第951話 「贖罪の一振」
『贖罪の一振』は普遍的な、それでいて美しい造形の剣だった。これまで幾度も人を殺してきたワイスには見慣れた武器だ。しかしワイスは、オーディンが抜剣した瞬間に身を避けた。彼の本能が危険を察知したのだ。
「何だ……その剣は。このわしが……一瞬でも警戒したじゃと? 人間の武器ごときに? あり得ぬ……あり得ぬのじゃ!」
ワイスは『贖罪の一振』から目を離さず喚いた。その剣に怯えてしまった事実を否定しようとする。だが、言えば言うほど肯定してしまっているのは明らかだった。
「ふむ。貴様の反応から察するに、我が輩はなかなかの名剣を貰ったようだな。良いぞ良いぞ。至高の宝を抱くのは盗賊の冥利故な」
キャリア・スカーロが授けたこの一振り。まだ斬り心地も分からないが、優れた作品である事は理解出来た。
オーディンは構え、目にも留まらぬ速さで斬りかかった。避ける暇など与えなかった。斬撃が来たと気付いた後に、ワイスは斬られた腕を見た。腕が切断されたと、そう連想した。
だが傷は浅かった。両断などされていない。手がブレたのか、力が篭ってなかったのか。予想外の結果に、ワイスは一瞬困惑した。
「……むぅ。なるほどな。これは痛い」
涼しげな顔をしつつ、オーディンの声は鈍かった。『贖罪の一振』の能力をその身に受けてしまったからだ。本来ならばワイスの腕を切り離せる程の斬撃は、『能力』の妨害を受けて力が入らなくなった。
「な、なんじゃ。その程度か? ふ、ふははは! やはり人間は脆弱! その剣も大した一品ではなかったようじゃのぉ!」
想定より弱い斬撃を受けて、ワイスは嘲笑った。鋭い刃かと思ったが、杞憂だったようだ。オーディンの剣は致命傷を与えられない。そう思った途端、ワイスに生まれつつあった恐怖は霧散した。
「どうじゃ? 絶望したかオーディン! 貴様ごときではわしに及びはせんのじゃ! それとも、その剣に仕掛けでもあるのか? ならばさっさと見せてみよ! 無意味だと証明してやるわい!」
「仕掛け、か。隠す程のものではない故、教えてやろう。この剣は、斬る時に痛みを伴う。それが『贖罪の一振』の能力だ」
キャリアから教わった能力を、オーディンは惜しまず伝えた。秘密にして得になる訳でもない。勿体ぶる必要は無かった。
「……それだけか?」
「一応、強く斬れば痛みも大きくなり、斬れ味も増すらしい。貴様以外で試し斬りした事は無いがな」
「ふ、ふはははは! 笑わせてくれる! それが『能力』じゃと? むしろ呪いではないか! そんな剣を振るうくらいなら、元より鋭い剣を用意すれば良かろうに! 貴様、もしや阿呆か?」
ワイスは豪快に笑った。デメリットにしか思えない性能を、まるでメリットみたいに語るオーディンが滑稽だったのだ。
『贖罪の一振』は斬撃を探知すると、持ち主に痛覚を伝達する。強力な一撃を与えれば与える程、使い手にフィードバックする痛みも大きい。本来必要無い痛みを追加で受ける機能なのだから、戦闘においてデメリットになるのは言うまでもないだろう。切れ味の良い剣が欲しいのなら、ワイスの言う通り元から切れ味の良い剣で戦えばいいのだ。『贖罪の一振』である必要は無い。
ワイスは珍しく、『拍子抜け』の感覚を味わった。普段は人間に期待も警戒もせず、「人間は弱いもの」という常識があるため、敵対する人間が貧弱でも何も感じなかった。しかし、一度でも『強敵』と認識した相手が滑稽な姿を晒したのだから拍子抜けもする。恐ろしい敵だと思ったのに案外弱かった時の喜びは、食物連鎖の頂点に立つ『エンペラークオリティア』がなかなか味わえない感情だった。
「ほれほれ、どうしたどうした? もっと斬ってみるが良いのじゃ。痛いのを我慢して戦ってみよ。当然、そんな弱々しい斬撃ではわしを殺せんがのぉ。ぐははははは!」
嘲笑。強者の余裕故の嘲笑。勝てる自信が濃厚になり、ワイスは勝ち負けよりも楽しさにこだわり始めた。「いかに此奴をいたぶってやろうか」としか考えない。
「確かに、これは『能力』とは言い難いかもしれぬな。せっかく美しく仕上がったこの剣も、正体を知れば鈍に見えてくる。だが。だがな」
わざわざキャリアが戦場に赴き、オーディンにこの剣を差し出した意味。それを考えれば、『贖罪の一振』を鈍と切り捨てる事は出来なかった。キャリアは何故、欠点の抱えた剣を渡したのか。その理由と向き合わねばならない。
「悪しきものが弱いと、誰が決めたのだ?」
キャリアはきっと、「戦え」と伝えたかったのだ。痛くても、辛くても、戦えと。
戦いとは安易ではない。無傷ではいられないし、大切なものを失うかもしれない。その覚悟を背負わない者に、戦場に立つ資格は無い。剣を持ち、振るう事は痛みを伴うのだ。
分かっている。そんな事、問われるまでもなく分かっている。オーディンはずっと、大切なものを犠牲にして戦い続けてきたのだから。
オーディンは再び斬った。腕を襲う激痛と共に、オーディンは眼前の光景を見据えた。ワイスの右腕は、綺麗に両断されていた。




