第896話 「悪意なき悪」
ヅィックの自殺は学内で話題となった。皆は生徒の死を嘆き悲しむ……なんて事は起きなかった。クラスメイト達はあからさまでないにしても、ヅィックの死を喜んでいた。仲間内で陰口を言う者もいた。
「本当、死んで清々するぜ」
「天罰よね」
「死んで当然の奴だったんだよ」
最初聞いた時は耳を疑った。仲間が死んでそんな事を言えるのかと。悲しむどころか、喜ぶなど。
ヅィックの自殺を嗤う者達の表情には見覚えがあった。あれは、どこで見たものだったか。
「おい、貴様ら」
我が輩はついに我慢ならなくなり、ヅィックの命を侮辱した者共に問い質した。
「奴とて共に軍人を目指した仲間であろう。そのような謗りを言うべき道理がどこにある」
するとこの者共は、きょとんとした顔で逆に聞いてきた。
「アルディーノ君は嬉しくないのか? あいつ、君にしつこく纏わり付いてただろ」
「……は?」
思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまった。一体何の話をしているのだ。
「そうそう。アルディーノ君に嫉妬してるからって、本当うざいよね」
「大丈夫? あいつに悪口言われたらしいけど」
クラスメイト達は、何故か我が輩を心配するような口調だった。同情や共感と言い換えても良い。どうであれ、我が輩に向けるべき感情でないのは間違いない。今哀れまれるべきはヅィックであり、我が輩は一切心配されるような状況ではないのだから。
「なんだその噂は。事実無根にも程がある」
「そうなの? でもアルディーノ君、いつもヅィックと一緒にいたじゃん」
クラスメイトは首を傾げていた。我が輩がヅィックと共にいた事は、確かな事実だ。だが、それは『纏わり付かれた』のではない。我が輩の方からヅィックを追い、修行しようと誘ったのだ。ヅィックは我が輩に何も迷惑をかけていない。我が輩は全くもって『被害者』ではないのだ。
しかし、こ奴らはそう思わなかった。我が輩を『被害者』として勝手に哀れみ、ヅィックを『加害者』として勝手に憎んでいた。
「ヅィックってマジで性格終わってるよな」
「弱いくせに強がって、人を見下すし」
「アルディーノ君が可哀想だよ」
口々に、そんな事を言う。事前に打ち合わせでもしたのかと思う程に、皆が同じ意見に向けて走っていた。皆で決めた『正解』以外認めようとはしなかった。
我が輩が『正しい』側で、ヅィックが『悪い』側。……そんな『正解』が、勝手に出来上がっていた。
「……待て。貴様ら」
我が輩の声は届かない。我が輩の味方ぶる発言をしておいて、我が輩の言い分には全く耳を貸さない。クラス全体はヅィックを罵倒して盛り上がり、暴走していた。
喧しい。実に、喧しい。
「待てと言っておろうが!!」
我が輩は叫んだ。声に出した後に、こんなにも我が輩は怒っていたのかと自覚する。
教室は急に静まった。皆の視線が我が輩に注がれる。我が輩が何故怒号をあげたのか、誰も理解していないようだった。何も考えてなさそうな困惑の表情が、それを証明している。
「……おいおい。どうしたんだよ。珍しく感情的じゃん、アル」
教室の入り口で、ギルが我が輩を見ていた。今度は一同の視線がギルに向かった。ギルは一目見ただけで状況を理解したようで、我が輩に笑顔を向けて頷く。
「……ギル」
ギルの顔を見て、我が輩は少し落ち着きを取り戻した。我が輩の足はギルの元へと急ぐ。ここから距離を置きたかった。こんな異様な空間に長居出来るものか。ここには、思考を失った愚か者しかいない。
きっとギルだけなのだ。我が輩の気持ちを理解しようと頭を働かせてくれるのは。
「落ち着いたなら、ちょっと来てくれよ。話があるんだ」
ギルは我が輩を誘って廊下を進んだ。断るはずもなく、我が輩はギルについて行った。
「自分のせいだ、って思ってるだろ」
人けの無い中庭で、ギルは開口一番そう言った。
「我が輩の責任でないとしたら、何だと言うのだ」
「お前は責任感が強すぎるんだよ。弱すぎるよりはよっぽどマシだが、今回ばかりは自分のせいにすんな。ヅィックを追い詰めたのはお前んとこのクラスメイトだ。お前じゃない」
「我が輩は奴を救えなかったのだぞ。何度も手を伸ばしていながら……」
「それが駄目だったのかもな。皮肉な話だが」
ギルは下唇を噛んで言う。助けようとした事が駄目だっただと? 馬鹿な。
「人気者のお前が嫌われ者のヅィックと一緒にいるのが気に食わない、って奴がいたんだろうよ」
「何だと」
「これもまた、嫉妬なのかもな。理屈じゃない。感情だ。だから理解しようとしなくていい」
「……いや、分かったぞ。下らぬ感情にヅィックは翻弄され、追い詰められたという訳だな」
我が輩がヅィックに近付いたせいで、周囲の嫉妬を暴走させてしまったとしたら。それはやはり、我が輩のせいではないのか。我が輩のせいで、ヅィックへの暴行や侮辱は加速し、状況はどんどん悪化してしまった。ついには、ヅィックに自殺をさせるまでに。
全ては身勝手な感情が生んだ悲劇なのだろう。ヅィックも、クラスメイト達も、そして我が輩も。誰も彼もが、己の感情ばかりを優先して行動した結果、惨劇は広がっていった。全てを大団円に持って行ってくれる『英雄』は、どこにもいなかったのだ。
「だから、お前は悪くないんだ。気にするな」
ギルは我が輩を気遣ってくれた。だが、ここでギルに甘えるような我が輩ではなかった。
我が輩が悪くない事も、きっと原因の一つなのだろう。ならば『悪くない』事が『悪』だとも言える。
「ギルよ。我が輩は何故、奴らに哀れみの目で見られたのだ」
「哀れみ?」
首を傾げるギルに、我が輩は教室で起こった事について説明した。ギルはそれだけで、奴らの気持ちを推察してみせた。
「単純なこった。人は、好きな人の味方をしたがるからな。人気者のお前は、それだけで『味方』を増やしちまう」
「我が輩がいつ、そんな事を望んだというのだ。偽りの噂を流し、ヅィックを悪者にしろなどと」
「お前が望んでなくても、あいつらは勝手にやるんだよ。余計なお世話、って奴だな。余計なお世話は、される側は嫌がるけど、する側は嬉々としてやる」
「なんと……身勝手な」
怒りと共に、やるせない気持ちがこみ上げてきた。奴らは『善意』で我が輩の味方をしているというのか。ヅィックを悪者にして、我が輩の味方ぶる行為を。それが偽善である事を、奴らは知らぬのだ。
「善行は楽しいもんな。だからこそ、気付きにくい。それが余計なお世話だって」
ギルの言葉は、きっと我が輩のクラスメイトに向けてのものだろう。だが、一番胸を貫かれたのは我が輩だった。我が輩は何故ヅィックを助けようとしたのか……それは、『正義』だと信じたからだ。
あぁ、我が輩は今になって気付いたのか。我が輩の行動は、我が輩の正義は、結局『余計なお世話』だったのだと。
我が輩は、己を『正義』だと思い込んでいた。周りも我が輩を『正義』として扱った。その結果が、これだ。ヅィックは『悪』のレッテルを貼られ、偽善によって殺された。我が輩が『悪くない』事こそが、ヅィックを殺したのだ。
それこそが我が輩の罪。ならば我が輩は言い続けよう。「我が輩が悪いのだ」と。
この罪から逃れようとするなど、傲慢でしかない。
我が輩の人助けは、道を誤った。こうなるくらいなら、「助けよう」などと思わない方が良かったのだ。
「……少し、考えさせてはくれまいか。一人になりたいのだ」
我が輩はギルに背を向け、校舎の外へと向かった。ギルに世話になっておきながら唐突に「一人になりたい」など、我儘かもしれん。だが、ギルは快く我が輩を見送ってくれた。
「気を落とすなよ」
すまぬ。分かっておるのだ。悔しいのは、我が輩だけではない。貴様もであろう、ギル。




