第940話 「爆弾少女の執念」
「敵襲か? ファティオ! 誰が来たんだ」
意味も無くファティオが発砲するとは思えない。俺にはまだ見えていない敵を、ファティオは目撃したのだ。だとしたら、一つ疑問が生まれる。何故ファティオは、遠くから接近してくる人物を一目見ただけで敵だと認識したのだろう。
その答えは、ファティオの口から発せられた。
「スーニャ・チル。やんちゃな爆弾魔が僕らに用があるみたいですよ」
* * *
身を焦がす爆炎と血の匂いが、どうしようもない現実だ。あの日彼女が目の当たりにし、受け入れなかった現実が、今や世界中に強要されている。誰だって、凄惨な現実を見たくはないだろう。スーニャ・チルも同様だった。だからこそ、彼女は狂った。
辛い現実を無理矢理「楽しい」を思い込もうとする。それは現実を肯定しているように見えて、その実虚構にまみれた現実逃避だ。だが、そうするしかなかった。自分の本心を認めるのは、尋常ならざる恐怖だったから。
『楽しさ』を求めて彼女は爆発させる。人体がバラバラになり、建物が崩れても、彼女は笑う。他人の涙を無視し、ひたすら笑う。
「楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい」
偽りの感情で、本心に蓋をする。
他人が勝手に始めた戦争なんかに、スーニャは興味は無かった。どこで誰が死のうが殺そうが、どうだっていい。スーニャの殺戮に大義は無く、目標も無い。ただ爆殺する事による快楽が、唯一の意義だった。
「そうしないとお父さんが報われない。って、君は思ってるんだね」
ルナロードは現実から逃げるスーニャに手を差し出した。スーニャの狂気を、殺意を、ルナロードは肯定する。
「……ねぇ、ルナロード。お父さんは苦しかったのかな? 私に殺されて」
「そんな訳ないよ。お父さんは君を恨んだりしないさ。爆弾の楽しさを理解してくれて、きっと喜んでるよ」
スーニャが求める言葉を、ルナロードは的確に把握する。欲しい台詞を欲しいまま、徹底的に甘やかす。ルナロードの都合のいい甘言は、他者の目には『魅力』として映った。
「あたし、悪くないよね? もっと爆発を楽しんでもいいんだよね?」
「もちろん。君は立派な爆弾魔さ。これからも世界中を木っ端微塵にしてやればいい。応援するよ」
ルナロードは微笑む。その笑みの裏にあるのは、新たな『試練』が見つかった事による期待だ。
父を爆殺してしまった過去を、スーニャは肯定したかった。「悪くない」と思いたいがために、自分自身に言い訳を重ねる。
都合の悪い現実より、都合のいい嘘を信じたい。スーニャは心の張り裂けた子供だった。
だから、現実逃避しない選択肢なんて許さない。現実を認める奴を拒絶する。否定し、否定し、否定し、否定し。何もかもを無かった事にしたいから爆発させる。爆風に飲み込まれた後に残るのは、『無』のみだ。
故にスーニャは標的を定めた。今爆散したい相手は、現実を許してしまった男。ファティオ・ハージだ。
「なんで、なんで、なんであいつは。あいつも現実が嫌いじゃなかったの? 何もかもぶっ壊したいんじゃなかったのっ!?」
スーニャの疑問とは裏腹に、ファティオはアイズに戻った。『執念の手』の殺人鬼としてではなく、クロムと共に人を助ける道を歩んだ。ファティオは認めてしまったのだ。自分の居場所を、「どうでもいい」とは言わなくなってしまった。
それがスーニャには許せない。世界を否定しなかったあの男を否定したい。
「駄目だよそんなの。現実なんか見ない方がいいって、思い知らせなきゃ!」
自分と違う価値観が許せない。自分を否定された気分になるから。否定するのは自分で、自分は否定されてはならない。
スーニャの胸に新たな強迫観念が生まれた。『楽しさ』だけを求めて爆殺してきた彼女には存在しなかった、焦燥の感情。「殺したい」から殺すのではなく、「殺さないといけない」から殺す。
スーニャは狂っていた。ただでさえ崩壊寸前の精神は、焦りによって追い詰められて限界に達した。
ファティオの居場所はルナロードから聞いた。ランクトプラスの果てであろうと、スーニャは追いかける。彼女の執念は、己の精神を保護するためなら止まらない。
「見つけたよ」
レジスタンスのアジトを発見し、スーニャは呟いた。そしてすぐ、腕に弾丸が掠る。「見つかった」のはお互い様であった。
「痛っ……相変わらず、どっからでも撃ってくる奴!」
先手を打たれたのは痛手だった。しかし、その痛みすら期待に変わる。戦いの狼煙は上げられた。これから始まるのは殺人鬼同士の殺し合いだ。
スーニャは煙幕を張った。射線など通させはしない。腕のかすり傷程度、この後の痛みの応酬に比べたら些細なものだ。
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