第945話 「命と覚悟」
「もしかしたら、あちし達は案外似た者同士かもしれないです」
泣き叫ぶスーニャの上に乗りながら、ピアルタは呟いた。静かな問いかけは、状況も相まって恐ろしく映った。
「君は何もかもを拒絶してるです。気持ちは分かるですよ。あちしも嫌な事から逃げたいし、面倒事は勘弁です。出来るだけ楽に、楽しく生きたいのが人情ですよ」
「だから……何だってっ!? あたしに……同情とか……する気!?」
「いいえ。あちしは他人にあんま興味無いです。ですけど、ちょっと思う所はあったですよ。君は現実逃避が下手くそですね」
「……っ!」
スーニャはジタバタと暴れた。手足を壊されて、まともに動けないまま全身を乱暴に蠢かした。大怪我を負った状態でそんな動きをしたら、痛いに決まってる。だが、激痛を無視するかのようにスーニャは激昂した。
「お前に何が分かるっ! 馬鹿にするなっ!」
「そういうとこですよ。もっと自分に正直に生きた方が楽なのです。楽な道に逃げた方がいいに決まってるです。でも君は、何故か苦しい道に逃げるですね」
ピアルタに敵意は無かった。スーニャの心を揺さぶろうとしているようには見えない。ただ純粋に、スーニャの態度に疑問を持っているみたいだった。
「自分に嘘を吐けば吐く程、下手くそな嘘で気分が悪くなるですよ。もう、おしまいにした方がいいです」
「うるさいうるさい! お前に、あたしの気持ちが分かるもんか! あたしなんて興味無いんだろ!? だったら黙ってろよ!」
スーニャは胸元のポケットからはみ出る機械を、口で咥えた。棒状の機械にはボタンが付いている。もしや起爆装置かと思ったが、スーニャが爆弾を投げた素振りは無かった。そもそも、折れた腕で爆弾を遠くに飛ばせるはずもない。
「まだ抵抗するですか」
「知らないの? 爆弾を使う時はね、死ぬ覚悟を持たないと駄目なんだよ。いつ爆弾が暴発するか分からないもんね」
スーニャは冷たく言った。虚勢の類ではなさそうだった。
俺は目を凝らしてスーニャを観察する。スーニャの上着がはだけ、彼女の肌が露出していた。そして、露わになったのは肌だけではない。あまりにも自然に存在していて気付きにくかった。爆弾魔であるスーニャが、それを持っていない方がむしろ不自然だとも言える。
「だから、死ぬ気でぶっ殺してやる!」
スーニャの覚悟は言葉通りの意味だった。殺すためならば、己が死ぬのさえ厭わない。全てを失う覚悟があるからこそ、こんな手段も選べる。
スーニャの体には爆弾が巻き付けられていた。自爆する気だ。
「スーニャ! やめろ!」
俺の声に意識を向ける素振りすら、スーニャは見せない。彼女の目には、俺達の死しか見えていなかった。
「邪魔しても無駄だよ! 今スイッチを押した。あたしを殺しても、時限爆弾は止まらない。威力は最大にしておいたからね。そこにいると木っ端微塵って訳! 後何秒で爆発するって? 教えないよバーカ! いつ死ぬか分からない恐怖に怯えて逃げなよっ! あははははははは!」
スーニャは咥えていたスイッチを用済みとばかりに吐き出した。ボタンを噛んで押すなんて動作は盲点だった。目の前にいたピアルタも、スーニャの自爆を止められなかった。
「このサイズの爆弾は……ちょっとまずいです」
ピアルタは珍しく狼狽えていた。小さな爆弾ならば、先程のように自分の体で覆い隠して爆風を抑えられるだろう。しかし、爆破の規模が大きくなればピアルタの小さな体だけで押し留められはしない。ピアルタは無事で済むかもしれないが、俺とファティオは爆発に巻き込まれるだろう。
「仕方ないです。クロム! あとそこのお兄さん! さっさと逃げるですよ!」
ピアルタはスーニャの襟を掴んで持ち上げた。そして、俺とファティオに逃げるよう訴える。曲がりなりにも『クライアント』である俺達を守ろうとしてくれているのだろう。
「ピアルタ! お前はどうする気だ」
「この子を投げ飛ばすです。あちしの腕力だとあんまり遠くには投げられないですが、少しは安全になるですよ」
いつ爆破するか分からない爆弾を、スーニャの体から引き剥がす余裕は無い。だからスーニャごと離れさせて被害を抑えるつもりなのだろう。修羅場を乗り越えた傭兵だけあって、ピアルタの判断は冷静だ。合理的で、実に正しい。
しかし。しかし、だ。
それは俺にとっての『正解』じゃない。合理だけじゃ測れない渇望を、俺はずっと貫いてきた。今でも同じだ。
ピアルタが俺を守ろうとしてくれているのも分かっている。スーニャの殺意が本物だとも分かっている。危険なのは百も承知だ。だとしても、俺は。
「駄目だ。スーニャは見捨てない」
俺は前に出た。起爆間近の爆弾を抱えるスーニャに触れる。スーニャもピアルタも、口を開けて俺を見つめた。
「な、な、何をやってるですか! 逃げろって言ったですよ! 言葉通じないですか!」
「このままだとスーニャが死ぬ。そんなの見過ごせるか」
「いやいやいや! このままだとクロムも死ぬですよ! 契約不履行になるです! あちしはタダ働きなんて御免ですよ!」
案外律儀なピアルタの忠告を受け、俺は心の中で感謝しつつも彼女の心配を振り払った。
「すまないな、ピアルタ。俺はもう決めたんだ。誰だって助けてみせる。逃げたりしないって!」
俺はスーニャの体に巻きつけられた爆弾を取り外そうとした。爆弾携帯用の特殊なベルトのようなものに、一つ一つ丁寧に爆弾が接続されている。ちょっとやそっとの衝撃じゃ取れない仕組みになっているようだ。取り外すには一つ一つ手作業でロックを解除するしかない。
「悠長に爆弾を外す時間なんて無いですよ! 諦めるです!」
「諦めない! 俺にも命を懸けさせろ!」
スーニャが死ぬ気で殺そうとするのなら、俺は死ぬ気で死なせない。スーニャの殺意を、俺は否定しよう。彼女と同等の覚悟を以て。
「……なるほど。クロム隊長らしい。僕も付き合いますよ」
ファティオも俺の隣に来て、一緒に爆弾除去作業に参加してくれた。ピアルタは口をパクパク開閉して、言葉を失ったようにこちらを見ていた。
「助かる! みんなで生き延びるぞ!」
不思議にも、恐怖は薄かった。死ぬかもしれないと理解はしているが、今はそんな事を考える気になれなかった。スーニャを助けたいという思いだけが、俺の指を動かす。
「………………………………」
スーニャは呆然と俺達を見ていた。小さく呟いているのが辛うじて聞こえる。
「……なんで、あたしなんかを」
答える暇は無かったし、答えるまでも無かった。これが俺の信念だからだ。相手が誰であろうと、俺の軸は揺るがない。
刻一刻と時間は経過した。何秒経ったかは覚えてない。そろそろ辺りが吹き飛ぶ頃合いかもしれない。爆弾はようやく一個取り外せた。
「……馬鹿。間に合わないよん」
スーニャが悲観的に呟く。だけど彼女の顔は、微笑んでいた。殺意でも怒りでも無い感情だけが、スーニャの顔に浮かんでいる。
「それ。拾って。キャップを外した中に緊急停止ボタンがあるから」
スーニャは足元に転がる起爆スイッチを一瞥して言った。スーニャが吐き出した棒状の機械には、もう一つボタンがあった。降ってきた希望の言葉に、俺は咄嗟に反応した。
「スーニャ!」
スーニャはもう、死にたいなんて思ってない。生きようと前を向いている。それが最も明るい希望だった。
「ばか! 罠に決まってるです! 押しちゃ駄目です!」
ピアルタは地面に落ちる起爆装置を拾おうとした。だが、先に俺が拾ってキャップを外す。そこには確かにボタンがあった。何のボタンかは書かれていない。本当に緊急停止ボタンかは不明だ。だが、確信はあった。
「分かってるよ、スーニャ」
俺には分かっている。お前が嘘を吐いてない事を。
俺はボタンを押した。甲高い音が鳴ったかと思えば、その後は静かだった。この静寂は、ずっとずっと続いた。




