第893話 「修行の勧誘」
放課後、図書室に向かうとギルが読書をしていた。どうやら、大衆向けの小説を読んでいるらしい。
「ギル。何を読んでいるのだ?」
「おう、来たかアル。司書さんに聞いてみたんだ。ヅィックが普段何を借りて読んでるかってな。そしたらこれを貸してくれた」
ギルは本を閉じ、我が輩に渡した。軽く読んでみたが、普段小説など嗜まない我が輩にはよく分からない。
「どんな物語なのだ?」
「冒険小説だな。異世界に行った少年が、強大な力で敵を倒していく話。最初は最弱だと謗られていた主人公が、実は最強だったと判明していくのが醍醐味らしい」
「ふむ」
最弱が最強か。そんな事をヅィックも言っていたな。しかし、この小説はフィクション。現実ではない。
「ヅィックの趣味を知ってどうする気だ?」
「これから一緒に強くなろうって相手を知らずして、そっちこそどうする気だよ。まずはヅィックの気持ちを理解する。そこからだぜ」
「くだらんな。奴には強くなるべき理由がある。ならば自ずと力を求めよう。我が輩との修行を断るはずもない」
我が輩はギルの考えを一笑に付した。ヅィックは我が輩について来てくれるはずだと、信じて疑わなかったのだ。人は皆必死に努力するはずだと、希望論で語っていた。
「そうか? まぁ試してみないと分からないが」
「行くぞギル。ヅィックはどこにいる」
「もうすぐ来ると思うぜ。……ほら、噂をすれば」
ギルは図書室の入り口に視線を向けた。そこには、俯きながら図書室に入るヅィックの姿があった。猫背で歩く彼は、全身に失望を漂わせていた。
「あいつ、最近毎日図書室に来てるんだと。司書さんが言ってた」
ギルはヅィックの元へ向かった。我が輩も共に向かう。我が輩らに気付いたヅィックは、ぎょっとした表情でこちらを見た。
「お、お前はアルディーノ・ランクティアス! 俺に何の用だよ!」
ヅィックの声は僅かに震えていた。取って食おうとしている訳でもないのだから、そんなに怯えなくとも良かろうに。
「貴様を探していたのだ。我が輩が直々に、貴様をしごいてやろう」
「し、しごく!? お前まで俺を……」
「おいおいアル。ヅィックが怯えてるぜ? 誤解を招く言い方はやめとけ」
ギルは我が輩とヅィックの間に入って、説明を始めた。
「安心してくれヅィック。アルはお前をいじめたい訳じゃない。むしろお前の味方だ」
「何だよ、お前……」
「俺はギルドレイド・クルス。お前の事は聞いてるぜ。クラスメイトにいじめられてるんだろ? あいつらを見返してやりたいと思わないか? 俺達と一緒に強くなって、やり返してやろうぜ」
「ギルドレイド……! 学年二位の……」
ヅィックは戸惑いながら我が輩とギルを交互に見た。我々の意図がイマイチ掴めていないようだった。
「暴行と嘲笑を浴びる日々は、さぞ辛かろう。だが、黙って受け入れているだけでは奴らは増長するだけだ。反逆の意思を見せねば事態は収まらん。今のままでは勝てんと言うなら、修行して強くなるのだ。我が輩も力を貸そう」
「修行だって? お前と一緒に?」
「そうだ。貴様は鋭い闘志を持っているはずだ。磨けば必ず光る。我が輩に木刀を向けたあの時の情熱を思い出せ。貴様は万年最下位で満足なのか? 違うであろう」
「…………」
ヅィックは再び俯いた。返事が無いので不思議に思い顔を窺ってみようとしたが、すぐに「やめろよ」と小さな声で拒まれた。
「ここなら一人にさせてくれると思ったのに……。俺の邪魔するんじゃねえ!」
ヅィックは脱兎のごとく逃げ出した。去り際に放った怒号は、廊下に響き渡った。
「おい! 待て貴様!」
我が輩はヅィックを追いかけようとしたが、ギルが我が輩の腕を掴んで止めた。ギルは首を横に振って言う。
「追うな。ちょっと俺達、焦りすぎたみたいだな。日を改めようぜ」
「何を言う。悠長に待つ時間があるものか。奴の軟弱さを一刻も早く治さねば……」
「あいつはお前じゃないんだ、アル。誰もがお前みたいに全力で頑張れるとは限らない。努力をせず、現実から逃げたがる奴も大勢いるんだぜ」
「奴もそうだと言うのか」
実に愚かだと思った。理不尽な仕打ちを受けておきながら、戦おうとも強くなろうともせず、ひたすら現実逃避だけしているというのなら。
そんな怠け者がこの学校にいる事が信じられなかった。ならば一層、奴の弱さを叩き直さねばならない。それが『正義』だと信じた。
「貴様は我が輩と共に鍛錬の日々を過ごしたではないか」
「そりゃ、俺だからだ。少なくともあいつは、お前と肩を並べて走る体力は無い。無理させんな」
ギルはヅィックに甘いように思えた。学業も実技も最下位のヅィックが、怠けている暇などあるものか。
「我が輩は諦めんぞ。弱いままで良いなど、あり得るものか」
この時我が輩は、『正義』を貫こうとしていた。父上のような英雄になるためには、ここで自らの『正義』を捨ててはならない。必ずヅィックを強くし、大団円に導くのだと決意した。
我が輩はまだ気付いていなかった。強固な『善』が生み出す歪みに。




