第925話 「世界を一つにするために」
ヂールは勝利を確信していた。チェルダードとルトゥギアへの侵攻は、じわじわと成果を残している。世界がランクトプラスのものになるのも時間の問題だった。
「ようやく、世界は一つになる」
国境は取り払われ、人類は一つになる。『はじまりの日』で滅びかけた文明も、人類が一丸となれば復興出来るはずだ。
それでもなお、争おうとする者は絶えないだろう。人類が完全に手と手を取り合うのは難しい。しかし、聡明な権力者が世界中の争いを管理すれば、争いの被害は最小限に抑えられるはずだ。世界が一つになり権力体制が単一化する利点はそこにある。『頂点』が複数いるから争いは起こるのだ。頂点が唯一無二なら、世界はより平和になる。
ヂールの悲願は目の前だ。『はじまりの日』の絶望を拭うのはランクトプラスなのだ。そんな希望が、ヂールを前に動かした。
「ランクトプラスは勝利したも同然。目下の憂いは、邪魔者の掃除くらいでしょうか。それも、貴方がいれば仔細ない事」
ヂールは私室にジェノール将軍を呼んでいた。諜報部統括にして、ヂールが最も信頼を置く部下だ。
「この期に及んでヂール様に刃向かう敵がいると」
「えぇ。つい先程襲われたばかりですよ。さらには状況を見る限り……敵はさらに増えたようですね」
アルディーノと戦闘を終えたギルドレイドが、何故かアルディーノを追わず本部の方へまっすぐ向かって来ている。その様子は諜報部がしっかりと確認していた。ギルドレイドの目的はヂールも察していた。忘れ物を取りに来た訳ではなさそうだ。
「僕が総司令を傀儡にしていたと気付いたようですね。気に食わなかったのですか? 実に幼い感情だ。将軍ともあろう者が」
ヂールに逆らう行為が社会に迷惑をかけ得る事くらい、ギルドレイドも分かっているはずだ。その上でヂールに反逆の意思を見せるのならば、それは「幼稚」と呼ばざるを得ない。ヂールの思想は、常に私情より社会正義を尊ぶ。権力への反抗は、たとえ将軍であれど許されはしなかった。
「ギルドレイド将軍の処理は貴方に任せますよ、ヌル。その前に、もう一人の客人の相手もして貰わねばなりませんが」
ジェノール将軍を『ヌル』と呼び、ヂールは仕事を命じた。二人きりの時、ヂールは常に『ヌル』の名で呼ぶ。
「はっ。仰せの通りに」
ジェノールは頭を下げて命令を受諾した。このやり取りも、何度やってきた事だろう。
「……そう言えば、貴方の表向きの名前は『ジェノール』でしたね。どうしてその名前にしたのでしたっけ。僕とした事が、記憶が曖昧だ」
あまり重要ではないと思いつつ、気になったのでヂールは尋ねた。些細な疑問は唐突に現れる上に、何故か無視する気になれないものだ。
「私がヂール様に提案したのです。表向きの名を自由に決めて良いから考えろと、そう仰られましたので」
ジェノールは質問に答えた。ヂールは「あぁ、そうでした」と思い出す。
「ジェノールと名乗りたいと、そう言ったのでしたね。どうですか? ヌル。その名前は気に入ってますか」
「はい。この名は私の宝物ですから」
淡々とジェノールは言う。ふと、ヂールは違和感を覚えた。ヌルはこんな喋り方だったろうか。いや、『どんな喋り方もする』のがヌルなのだが、だからこそ今の口調は不思議だった。曖昧とした借り物の言葉ではなく、確固たる個性の言葉に思えたからだ。それは、ヌルらしくない。
「……へぇ、そうですか」
しかしそれも些事だと、ヂールは考えるのをやめた。世界統一という偉業が近付く中、どうでもいい疑問に時間を消費している場合ではない。もっと気にすべき事態があった。敵は着々とヂールの元へ集っている。
オーディン、ギルドレイド、そしてもう一人、ヂールには目の上のたんこぶが存在する。
完全なる治世のため、ヂールは敵を容赦なく殺すのだ。
「やぁ。お呼び頂いて光栄だよヂール君」
ルナロード・ジニアスは親友の家に遊びに来たかのような気軽さで、ヂールの部屋に入った。このタイミングでヂールがルナロードを呼ぶ……それが意味するのは一つだけだった。
「お待ちしてましたよ。えぇ、とっても」
ヂールはルナロードの顔を見ずに笑う。窓から見える空は雲がかっていた。




