第909話 「相談相手」
何度も何度も考えて、否定の材料を探そうとする。その度に、この思いは強くなっていく一方だった。どうやっても頭から離れてくれない。あの失言は、実は我が輩の本心だったのではないか。シエルを妻に迎えたいと、我が輩の心は求めてやまないのだ。
あんな子供を、と呆れる心も僅かにあった。だが、もうそんな狭量な考えは捨てるべきだ。シエルがただの小娘でないのは重々理解している。むしろ、他の大人達の方が余程子供だ。感情に囚われ過剰に騒ぐ『大人』より、知的で落ち着いたシエルの方が大人びている。幼い家出少女のように見えてその実、一人で逞しく生きていく術を持った立派な女性だった。
そう考えると、もうシエルが麗しく見えて仕方がない。彼女の発する知性溢れる言葉の一つ一つが、我が輩を魅了する。
認めよう。我が輩はとっくに、シエルに籠絡されていたのだ。その事実から目を逸らしたくて、我が輩はシエルに距離を置くような態度を取ってしまった。大切な人だからこそ、我が輩の『悪行』に巻き込まれるのが怖かったのだ。
「……どうしたものか」
この感情を、どう扱おう。恋い焦がれた事など初めてなのだ。何ぶん、若かりし頃の我が輩は色恋を「不要だ」と切り捨てていた。今更人を想う気持ちに目覚めたところで、この心との付き合い方を我が輩は知らない。
こんな時に相談出来る相手は、悔しいが一人しかいなかった。
「おいおい、どんな風の吹き回しだぁ? ボスがアタイに奢ってくれるなんてよ」
訝しみつつ、サジェッタはビールをがぶ飲みしていた。この女、我が輩の支払いだと知るや否や遠慮を忘れたようだ。普段から無遠慮に飲む奴ではあったが。
「相談事があってな。その礼の前払いだと思え」
酒場の個室を予約し、高額なコースを注文したのだ。日頃飲んでいるようなチープな酒場とは訳が違う、富豪向けの飲食店である。ここまで散財したのだから、その見返りとして相談の一つくらい乗ってもらわねば困る。
この店を選んだのは、高級である事だけが理由ではない。我が輩のような日陰者が来ても目立ちにくく、情報が漏れにくい場所だからだ。二人きりの個室で、聞き耳を立てる他の客もいない。
「相談? まぁいいけどよ。珍しいな。仕事の話か?」
「いや、プライベートだ」
「へぇ。好きな女でも出来たか?」
「…………」
まだ何も言っていないのだが。こやつ、勘が鋭くないか。もしや我が輩、顔に出るタイプではなかろうな。
「おいおいおい! マジか! こりゃ面白くなってきたぜぇ! ボスも飲め飲め! 聞かせてくれよなぁ、包み隠さず!」
予想が的中したのがそんなに嬉しいのか、サジェッタは急にテンションを上げた。飲酒中のサジェッタが上機嫌なのは見慣れたものだが、いつにも増して楽しそうであった。
「あ、ちょっと待てよ。その女ってのはアタイじゃねぇよな?」
「それだけは絶対に違うから安心するが良い」
「オッケー! これで安心して聞けるな。で、誰だよ? 娼館通りの嬢か? いや、ボスはそういう店行かねえから違うか。ってぇと、誰だろうな。ボスはそもそも女との接点少ねえし」
我が輩に女遊びをする習慣は無い。仕事柄、表社会の女と話す機会も少ない。消去法的に、我が輩の想い人がシエルだとすぐに分かってしまいそうだった。
「貴様に聞きたいのはな、女性との付き合い方だ。つまり……その……恋人や夫婦とは、どういうものなのだろうな?」
サジェッタが推理を進める前に、我が輩は質問を切り出した。するとサジェッタは、ぽかんと口を開けて我が輩を見た。
「はぁ? 何だその質問。童貞みたいな事言ってんじゃねーっつーの。ははっ」
秀逸なジョークを言った後みたいな表情をして、サジェッタはジョッキを呷った。そして飲み干した後、サジェッタは唐突に真顔になって我が輩をじっと見つめる。
「あの……一応聞いておくんだけどよ。一応、な。まさかとは思うが……ボスって、その……童貞じゃない、よな?」
何をそんな、途切れ途切れに聞いておるのだ。大した事を聞いた訳でもあるまいに。
我が輩は、正直に答えた。
「そういった経験は一切無いが、それがどうしたと言うのだ?」
その瞬間、サジェッタは抱腹絶倒した。




