第932話 「終幕の前兆」
「何じゃと? 貴様それは、冗談の類ではあるまいな」
ワイスの食いつきは、ルナロードの予想通りだった。彼が最も執着するものが何か、ルナロードは完全に把握している。
「冗談なんかじゃないさ。君は今でこそ人間の体で生きる竜人だけど、『エンペラークオリティア』だった頃を忘れた日は無いよね? その夢を、私が叶えてあげるよ」
『キングクウォンテス』と並び最強と評されるドラゴン、『エンペラークオリティア』。ワイスが今の肉体になる前の、本来あるべき姿だ。脳だけを人間の体に移植され第二の生を受けても、ワイスはドラゴンだった頃を忘れはしなかった。劣等種と見下す人間の体で生きなければならない屈辱と、本来の肉体への渇望。それがワイスの復讐心を燃やす油でもあった。
「嘘じゃったら貴様を殺すぞ。わしをぬか喜びさせる罪は重い」
「本当だってば。やっと準備出来たんだ。完全な形での、『エンペラークオリティア』の体がね。後は、君の脳を移植するだけでいい。それで君は、誇り高きドラゴンの姿に戻れるのさ」
「人間は信用ならんが、貴様は特にだ。わしを斯様なか弱き肉体に封じ込めた貴様が、今更本来の肉体を用意するだと? 白々しいのぉ。……まぁ、しかし。貴様がどうしてもと言うなら、その提案に乗ってやらんでもない」
ルナロードへの不信感は拭えないものだった。だが同様に、ドラゴンの肉体への執着も手放せない。人間の体から解放されるかもしれないという誘惑は、とてもとても強くワイスを引き寄せた。
「エンペラークオリティアの体を、隠れ家に用意してあるんだ。実物を見れば君も信じざるを得ないよ」
「ふん。ならば早く見せろ。言っておくが、借りを作ったなどと思わぬ事じゃ。下等な人間が、わしらドラゴンに貢ぐのは当然の道理なのじゃからな。虎が兎を喰らおうが、借りが出来たなどとは思うまい」
「分かってるよ。お礼なんて要らない。君は好きにすればいい。私はね、それを見るのが楽しみなだけなんだから」
露骨に喜びを表してはいないが、ワイスが期待に満ちているのは明らかだった。彼にとってドラゴンの肉体とは、それ程までに欲するものなのだ。
ルナロードはワイスに謝礼を望まなかった。ワイスにドラゴンの肉体を返還すれば、もう十分であると理解しているからだ。ワイスは間違いなく、ドラゴンの強靭な肉体を以て人類を蹂躙するだろう。人類はドラゴンという強敵と対峙し、苦境に立たされ、必死になる。この試練を乗り越えるため、手段を選ばず奮闘するだろう。その先にあるかもしれない『未知』が、ルナロードの求める唯一の報酬だった。だから、ワイスには好き放題暴れてもらうだけでいい。竜人ワイスを作り出したのも、彼の殺意を煽ったのも、全てはこのためだったのだ。
「ルナロードよ。貴様は先程、『今のわしでは人間に勝てない』と言ったな。百歩譲ってこの肉体では勝てぬとして、よもや『ドラゴンの体を取り戻しても勝てぬ』などとは言うまいな?」
ワイスはぎらりと睨んで言った。答えは一つしか許さない、と瞳が訴えていた。
「当然。かつて地上を支配したエンペラークオリティアは、現代でも最強さ」
ワイスが聞きたかった答えを、ルナロードは言った。その発言に偽りは無い。彼女の目には見えていた。エンペラークオリティアを含めたドラゴンの軍勢が、人類の文明を破壊し尽くす未来が。
「ふははははははは! 良い! 良いぞ! 当然の真実ではあるがのぉ!」
ワイスは上機嫌だった。今度こそ人類を絶滅させられると確信していた。
「期待してるよ、ワイス君。人と人、国と国の戦争はもう終わる。今から始まるのは、君達ドラゴンと人間の戦争だ」
そして、シアノ熱の病魔と人間の戦いでもある。人類が文明を持つ以前の支配者達と、人類を滅ぼしかけたウィルス……その両者が、同時に牙を剥いた。これは人類史最大の危機になるはずだ。滅びるか生き延びるかを競い合う、逃げ道無しの生存競争。無論、不利なのは人類側だ。人類滅亡のシナリオを、ルナロードは見据えていた。
だからこそ、その予想を裏切って欲しい。想定外の未来を見るためなら、ルナロードはどんな過酷な試練だって用意する。その様は、人為的な災害そのものだった。『強者』も『悪』も『英雄』も『支配者』も、圧倒的な天災の脅威には及ばない。歴史すら終わらせ得るその存在に、人類はまだ気付いていなかった。
ルナロードとワイスは破滅への道を闊歩する。殺意に満ちたワイスの宣言が、言うなれば最終決戦の合図だった。
「貴様らを皆殺しにするのは、このわしじゃ。絶え損ないの人類共の物語に、終止符を打ってやろう!」
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第五章 世界大戦編 完結!
最終章 人類絶滅災害編に続く……!
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