第906話 「放ってはおけなくて」
どこまで行っても、我が輩の後をついて来る少女が一人。シエルは本気で、我が輩と共に行くつもりか。
分かっているのだろうか。イーヴィル・パーティーに所属する事の意味を。
「いい加減にしておけ。我が輩は貴様を養う気など無いぞ」
「養って欲しいなんて言ってないですよ。一人で生きていくのには慣れてますし」
「解せんな。ならば何故、我が輩の隣に立つのだ」
「うーん。目下の理由は、貴方の治療ですね。放っておけませんよ」
「貴様は医者の娘か? 人助けは別の所でやって貰おうか。我が輩に関わるでない」
「いいえ。ワタシは医者の関係者ではありませんよ。でも医学の心得はありますので、貴方の傷を癒すくらいはお手の物です」
「………………」
医者でもない子供が、我が輩を治療するだと? 不安しかない言葉だ。何故シエルは自信に満ちているのだ? 「自力で逃げ出せる」「一人で生きていける」「貴方を治療出来る」と、シエルはどれも簡単に言ってみせる。だが、それが強ち嘘でもないのは感じ取れた。シエルなら出来ると、我が輩までも思ってしまうのだ。
「仕方あるまい。治療が終わればすぐに去るのだぞ」
我が輩は折れた。今まで数多の敵をねじ伏せてきた我が輩が、小娘一人に言い包められていた。大声で恫喝も出来たであろう。暴力で追い出す事も出来たであろう。しかし、通じないのは目に見えていた。シエルは間違いなく、我が輩を恐れはしない。我が輩が世界一の『悪』だと知りつつ、一切脅威に思わないのだ。他の者共とは違う。
我が輩は、根城として使っていた廃屋にシエルを案内した。治療道具はシエルが持っていたので、設備の整っていない環境でも我が輩の傷を治すくらいは簡単だ……とシエルは豪語した。医学の心得があるのは真実のようで、我が輩は為されるがままと患者となりシエルの治療を受けていた。その技術は誰に教わったのかと尋ねると、少し黙った後に「母に」と答えた。
「はい。これで大丈夫です。でもしばらくは安静にしてて下さいね」
シエルはあっという間に消毒を終え、我が輩の傷を縫った。見事な手際であった。
「感謝しよう。だが、我が輩に借りを作った気になどなるな。イーヴィル・パーティーに取り入るつもりだったのかもしれぬが、我が輩は子供を仲間にする気は無い」
シエルが我が輩の世話をしてくれたのは、イーヴィル・パーティーに仲間入りしたいからかもしれないと思った。だが、我が輩の悪行に子供を巻き込む訳にはいかない。貸し借りは、感謝の言葉で帳消しだ。
「はぁ、子供扱いですか。確かにワタシは11年しか生きてませんが、これでも故郷では大人顔負けの学者だったんですよ」
シエルはムッとした顔で言った。
「学者?」
「失礼。余計な事を言いました」
シエルはそれ以上掘り下げようとはせず、治療道具を片付けた。
「とにかく、ワタシはまだ貴方について行きますよ。言いましたよね? 治療は目下の理由だと」
「強情な娘だ。貴様の善意を無下にはせんが、それはそれとしてイーヴィル・パーティーに来てはならん。有能な悪党でもない限り、我が輩の組織には認めんぞ」
我が輩はシエルを睨みつけて拒絶した。だが、シエルは一歩も引かない。
「恩を売るつもりはありません。でも、今言質を取りましたよ。ワタシが有能な悪党になれば、貴方と一緒にいてもいいんですよね?」
「……正気か? 貴様」
「えぇ、もちろん。ワタシ、こう見えて色々出来るんですよ。決して貴方の足は引っ張らないと約束しましょう」
「分かっておるのか。我が輩は世間に疎まれる悪党であるぞ。家出しただけで悪い子ぶっておるのかもしれんが、その程度の悪意で続けていけるような組織では……」
「もう、しつこいですね!」
シエルは頬を膨らませた。しつこいのはどちらだと言いたかったが、シエルの声の勢いに潰されて何も言えなかった。
「子供じみた軽いノリで言ってるのではありません。これは、ワタシの意思です。貴方がどんな悪人でも、ワタシの意思は無視させませんよ」
「……何故だ。何故、そこまで我が輩に同行しようとする」
不思議だった。我が輩から逃げる者は多く、我が輩を敵視する者も多かった。イーヴィル・パーティーの仲間さえ、我が輩を利益のための道具として見ているだろう。我が輩は世間にとって『悪党』という記号でしかなく、それ以上の価値は無いはずだ。
それなのに、シエルは我が輩を見ている。『オーディン・グライト』ではなく、我が輩を見ている。逃げもせず、恨みもせず、恐れもせず、純粋な好意で我が輩と共に行こうとしている。そんな人間に会ったのは、『悪党』として行き始めてから初めてであった。
「放っておけない、って思っちゃったんですよね。貴方を見た時」
汚れの無い笑顔を向けて、シエルは言った。




