第902話 「悪への道」
爆撃跡と血痕で見る影も無くなった道路を進む。かつては賑わっていたであろうこの町は、今や数える程度の人が彷徨うだけ。限りなく廃墟に近いこの地域は、ランクトプラスの植民地だ。侵略戦争に敗北し、ランクトプラスに忠誠を誓わされた国。いや、『国だった』場所だ。
「店主よ。新聞を売ってはくれないか」
寂れた新聞屋を訪れ、我が輩は店員の男に声をかけた。彼は寝ぼけ眼で我が輩を見て、徐ろに新聞を渡してくる。
「金なんざ意味ないさ。買い物する場所すら壊れちまった。持ってきな。どうせ、ランクトプラス軍からの配給で貰った新聞だ」
店主は商売を諦めていた。滅びかけのこの町で、既存の貨幣に価値は無い。植民地はランクトプラス軍の配給によって生活し、経済活動を管理されている。新聞屋とて、自由に出版する権利など持たない。ランクトプラス軍にとって都合のいい情報を、無料で配るだけの機関となっていた。
「……ありがたく頂こう」
ランクトプラス軍の支配の現状を目の当たりにしつつ、我が輩は新聞を受け取った。ランクトプラスの情報を知る手段が、とにかく必要だったのだ。
「兄ちゃん、旅人さんかい? こんな時代、しかもこんな場所に旅なんて、奇特な人もいるもんだ。くれぐれも、ランクトプラスに刃向かっちゃいけないよ」
店主は忠告してくれた。この町でランクトプラスは確固たる権力だ。誰一人として逆らえない。しかし、それを我が輩に言うのは些か滑稽な話だった。
「心配は無用だ。我が輩は既にランクトプラスを裏切っておるのでな」
我が輩は新聞屋を後にした。
我が輩がランクトプラスから逃亡して、一週間が経とうとしていた。根無し草の生活も板についてきて、すっかり旅人の風格だ。ランクトプラスを出た後も、我が輩はランクトプラスの情報を詳しく調べていた。いつ新聞を買っても、一面に書いてある事は同じだ。
アルディーノ・ランクティアスが行方不明。
それだけが話題だった。諜報部襲撃事件さえ、我が輩がいなくなった次の日くらいにしか報道されていなかった。一般人が行方不明ならば、このような大々的に報道される事はあるまい。ランクティアス家の長男……しかも英雄オルディードの息子が消えたのだから、このような大騒ぎになったのだ。
我が輩を探す部隊も派遣されているようだ。だが、軍は我が輩を死亡したものとして扱っているらしい。そして何より目を引いたのは、父上が長期休暇を取ったという記事だった。
「父上……」
我が輩が行方不明になったせいで、心労を患い職務が果たせなくなったとの事だ。父上の気持ちを鑑みれば、胸を痛めざるを得ない。全て我が輩のせいだ。
だが、受け入れなければならない。人類を救うため、我が輩は父上さえも苦しめる覚悟をしたのだ。それが、『悪』になるという事だ。
「進まねばな。それが、せめてもの贖罪だ」
計画は一歩一歩進行している。『イーヴィル・パーティー』という犯罪組織を作るため、目ぼしい人材を探していた。もっと人の多い地域に行けば、人材獲得も捗るだろうか。
そして、悪行も積んでいかねばならない。小さな悪でも良い。着々と悪評を重ねて、世間の憎悪の矛先を我が輩に向けるのだ。我が輩は悪のための悪。悪そのものの概念となるのだ。
まずは窃盗から始めてみようか。いざ「悪行をしよう」と考えても、『悪い事』とは何か具体的に言うのは難しい。何となく、泥棒こそが悪行の基本であるような気がした。
我が輩はボロボロの民家に侵入した。庭に落ちている小さな鍬を拾ってみる。仕事の道具だな。これが無くなれば、持ち主はさぞ困るであろう。実に悪だ。悪い事だ。
「……よし」
我が輩は意を決して鍬を盗んだ。鍬など要らんが、盗む物自体はどうでも良い。盗むという行為に意味がある。
「…………」
鍬を持って民家を離れたところで、ふと足を止めた。やめておいた方が良いかもしれん。鍬など盗んだ所で……他にも盗むべきものがあるかもしれぬし……いや、もっと他の場所で……。
「やはり、別のものにしておくか」
我が輩は鍬を元の場所に返した。分かっている。これは言い訳だ。悪党が持つべきでない、下らない自己正当化だ。盗みをしない理由を羅列している時点で、我が輩はまだ悪党の域に達していない。
「……未熟だな。我が輩は」
悪党になるのは、案外簡単ではないらしい。道はまだまだ長い。




