第920話 「悪という名の英雄。英雄という名の悪」
「英雄は人殺しか。言うではないか」
「どうした。お前が否定したんだぞ。『英雄』を。それとも、今更恋しくなったか?」
挑発するようにギルドレイドは言う。アルディーノは意に介さない様子で返答した。
「いや。皮肉な話だと思ってな。我が輩は英雄に執着して『悪』となり、貴様は『悪』となった英雄を後悔している。果たして、どちらが『本物の英雄』なのだろうな」
「お前こそ本物だと?」
「そうとは言うまい。誰も分からぬものよ。真偽や善悪はな」
「……何だよ、それ」
本当は執着しているくせに、何故そんなに軽々しく言ってしまえる。「自分こそ本物だ」と言わないのだ。
分からない。やっぱり親友と言えど、他人の心は理解出来ない。
そしてきっと、それこそが正常だ。
「俺はお前を否定するぞ。お前はアルディーノ・ランクティアスであるべきだったんだ。それ以外の誰にもなるなよ。イーヴィル・パーティー? オーディン・グライト? 馬鹿げてる」
「良かろう。そう言ってこそのギルだ。存分に否定するが良い!」
親友に自己を否定されて、むしろアルディーノは嬉しそうだった。この展開を待っていたかのように。
ギルドレイドは眉をひそめた。てっきり反論してくるかと思ったが、アテは外れた。アルディーノは狼狽して冷静さを失うどころか、落ち着きを増していた。
狼狽えていたのはギルドレイドの方だった。彼は、アルディーノが行方不明になった後も、軍事学校の学業を怠らなかった。繰り上がりで一位になったが、慢心など一切しなかった。アルディーノが守り続けた一位の座を他の誰にも渡してなるものかと、座学も実技も必死に努力した。いつしか最強の軍人になるために。
アルディーノが目指した『英雄』を、他人に汚させはしない。英雄を語っていいのは自分とアルディーノだけだ。そんな決意があった。それが、アルディーノを肯定し、去った友を守る事に繋がると信じたからだ。
実力以外の要因で手に入れた『一位』に、満足などしなかった。周囲の賞賛は、呪詛のようでもあった。それでも決して、一位を手放さない。堕落は罪だと、まるでアルディーノのように奮闘した。
なのに。
なのに。
なのに。
「何なんだ。今のお前は」
アルディーノは家族を、そして親友を手放した。英雄にも一位にも執着しなかった。
執着していたのは、自分だけじゃないか。
「お前がいなくなって、俺は一位になった。英雄にもなった! でも虚しいだけだった! お前のいない一位に、何の意味も無いんだよ! 俺はお前を超えたかっただけなのに……お前のライバルでいたかっただけなのに!」
戦う理由は何だ。アルディーノにはあった。だが、ギルドレイドには元々理由なんてなかったのだ。家が貧乏だから、学費の安い軍事学校に入学しただけ。国への忠義や、栄光や、学業成績や、英雄の座なんて、後付けで生まれた動機だ。全て、アルディーノが隣にいたから影響されて生まれた目標だ。
ギルドレイドがいたからアルディーノは一位になれた。同様に、ギルドレイドもアルディーノがいたから二位にしがみつけたのだ。あの頃は互いが互いを刺激するライバルでいられた。孤独になれば、前提は崩壊する。
「俺とお前は、同じ道を進んでたんじゃなかったのかよ……」
ギルドレイドが将軍になるまで頑張れたのは、言わば惰性のようなものだ。「アルの分まで全力で」と、自分の中に親友の像を映して無理矢理前に進んでいたに過ぎない。結局はアルディーノの真似事だ。同じ道を進んでいると信じていたから、かろうじて物真似は成立した。
アルディーノの現在を知ってしまった今、ギルドレイドの思い込みは音を立てて崩れる。二人が見ていたものは違っていたのだ。
「途中までは同じ道だったのだろう。だが我が輩は、別の道を見つけてしまった。後悔は無いが……一つ言うなら、先に行ってしまってすまなかった」
アルディーノは再び剣を構える。休憩の時間は終わりだとばかりに。
「決着を付けに、我が輩は戻ってきた。不満は全て剣に込めろ」
「……あぁ。悪人ごっこはそろそろ終わりにしてくれよな」
また斬り結ぶ準備は出来た。剣を構え、「でも」とギルドレイドは心の中で呟く。
やっぱり、生きていてくれて良かった。本当は、どこかで生きていると信じていたんだ。あの時の望みは希薄だったが、現実はもっと色濃く鮮明な希望で満ちていた。
言いたい事は山ほどあれど、結局はそこに落ち着く。生きていてありがとう。そして今、勝敗を決めよう。初めてお前を超えてやる。もう一度、お前のライバルになろう。
心の内で言い終えて、ギルドレイドの剣にブレは消えた。




