第949話 「真の姿」
次第に、ドラゴンと遭遇する頻度が減っていた。会う度に斬り伏せているのだから、だんだんドラゴンの数が減るのは道理だろう。しかし、妙に静かなのが不気味だった。敵が少なくなっているにしても、極端な気もする。
オーディン・グライトは気を張っていた。この先に地獄の入り口が構えている予感さえした。並の戦場では味わえない圧力が、眼前から漂っていたのだ。
ランクトプラス軍と結果的にではあるが協力し、先程からドラゴンの群れを倒してきた。その敵討ちとでも言うつもりか。あるいは、ドラゴンすら屠るオーディンと戦うのが楽しみなのか。どんな意図を抱いているのかは知りようもない。だが、『彼』が濃厚な殺意を剥き出しにしているだけは確かだ。
「……これは、我が輩が殺したドラゴンではないな。食い千切られておる」
足元に転がるドラゴンの死体を観察して、オーディンは呟いた。巨大な牙で噛み付かれた跡が残る死体。どう見ても、オーディンやランクトプラス軍が殺したのではない。これは共食いの痕跡だった。食物連鎖のトップさえ食らう本物の『頂点』が、その力を誇示するがごとく咬み千切ったのだ。周囲のドラゴンが減っている理由は、もう明白だった。
「やはりルナロードの言った通りじゃったな。この日この場所に、貴様は来た」
老人のような声が震える。明らかに人間の言語を喋る『彼』だが、その声は人間のそれとは異なっていた。獣の鈍い呻きが、人の言葉に似て聞こえる……そんな表現が適切だった。
「久しいのぉ、オーディン。貴様を殺す瞬間を、わしは待ち望んでおったぞ」
『彼』はオーディンの名を呼ぶ。怒気を含んだ声色で。
「……奇妙な事もあるのだな。人違いではあるまいな?」
『彼』の姿を見て、オーディンは慄かずも多少は驚いた。まさしく奇妙な光景が目の前に広がっていたからだ。
オーディンは『彼』を覚えていない。それは記憶喪失の弊害でもなく、印象が薄かったからでもない。純粋に、『会った記憶が無い』のだ。一度も会ってないとすら断言出来る。何故なら……。
人の言葉を喋るドラゴンと知り合った経験など、一回たりとて存在しない。
「いいや、断じて人違いなどではないわい。どうした? わしを忘れたのか? 下等生物の記憶力など、その程度かのぉ」
巨大なドラゴンはオーディンを見下した。人の顔よりも大きな瞳で、ギラリと睨みつける。自分が圧倒的に格上であるという自信が、『彼』をどこまでも昂らせた。
「生憎と、言葉を話すドラゴンは初めて会ったな。だが、貴様の口調には覚えがあるぞ。その傲慢な態度にもな」
ドラゴンに威圧されてもオーディンは冷静さを崩さなかった。頭を巡らせ、記憶の糸を手繰る。やがて、一つの答えが導かれた。突拍子もない結論だが、その推測こそが自然に思えた。
「貴様、『執念の手』のワイス・クオリティアだな?」
ヴォルテッシアノ大陸で殺人鬼集団の創設者と戦った記憶を、オーディンは思い出した。あの時の少年……竜人の子供の名が、ワイス。忘れてはいなかった。
「左様じゃ! よく思い出せたのぉ、人間風情が! ぐははははは!」
低い笑い声が戦場に響く。それは最早、少年の声ではなかった。本人の肯定で、疑惑は真実へ変わった。『彼』こそがかつてのワイス少年。そして今は『エンペラークオリティア』だ。
「世の中は本当に何が起こるか分からぬな。人がドラゴンになろうとは。いや、人間ではなかったのだな? 竜人だったか」
奇想天外な現状を前にしても、オーディンは理性的に言った。「あり得ない」は想像力の足りない者の言い訳だ。理解不能な事こそ、この世界では起こり得る。
「たわけ。竜人ですらないわい。この姿こそが、わしの真の姿! 在るべき肉体じゃよ! 見るがよい! 筆舌に尽くし難い『強さ』の顕現を! まさしく世界を統べるに相応しい相貌! 世界の支配者が人類などではないと、わしの存在が証明し得る! 愉快! 愉快じゃのぉ! やはりこの肉体は心地良い! ぐはははははははあ!」
元の体に戻れた感想を、ワイスは流れるように語った。ワイスの胸に宿るのは『余裕』だった。人間の肉体から解放され、十全の力を発揮出来るようになり、凄まじい万能感がワイスを包み込んだ。恐れるものなど何も無かった。
「むぅ? ドラゴンが竜人になり、またドラゴンに戻ったのか? ややこしい話だ」
「そうかそうか。人間ごときには分かるまい。このわしの崇高な感情は」
「どうであれ、一つ尋ねておきたい事がある。ドラゴンの群れを引き連れて人を襲わせたのは、貴様か?」
オーディンは『加害の一振』の切っ先をワイスに向けて問い質した。ワイスは牙を剥き出しにしながらニヤニヤと笑う。
「外れじゃ。ルナロードの差し金じゃよ。あんな有象無象のドラゴンなど、わしが頼りにするものか。わしさえいれば人類は皆殺しに出来る。それだけの力を取り戻したのじゃからなぁ!」
ワイスは隠しもせず答える。彼の牙と爪は、他のドラゴンの血で汚れていた。
「随分と自信があるようだな。戦う気なら相手になろう」
「その態度、改める事になるぞオーディン。あの時は人間の肉体じゃったから遅れを取ったに過ぎん。思い上がるなよ下等生物。わしが真の肉体を取り戻した今、貴様など他の虫けら共と同類よ! ほぅれ、今にでも切り裂いてやろうか?」
ワイスは爪をカチカチと鳴らす。その威嚇は、オーディンを萎縮させるには及ばなかった。
「やってみるがいい。そのために待ち構えていたのだろう?」
オーディンの挑発が、戦闘開始の合図だった。ワイスの爪が地面に叩きつけられる。落雷のような轟音が鳴り、地面には亀裂が走った。だが、そんなものは序の口でしかない。この先に待つ災害のごとき殺し合いの、ほんの一端だ。
「こうでなくてはな」
オーディンはワイスの爪を躱し、剣を構えた。『狩る側』の生き物がどちらなのか、それは神のみぞ知る。しかし両者は、「我こそが」と強く信じていた。




