第897話 「ランクトプラスの公開処刑」
逃げるように我が輩は、街に繰り出していた。街は静かであった。大通りにも通行人がいないのだ。見慣れぬ光景に我が輩は、一抹の不安を感じた。
一人だけ、我が輩の前を通る者がいた。覚束無い足取りの老婆であった。我が輩は「もし」と声をかけてみる。
「今日は何かあったのか」
「はて。おかしな事をおっしゃる。今日は公開処刑の日だとお達しがあったではないですか」
老婆は首を傾げた。言われてみれば、と我が輩は思い出す。ランクトプラス軍は定期的に死刑の執行を民衆に公開していた。平和とは言い難いこの時代、凶悪犯は大勢いた。故に民衆は刑罰の強化を求め、その政策の一つが公開処刑だった。
見物人の怒りを一身に受けての処刑。そんな最期を迎える者は、さぞ罪を悔やむであろう。そういう思想の下、公開処刑は国家的な『是』とされてきた。犯罪を抑制するための正義であると。
「処刑は、どこで行われるのだ」
「この先の広間でございますよ。若者よ。見に行かれるとよろしい。儂はもう見慣れたものですが、これから国を担う若人は、ランクトプラス軍の偉業を目に焼き付けておくべきでしょう」
そう笑って、老婆は去って行った。我が輩の足は広間へ向かっていた。処刑に興味があったからではない。我が輩が知るべきなのは、それを見る民衆の方だった。
広間は大変賑わっていた。町中の老若男女が集まっているのではと思う程に、野次馬だらけであった。軍の関係者である我が輩は、公開処刑など業務の一端でしかないと認識していた。しかし、民衆にとっては一大イベントなのだ。
そう、イベント。処刑の瞬間を今か今かと楽しみにして笑う民達を見れば、分かってしまう。これは娯楽なのだと。
「聡明なるランクトプラスの民よ! 悲しき事にまた一人、国に牙を向ける愚かな悪人が生まれてしまった! より良き社会のため、国家の正義のため、悪は断固たる意思で裁かねばならない! 民よ! ランクトプラスの正義を刮目して見よ!」
軍人が見物人達に対して大声で宣言する。毎度おなじみのオープニングのようなものだ。公開処刑の度に叫ばれた文言を聞いて、市民は大いに湧き立った。「待ってました」と言わんばかりに。
処刑台には貧相な男が連れられた。彼は必死に抵抗しながらも、両腕を軍人に掴まれて自由を奪われていた。死に行く間際、彼は鬼のような形相で民を睨んでいた。周りの国民も、死刑囚を憎悪の目で睨み返す。
「このクズめ!」
「ランクトプラス国民の恥!」
「地獄に落ちろ!」
罵詈雑言が飛び交う。会ったことも無いであろう男に対し、『善良な』市民が罪を咎める。今にも死刑囚に飛びかかって殴りそうな勢いだが、軍に禁止されている行為なので誰も行わなかった。
軍人が死刑囚の罪状を告げる。この男が如何に凶悪で、国家の敵であるかを、言葉巧みに訴える。民衆は軍人達と共に怒り、嘆き、殺意を爆発させた。
この光景を我が輩は、後ろで見ていた。この感覚を、我が輩は知っている。昨日今日の事だ。忘れるはずもない。
止めたいと一瞬だけ思った。だが、無駄であるとも分かっていた。『悪』ならばどんなに巨大であろうと止められるが、『正義』を止める術は無いのだと知らしめられたから。
喧しい。喧しいぞ。
その口を閉ざせ。怒りながら笑うな。人を傷付けながら被害者面するのをやめろ。
そんな矛盾を見せられたら、我が輩の大切な信念が壊れてしまうではないか。
「ではこれより、死刑を執行する。国に仇なす罪人には、絞首の苦痛が相応しい!」
気付けば、間も無く処刑が執行される所だった。首吊り台が用意され、死刑囚が立たされる。彼は泣き喚きながら恨みの言葉を撒き散らした。その生にしがみ付く姿を、一般市民達は嗤うのだ。
「無様だ」と。
「……何故、盛り上がるのだ」
これから人が死ぬのだぞ。罪人であろうと、人は人だ。我々と同じ命だ。それが、無理矢理奪われるのだぞ。
何故嬉々として見守っている。食い入るように見つめている。気楽に傍観している。
処刑台の外にいる状況が、そんなに嬉しいか。『正義』の側にいるのは、そんなにも愉快か。
「くそっ! この国は腐ってる! 人殺しの国だ! 死ね! お前ら全員死んじまえ!」
首に縄をかけられ、死刑囚は民衆へ叫んだ。民は、「お前こそ死ね!」と言い返す。実に不毛な侮蔑の応酬が、広間を埋め尽くした。
この世全てを憎むような、死刑囚の目。その目を、我が輩は見た事があったのではないか。
「……あ」
死刑囚の足元の椅子が、無情にも取り払われた。縄は首を締め付け、命を奪っていく。その瞬間、我が輩は処刑台の上へ声を出していた。
「ヅィック!」
死刑囚の顔がヅィックに見えたのだ。それは幻覚であるとすぐに分かった。だが確かに、一瞬だけだがそう思えてしまったのだ。似ても似つかぬその顔を、何故見間違えたのか。
境遇が似ているのだ。己を『善良』と信じる人々と、『悪』として蔑まれる個人。嬉々として行われる加害と泣き喚く被害者。多数派の『正義』が、少数派の『悪』を追い詰めるこの光景。
見覚えがあって当然だったのだ。ヅィックが自殺した日にクラスメイト達が見せた、あの笑顔。今の見物人達と瓜二つだ。
処刑台にぶら下がる首吊りの死体は、あの日のヅィックを思わせる。
「おぉ、これはこれは。アルディーノ坊ちゃんではありませんか。ご機嫌麗しゅう」
呆然と立つ我が輩に、中年男性が声をかけた。ハッとして振り向くと、そこには父上の部下がいた。彼とは仕事柄、たまに話す事がある。さほど親しくは無いが、向こうは我が輩を「坊ちゃん」と呼んで懇意にしてくれていた。
「あ、あぁ。久しいですな」
我が輩はとりあえず返事をする。上手く喋れている自信が無かった。彼は気にもしていないようだが。
「坊ちゃんも公開処刑をご覧にいらっしゃったのですか。いやぁ、流石はオルディード殿の御子息。熱心で良い事です。将来は立派な英雄になられるでしょうなぁ」
軍の仕事を見学に来たのだと彼は思ったようで、勝手に我が輩に感心していた。彼の発した『英雄』という単語に、我が輩は胸を刺された気分だった。
何故だ。我が輩にとって『英雄』とは、目指すべき目標であり、希望そのものだったはずなのに。どうして今は、その言葉を聞きたくないのだ。
「英雄……ですか」
「左様。ご覧下され。あの悪人の残虐な死に様を。あれこそが罪人の末路。民は理解するでしょう。ランクトプラス軍に従い、国のために生きる事が、あのような苦しみから逃れる最善の方法だと。うむうむ。これで一層、秩序は保たれるというものです。まさに英雄の所業ですな。実に胸のすく思いだ」
彼は満足げに言った。ランクトプラスの行う公開処刑を、『英雄の所業』だと。
彼は真面目な軍人だ。努力を続け、上官や年長者に従い、秩序を重んじて生きている。だから彼の発言に悪意などあるはずもない。罪人の処刑は『正義』であり、それを肯定する彼もまた『正義』だ。
だがその『正義』は、我が輩が目指していたものなのか? 我が輩がなりたかった英雄は、こんな光景を見て歓喜に震えるような存在なのか?
違う。
違う違う違う違う!
父上は決して! 大勢で一人をいたぶるような真似はしない! 命を侮辱したりはしない! 己の行いに驕り高ぶったりはしない!
何故なら父上の正義は国のため、人類のためにあるものだからだ! 断じて、人の死を嘲笑って満足するような私利私欲ではない!
「もう……やめてくれ」
我が輩は耳を塞いだ。『正義』を名乗る輩の笑い声は、我が輩の『正義』を壊すのに十分すぎた。
確固たる信念だと思っていたものは、簡単に揺らいでしまった。我が輩は目標を見失ったのだ。行くべき道を迷ってしまったのだ。
この光景がランクトプラスの『正義』であるならば、我が輩の目指す英雄は何なのだ? 我が輩は、どうするべきなのだ。
我が輩は走りに走って家へ帰った。父上なら、こんな時どうするであろうか。聞かねばなるまい。寄る辺を見失った我が輩に、行き先を示してくれるのはやはり父上なのだから。
どうか。どうか教えて頂きたい。我が輩が目指す『英雄』とは何なのかを。




