第936話 「継承」
キャリア・スカーロは一本の剣を取り出した。一切の歪みが無い、まっすぐで美しい剣だった。武に通ずる者ならば、一目見ただけでこれが名剣だと悟るだろう。
「……いつぞやの約束だ」
キャリアはそれだけ告げた。意図を把握しかねたオーディンだったが、キャリアの言う『約束』もやがて思い出した。
キャリアは初めてオーディンに会った時、二本の剣を差し出した。一つは『加害の一振』。そしてもう一つが、ここにある剣だ。当時のオーディンは『加害の一振』の方を選び、受け取った。もう片方の剣は来たるべき時に再び渡すだろうと言い残し、キャリアは去ったのだ。
「今が、その時だと言うのか」
キャリアは無言で頷く。言葉は不要だとばかりに剣を手渡した。
「……『贖罪の一振』だ」
剣の名前をキャリアは教えた。この『贖罪の一振』は、選ばれなかったあの日からずっと、鞘から解き放たれる瞬間を待ち望んでいた。剣が訴えるその意思を、キャリアは感じ取ったのだ。
「先程貴様が使った剣とは違うのだな」
剣の名前を知り、オーディンは尋ねた。キャリアがドラゴンの群れを大人しくさせた時に用いた剣は、『萎靡沈滞の一振』と呼ばれていた。キャリアが腰元に差している大太刀の事だ。キャリアは首を横に振り、「違う」と短く答えた。
「……この剣はお前を求めていない。だが、『贖罪の一振』はお前を持ち主に選んだ」
剣が喋ったかのような言い草だった。その奇妙な主張を、オーディンは茶化さない。キャリアが冗談で言っている訳ではないと、分かっているからだ。
「……お前は剣の意思に応えるか」
キャリアはまっすぐにオーディンの目を見つめて、問う。キャリアは剣の使い手として相応しくない者に剣を譲らない。今回のキャリアの試練は、この問答だった。それだけで全ては分かる。
「無論だ」
オーディンは即答した。迷い無き返答だった。キャリアは瞼を閉じ、頷く。
「……ならば認めよう」
キャリアは合格を言い渡した。今日のキャリアは、珍しくよく喋った。
「武器を寄越してくれた事には感謝しよう。だがどういう風の吹き回しだ? 戦争の匂いを察して武器を売りに来たにしては、遅い登場ではないか」
『贖罪の一振』を受け取り、オーディンは疑問を口にした。キャリアを『武器商人』として認識しているオーディンには、キャリアの動機を理解出来ない。キャリアがここに来たのは、金のためなどではなかった。
「……料金は、要らん。剣には在るべき場所、使うべき時がある。俺はその手伝いが出来ればいい」
普段のキャリアなら、己の行動原理を語ったりしないだろう。それは口にする意味の無い、彼にとっては『不要』な言葉だ。だが今は喋りたくなってしまう。
それはきっと、自分の最期を悟ったからか。
キャリアは唇から血を流し、言葉を続けた。感染症ごときにこの魂をおちょくられてなるものかと言わんばかりに、彼は震える体で声を振り絞る。
「キャリア・スカーロ、貴様……」
「……この地に来るのも久しい。戦争好きの国のために、俺は何本の剣を打ったか。武器はよく売れたものだ。下らない駄作ばかり作ってしまったがな。そのくせ、俺は『天才』などと呼ばれてしまった。自身が望まぬ賞賛ほど、屈辱的なものは無い」
喋る。喋る。無口だった老人は言葉を吐き出す。己の意思をこの世のどこかに残すがごとく。
「魂の込もった本物の武器にしか、俺は興味は無い。だから俺は旅に出た。お前のような人間に出会うためだ。剣の意思が導いた、お前のような人間に」
「…………」
オーディンは黙って聞いていた。唐突に始まった老人の主張を、無下にはしなかった。早くドラゴンを倒しに戦場を駆け回らねばならないという焦りはあったが、しかしながら待った。キャリアが命を賭して残した言葉を、孤独にはさせない。
「俺は天才鍛冶屋などでははい。俺は剣の代弁者に過ぎない。剣が望んだ形になるのを、俺が手助けしただけだ。『贖罪の一振』は、今この時、お前を求めたのだ。……その剣の意思を、お前に伝えよう。よく聞け」
キャリアは消え入りそうな声でオーディンに言った。『贖罪の一振』の意思を。そして、『贖罪の一振』とは何であるかを。
「あぁ。確かに聞き届けたぞ」
オーディンはハッキリと答えた。キャリアは満足げに微笑み、オーディンに背を向けた。
「行くのか」
「……俺は、今まさに最後の仕事を終えた」
キャリアは剣を引き摺り、歩いた。その背中をしばらく見守った後、オーディンは振り返る。キャリアが伝えた意思を、無駄にしないために。
鍛冶屋は戦場から去り、戦士は戦場へ向かう。これ以上の言葉はお互い求めなかった。
オーディンはふと、足を止めて後ろを見る。キャリアの姿は見えなかった。
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