第908話 「シエルがここにいる理由」
その日からシエルは、目を見張るような活躍を現した。シエルの情報網を取り入れたイーヴィル・パーティーは、以前より効率的に活動を行えた。ターゲットになり得る人物の情報、金銭や人材の流通、自警団や警察の動向、潜伏先の候補……数えればキリがない程の情報を、シエルはいとも容易く集めてしまう。シエルの的確な指摘により、イーヴィル・パーティーは一層『悪党』としての評判を上げていく。我々に必要だったのは参謀だったのだと、シエルに会って初めて気付いた。
こうなれば、最初はシエルの参加を渋っていた構成員達も感嘆の声を上げざるを得なかった。「策士だ」「天才だ」と称賛を惜しまない。それでもシエルは増長する事なく、「言われ慣れてますから」と言って淡々と仕事を進めていた。
「しかし、誠に見事なものだ」
我が輩も、シエルの才覚を認める一人であった。シエルは何でも十二分にこなす娘だった。学者だと言っていたが、一体どの分野の専門家なのかと首を傾げたくなる。工学も生物学も脳科学も医学も修めていて、記憶力も思考力も凄まじい。天は二物を与えずという言葉は嘘だと断言しても良いだろう。一分野の専門家に留まらない万能の才女……月並みな表現だが「天才」と呼ぶ他無い。
だからこそ、やはり不思議だ。
シエルのような天才なら、どこででも活躍しただろう。政府だろうと企業だろうとトップレベルに上り詰め、その名を世間に知らしめたはずだ。なのに何故、彼女は我が輩と共に来る道を選んだのか。シエルの名が「イーヴィル・パーティーの参謀」として広まるのが勿体なく思えた。
「シエルよ。貴様は何故、ここに残り続けるのだ」
疑問を収めるのも限界が訪れて、我が輩はついに聞いてみた。シエルが我が輩と共にいる理由。別の組織に属さない理由。純粋に、気になったのだ。
するとシエルは不機嫌そうに我が輩を睨んだ。彼女は今にも泣きそうで、そんな表情を見るのは初めてだったから我が輩は胸に針を刺されたような感覚に陥った。
「オーディン様は……ワタシがいると嫌ですか。オーディン様に認めて欲しくて、頑張ったのに」
「い、いや。違う。そういうつもりで言ったのではないのだ。貴様の活躍は見ておるとも。イーヴィル・パーティーのためによくぞ身を粉にしてくれた」
「イーヴィル・パーティーのためじゃありません。貴方のためですよ、オーディン様」
迫り来るような声でシエルは言う。我が輩のため? そんな、一体何故。
「貴方に会った時から、ずっと思っていたんです。この人を放っておけない。ワタシが支えないとって」
「何を言う。貴様は他に目的があって旅をしていたのではないのか。我が輩に構っておる場合なのか」
家出までして一人旅をしていたのは、何か理由があるはずだ。それは決して、我が輩を支えるためではないはずだ。であれば、イーヴィル・パーティーで働いている猶予は無かろうに。
「それは……オーディン様と一緒にいればいつか叶う願いです。ですが、ここでオーディン様と離れたら二度と会えない気がして……」
シエルには『願い』があった。その願いを後回しにしてまで、シエルは我が輩と共にいる道を選んだ。どうして、そこまで我が輩に尽くしてくれるのだ。これではまるで……。
「我が輩は、『悪』であるぞ。忌み嫌われる存在だ。それでもか」
思考を誤魔化すように、我が輩は言った。シエルは即座に首を横に振る。
「そんな考え、ダメですよ。『悪人だから嫌われる』とか『善人だから好かれる』とか、そういうのは偏見だと思います。ワタシにだって善悪の概念はありますけど、だからと言って善悪で人を判断するような人間にはなるつもりはありません」
目を丸くしてしまうような意見だった。我が輩の半生を覆しかねない概念だった。人は皆、悪を嫌い善を尊ぶものだと、そういう前提があったから我が輩は『悪』として生きる道を選んだのだ。善悪二元論が、我が輩の『悪』としての活動の根底にあった。
だが、シエルは善悪以外にも物事の指標を持っていたのだ。世間の評判に惑わされず、己の価値観で人を見れる。そんな簡単そうな事がいかに難しいか、我が輩はよく知っている。今だって忘れはしない。社会が決めた『正義』に盲目的に従い、社会が決めた『悪』を叩く民衆の姿を。
「……そうか。大層な思想ではないか。それで、貴様の目に映る我が輩は何だ。それほどまでに、我が輩は弱いか?」
「いいえ。貴方は強い。でもそれは、『一人で生きていく強さ』ではないと、ワタシは思います」
「はっ。言いおる。我が輩は一人では生きていけぬと? ならば貴様、我が輩の伴侶になるか?」
売り言葉に買い言葉。我が輩は、シエルの押しの強い主張に勢いよく答えてしまった。自分が何を言ったのか、声に出した後に気付いた。
「…………」
シエルは目を大きくさせて固まっていた。その後我が輩から目を逸らし、背中を向けて去っていく。
「……か、考えさせて下さい」
小さな歩幅でいそいそと逃げていくシエルは、普段の静かな雰囲気とは異なっていた。我が輩は呆然と、シエルを見ているだけだった。
「……な」
我が輩の口から、あんな言葉が出てしまうとは。咄嗟に思いついた返答にしても、もっと他に言い方があったろうに。
明日、シエルにどんな顔で会えば良いのか。胸に宿るモヤモヤした感情は、長年生きてきて初めてのものだった。




