第917話 「30年前の親友よ」
ランクトプラス軍本部周辺は警戒態勢にあった。本部襲撃という、許してはならない大事件を一刻も早く解決すべく、警備兵は一斉に駆り出された。現場の指揮をするのは陸軍将軍パーシエル・ラタ。そして今回は、彼女の指揮の下で海軍将軍ギルドレイド・クルスまでもが動く。二大将軍を挙げての国内戦闘。緊張は最高潮だった。
「郊外での標的の目撃証言が寄せられている。だが、奴はここに戻って来るはずだ! 証拠に、近辺での目撃証言も数分前から多く集まっている! 徹底的に探せ! 敵は本部の防衛網を突破した強者! 油断はするな!」
ギルドレイド将軍は海軍の部下を引き連れて、オーディンの捜索に全霊を尽くした。ランクトプラス軍の情報網を駆使し、確実に追い詰める算段だ。実際、ギルドレイドはオーディンを逃す事はなかった。それも当然の結果だ。オーディンはそもそも、逃げようとすらしていない。
「ほう。相も変わらず見入るような隊列だ。全方位からの奇襲に対応した陣形。未だにランクトプラス軍は最強なのだと安心したぞ」
軍人達の前から堂々と接近する男が一人。言うまでもなく、オーディン・グライトだ。軍人達は揃って銃口をオーディンに向けた。
「お前か? 本部の襲撃者は」
ギルドレイドは敵を確認する。予想以上に早く標的が見つかって拍子抜けしつつも、すぐさま戦闘態勢に移った。
「然り。我が輩はオーディン・グライト。イーヴィル・パーティーの頭領だ」
アルディーノはオーディンとして名乗り、抜剣した。何十人もの敵を前にしても、一切臆さず剣を構える。たった一人の襲撃者に、ランクトプラス軍は全く油断を見せなかった。油断など出来るはずもなかった。オーディン・グライトの醸す猛獣のような戦意から、少しも目を離せなかった。気を抜けば斬られると、歴戦の戦士達は直感で理解したのだ。
ここは本部の敷地内。仲間を呼ぶのも容易く、地形情報を知り尽くしたランクトプラス軍にとってホームと言える。だが、オーディンにとってもホームであると彼らは知らない。
標的を発見したランクトプラス軍は、即座に他の部隊に報告し、オーディンを包囲するように陣形を変えた。オーディンを逃さないように、そしてあわよくば背後から奇襲を仕掛けるために。しかし、オーディンからすれば『奇襲しやすい潜伏場所』も『敵を捕らえやすい陣形』も重々理解しており、ランクトプラス軍の動きなど手に取るように分かった。ランクトプラス軍の動きは完璧であるからこそ、マニュアル通りで予測しやすい。
「ランクトプラス軍に刃向かうなど愚かだったな。大人しく投降しろ。そうすれば殺さずに済む」
「貴様は甘いのだな、ギル。あの時もそうだった。我が輩を本気で倒す気でいれば、我が輩を止められたかもしれなかったのだがな」
オーディンは懐かしんで微笑む。30年ぶりに会う親友の姿は、見た目こそ老けていれど中身は変わっていなかった。真面目で、優秀で、それでいて優しい。良き将軍になったものだと、思わずにはいられなかった。
「馴れ馴れしく呼ぶな。その名で俺を呼んでいいのは……」
そこまで言った後、ギルドレイドは言葉を止めた。口をぽっかりと開けたまま、何も言えない。馴れ馴れしい男に対しての怒りは、やがて驚愕となり、そして歓喜に変わった。
「アル……? お前、アルか!? なんで、なんでお前が……!」
オーディンの正体に気付いた時の反応は、オルディードと似ていた。ギルドレイドもまた、30年越しの再会をすぐには信じられず、それでいて信じたかった。目の前の奇跡を嘘だと思いたくなどないのだ。
「父上も貴様も、案外早く気付いてくれるのだな。我が輩の事など、とっくに忘れたかと思ったぞ」
「忘れられる訳ないだろ! お前、俺達がどれだけ心配したと思って……。ってかなんで帰って来なかったんだ! いやそれより、なんでお前が本部を襲撃なんて……!」
言いたい事も聞きたい事も山ほどあった。そのどれから話すべきか迷い、ギルドレイドは混乱していた。今が任務中で、部下の前だという事も忘れ、ギルドレイドは慌てふためく。
「しょ、将軍。この者は将軍の知人であられますか」
ギルドレイドの困惑ぶりを見ていられず、部下の一人が尋ねた。ギルドレイドはハッとして、息を整えつつ答える。
「あ、あぁ。お前達も聞いた事があるだろう。30年前に行方不明になったランクティアス家の長男、アルディーノ。目の前の男こそが、そのアルディーノだ」
軍人達は騒然とした。アルディーノ行方不明事件といえば、教科書にすら載る大事件だ。ランクトプラス国民の誰もが知り、誰もが悲しんだ事件。「国を揺るがす」という表現が決して誇張ではない程だ。あのアルディーノ・ランクティアスが生きていたと知って、しかも目の前に敵として登場したと知れば、驚かないはずがない。
発言した直後、「これは言ってもよかったのか」とギルドレイドは疑った。襲撃犯オーディン・グライトの正体がアルディーノだと、一般兵に知られるのは軍としては平気なのか。しかし、よく考えてみればオーディンの正体を軍上層部が隠したいのなら、ギルドレイドを前線に配置するはずがない。オーディンの正体は軍全体に知られても大丈夫だと、上層部は判断したのだろう。それどころか、ギルドレイドとアルディーノが接触するこの状況すら、上層部の想定内かもしれない。ギルドレイドはそう結論付けた。
戦闘態勢だった軍人達は、動きを止めた。アルディーノを攻撃して良いものか、判断に迷っている。ランクティアス家に銃口を向ける、その意味を考えたからだ。
『オーディン・グライト』としての鎧は剥がれた。軍人達にとって彼はもう、『アルディーノ・ランクティアス』以外の誰でもなかった。
困惑する軍人達に、さらに動揺をもたらしたのはオルディード総司令だった。
「どうしたのだ、これは。揃いも揃って、お前達は何故アルディーノに銃を向けている」
オルディードは杖に頼りながら、ゆっくりとアルディーノに近付く。息子に連れられて来てみたら、軍人達が包囲しているではないか。総司令としてあるまじき事だが、オルディードは状況が全く読めなかった。ヂール補佐官に仕立て上げられた偽りの権力なのだから、仕方ないのだが。
「彼らは我が輩を歓迎してくれているのです、父上」
「歓迎だと。こんな物騒な歓迎があるものか。お前達、銃を降ろせ。アルディーノが帰って来てくれたのだぞ。息子は敵ではない。銃を降ろさんか」
オルディードは慌てて部下達に指示した。戦闘の任務を受けて駆り出された軍人達も、総司令から直々に「やめろ」と言われれば従わざるを得ない。最高権力者に逆らってなるものかと、軍人達は総司令以上に慌てて銃を収めた。
「敵ではない……そうなのか? そう、だよな? なぁアル」
ギルドレイドは剣を構えたままだった。その手は震えている。鞘に収めるべきか葛藤している。本当は剣を向けたくなんかない。だが、一抹の不安が彼をそうさせない。
「敵ではない」。そう答えて欲しかった。渇望した再会が、こんな形であっていいはずがあるか。親友と話を盛り上げながら、酒でも飲んで騒いでもいいんじゃないのか。唐突な別れを告げられて、心に穴が空いた生活を強いられながら、些細な再会パーティーすら許されないのか。
アルディーノは口を開く。「やめろ」。「やめてくれ」。そう心の中で叫びながら、ギルドレイドは聞いてしまった。
「戯言を。我が輩は貴様らの敵だ。そう報告されたから、貴様らは武装して出向いているのであろう? 武器を取れ、誇り高き軍人よ」
アルディーノは戦意を衰えさせない。しっかりと剣を握り、敵を見据えている。
「……っ!」
背中が寒くなるのを、ギルドレイドは感じた。一番聞きたくない言葉を、アルディーノ本人の口から聞いてしまった。やっと帰って来た親友は、ギルドレイドの希望を撥ね除けたのだ。
「アル……なんで」
なんで、戦うんだ。敵になる必要性が、どこにあるんだ。
ギルドレイドには理解出来ない。アルディーノが『悪』になろうとする理由を。アルディーノが家族や親友すら捨ててランクトプラスの敵となった理由を。
英雄と悪役は決して分かり合えない。そうなる覚悟を、アルディーノだけが抱いていた。ギルドレイドは、まだ『親友』を捨てきれなかったのだ。
「おやおやおや。どうしたのです? 勤勉なるランクトプラス軍の諸君。敵が目の前にいるのに、何を呆然と突っ立っているのですか?」
静寂なる戦場に、貫くような一声。ヂール・ランクティアスの丁寧な言葉に、軍人達は戦慄し、固まった。
「ヂール……補佐官」
ギルドレイドは目を見開いてヂールの方を見た。いつの間にか、ヂールは諜報部の部下達を引き連れてギルドレイド達の元へ現れていた。普段は戦場から離れて指揮に専念しているヂールが、わざわざ戦場のど真ん中にやって来たのだ。無意味な散歩ではない事くらい、この場の誰もが理解していた。
「ヂール! 聞いてくれ。アルディーノが帰って来たのだ。敵になるだの何だの意味の分からぬ事を言っているが、間違いなくアルディーノ本人だ! お前も喜べヂール。従兄弟との再会だぞ」
オルディードは目を輝かせてハキハキと喋った。息子の帰還を伝えれば、ヂールもきっと喜んでくれると信じて疑わなかった。そんなオルディードの想像とは裏腹に、ヂールは「くっくっ」と声を押し殺して笑う。
「随分とお元気になられたようで、総司令殿。息子との再会がそんなにも嬉しかったですか? よくもまぁ、僕の許可も無しにペラペラと。貴方は、静かにさえしていれば良いのに」
眉間にシワを寄せて、ヂールは笑いながらオルディードを睨む。ヂールが指を鳴らすと、背後の諜報部軍人達は一斉にオルディードの元へ疾走した。そして、瞬く間にオルディードを拘束する。
「な、何を」
オルディードが戸惑うのと同時に、ギルドレイドが声を上げた。
「何をしているヂール補佐官! 総司令殿に無礼を働くか!」
それは反射的な激昂だった。勤勉な軍人であるギルドレイドにとって、総司令を拘束する行為など認められない蛮行だった。ランクトプラス軍人として模範的な、真っ当な抗議だと言えよう。しかし、ヂールはギルドレイドを一瞥して一笑に付した。
「総司令殿はお疲れのご様子。敵を庇おうとするなんて、ランクトプラス軍総司令の正常な判断とは思えません。えぇ、疲れていたとしか考えられないでしょう。でしたら、忠実なる部下である僕が介抱して差し上げないと」
「な、何をふざけた言い訳を! ヂール補佐官! これは罰則の対象だぞ!」
「罰則? 誰が、僕を罰するのです?」
ニコリと微笑んで、ヂールは答えた。その笑みに浮かぶのは『余裕』だった。罰とは強者が弱者に与えるものだ。最も強い存在は、誰にも罰せられない。ランクトプラスにおいての強さとは『権力』だった。事実上の最高権力者であるヂールを、誰も罰せられはしない。
無論、表向きには最高権力者はオルディードだ。だから、ヂールを罰する存在はオルディードであるはずだ。しかし、ヂールの態度を見てギルドレイドは察する。前々からの疑惑が、ここに至って一層濃くなった。それはもう、確信と呼べる程に。
「ヂール補佐官……あんた、まさか」
ランクトプラスの真の権力構造を把握しつつあるギルドレイドを無視し、ヂールは部下に命じた。
「お連れなさい。戦場に出て来させないように」
ヂールの命令に無言で従い、諜報部の軍人達はオルディードを連行した。「離せ」「やめろ」と喚く総司令を、完全に無視して。
「……悪魔め」
父が奴隷のように連れ去られるのを見て、アルディーノはヂールに言い捨てた。
「『悪』は、貴方でしょう?」
ヂールは余裕を崩さず言い返した。




