは痛みから逃げない。斬る事は怖く、傷付く事も怖いが、それでも恐怖を受け入れて前に進む。
キャリアから贖罪の一振の説明を受けた時、真っ先にオーディンは言った。
「良いではないか。切れ味が痛みとして知れるのなら、殺すべき敵を間違って生かしたりはしまい」
痛みが返ってくる能力は、オーディンにとって然程デメリットでもなかった。むしろ痛覚で情報が手に入る分、相手よりアドバンテージが得られると考えた。大して斬ってない相手を「致命傷を与えた」と誤認する事も無く、油断して逃す危険性も減る。要するに、自分が死ぬ程痛くなるまで斬ればいいのだ。
「……この剣は罪を斬り、業を断つ。贖罪の覚悟があるならば、激痛にも耐え、この剣を振るえるはずだ」
剣を渡した時、キャリアは説明した。罪を裁くという、一番大きな罪の痛みに耐えた時、この剣は最も鋭く進化する。生半可な気持ちで断罪などしてはいけない。罪を斬るのなら、同等の痛みを理解しなくては。
「言わずとも良い。その命題の結論は、我が輩が30年かけて導いた」
オーディンは己の『悪』を自覚し、受け入れた。だから今こそ、『贖罪の一振』を手にする時なのだ。
「罪を裁く覚悟があるならば、この剣は必ずや業を断つ!」
オーディンの剣は、続いてワイスの左腕も斬った。ドラゴンという災害、人を殺さずにはいられない業を、鮮明に分かつ。
何故オーディンが剣を握れるのか、ワイスには理解し得ない。人間の理屈はドラゴンに通じない。だから、人間の力がドラゴンに及びつつある事も見えていないのだ。




