第889話 「『オーディン・グライト』の起源」
これは夢か? 否、現実だ。
我が輩が確かに見たもの。確かに聞いたもの。確かに感じたこと。全てが我が輩の過去だ。そして、我が輩が我が輩たる所以だ。
思い出せ。いつまで拒絶し続けているつもりだ。我が輩の信念は、過去と向き合った程度で崩れるような脆弱なものだったのか? 違うであろう。
一つ一つ、順番に。最初から我が輩のルーツを辿るのだ。この先行くべき道を見るために。
まず、一番目に思い出した事。
我が輩の名は、アルディーノ・ランクティアスだ。
時は45年前。『はじまりの日』から5年しか経っておらず、今よりも遥かに世が荒れていた頃。
我が輩は、ランクトプラスで生を受けた。
「アルディーノよ。お前は英雄になるべき男だ」
父上からはいつも激励の言葉を頂いた。父上はランクトプラスの大英雄で、軍人の鑑であった。当然息子である我が輩も、父上の意思を継いで英雄になる定めなのだ。
我が輩は幼い頃から父上の厳しい教育を受けた。並の者なら泣き出してしまうような過酷な訓練だったが、我が輩は決して弱音を吐かなかった。むしろ日々の訓練が楽しみですらあった。父上が我が輩に期待してくれているのがひしひしと伝わってきたからだ。我が輩もいつか、父上のような立派な軍人になろうと夢見ていた。その夢のための修行が、楽しくないはずがない。
由緒正しきランクティアス家に生まれた長男として、恥じない人生を送りたかった。自分のためではなく、他人のため、国家のため、世界のために努力したかった。英雄オルディード・ランクティアスは、そんな栄光ある父だったのだ。
我が輩は6歳の時に軍事学校に入学した。ランクトプラス軍が運営する、軍人になるための国立学校だ。ランクトプラスで最も厳格で、勉学と戦闘訓練の両方に力を入れた学校である。学費が安いからと安易に我が子を入学させる親も多かったが、そのように気軽な感覚で入った者は殆ど中退した。ランクトプラス軍は生半可な覚悟で入れはしない。長年の厳しい修練に耐えた者だけが入隊を許される。何故なら、ランクトプラス軍は国家の命運を背負っているのだから。
我が輩は入学当初から頭角を現していた。勉学でも軍事訓練でも成績優秀で、天才だなんだの持て囃されたものだ。だが、そんな喝采などに興味は無かった。この程度、我が輩にとっては当然の事だったのだ。父上の顔に泥を塗る訳にはいかない。あのオルディード・ランクティアスの息子なのだから、成績が優秀でなければいけないのだ。名家に生まれた責任というものは、決して軽くない。
我が輩は立派な軍人になる事以外に興味は無かった。息抜きとして放課後に遊びに行く生徒もいたが、我が輩は同席しなかった。大切な時間を、修行以外に使うなど勿体無い。
だから我が輩に友人は不要だ。そう思っていた。だが、奇特なあの男だけは我が輩と友人になりたいなどと言いおった。
「俺、ギルドレイド・クルス! お前ってすげえんだな! 俺と友達になってくれよ!」
屈託の無い笑顔で我が輩に話しかけた少年。ギルドレイド・クルス。我が輩の唯一の学友にして、やがて将軍になる男だ。
ギルドレイドは我が輩と同じく6歳の時に入学した者だった。ならば名家の子かと思ったが、どこにでもあるような庶民の生まれらしい。
「うちって貧乏だからよ。普通の学校には行けないんだ。でも母さんが学校には行っとけって」
学費の安さ目当てで軍事学校に来たらしい。そんな稚拙な考えではすぐに辞めるだろうと、その時はタカをくくっていた。だが、意外にもギルドレイドは厳しい授業に耐えた。一年経っても無遅刻無欠席、真面目に勉強を続けていた。
そして、我が輩に声をかけるのも毎日続けていた。
「アルディーノってさ。自分の事『我が輩』って言うよな。なんで?」
「父上のようになりたいからだ」
「へぇー。かっこいいじゃん」
子供が『我が輩』などと言うのは変だと、周りの学生は笑っていた。だがギルドレイドだけは我が輩を褒めた。正直、そんなギルドレイドこそ変わった奴だと思った。
「何故、我が輩と共にいる。我が輩は遊びになど行かんぞ。つまらないのではないのか?」
ギルドレイドが我が輩の友人になりたがる理由が分からなかった。ランクティアス家と仲良くなっておけば有利だと打算があったのだろうか。それとも、遊び仲間が欲しかったのだろうか。だとしたら、他の者と仲良くした方が良かろうに。
「え? 友達になるのに理由が要るか? うーん……。強いて言うなら、お前といると楽しいから……とか」
「楽しい? 我が輩がか?」
「そ」
「何を言うか。遊びにも行かず、空いた時間に話す程度の仲が友か?」
友人とは、群れて遊び呆ける関係なのだと思っていた。だから我が輩は『友人』という関係を馬鹿にしていたのだ。不真面目で不健全だと。しかし、ギルドレイドは首を傾げた。
「まぁ移動教室ん時と昼休みに話すだけだけどよ。それって友人じゃないのか?」
真剣な顔で尋ねるギルドレイドを見て、我が輩は自分の勘違いに気付いた。『友人』の定義が、我が輩とギルドレイドで違っていたのだ。ギルドレイドにとって、我が輩はとっくに友人だった。
そう思った時、我が輩もギルドレイドを友人だと思えた。友というものも、案外馬鹿には出来んと。
「貴様と話していると、新たな発見があるな」
「それって褒めてる?」
「さぁ、どうだろうな」
我が輩は笑った。学校で笑ったのは、これが初めてだったかもしれん。
「アル! また学年一位か! 本当、お前には敵わねえな」
定期試験の発表日、ギルは我が輩を褒めた。この頃にはお互い「アル」「ギル」と呼び合っていた。長い名前は言いづらい。
「貴様も二位ではないか、ギル」
「また二位なんだぜ。今度こそお前を追い越せると思ったのによ」
本気でギルは悔しがっていた。ギルは親友であると同時にライバルだった。その関係は悪くない。共に競い合える仲間がいれば、我が輩も慢心せずに努力出来る。
「次も負けはせん」
我が輩はそう返したが、毎回我が輩と僅差で二位になるギルを尊敬していた。由緒ある家柄でもないし、何の責務も負っていないのに、ギルは努力し続けた。努力というものは成長に必須であるが、誰もが簡単に出来るものではない。我が輩とて、偉大なる父上がいなければ怠けていたかもしれない。努力し続けるためには目標が必要なのだ。
おそらく、ギルの目標は我が輩であろう。我が輩を越して一位になる日を夢見てギルは頑張り続けているのだ。ならば一層、我が輩は精進しなくてはならない。我が輩が二位になった時、ギルの目標は消えてしまうのだから。
お互い心身共に成長し、17歳になっていた。軍事学校は初級課程が6年、中等課程が3年、高等課程が3年の計12年間だ。我が輩は6歳で入学したので、後一年で卒業になる。
「きゃっ。アルディーノ様よ! ギルドレイド様もご一緒!」
「今、私の方見てくれた!」
「あぁ、今日も凛々しいですわ!」
我が輩やギルが年頃の男子になると、女子生徒から色恋の対象として見られる事も多くなった。常に成績のトップを取り続ける我々は、全校生徒の憧れの的であった。
「おはようさん! 麗しいお嬢さん方!」
ギルは女子生徒に気取った挨拶を返す。その度に女子生徒はキャーキャーと嬉しそうに叫ぶのだが、その様子を毎朝見せられるのは疲れる。
「アルは彼女とか作らんの? そんなにモテんのに」
「女にうつつを抜かす暇は無い」
「さいですかい。もったいねーの」
「貴様は浮かれているようだな。何人恋人がいるのだ?」
「おいおい、人を浮気性みたいに言うなよ。同時に二人と付き合った事は無いぜ? とか言って、今は独り身なんだけどよ」
「別れたのか?」
「勉強や修行ばかりでデート出来なかったからな。フラれた」
そう言って笑うギルは、さほど悔しそうではなかった。女子に人気になり始めてからも、ギルの成績は全く落ちていない。ギルは学生の本分を忘れていないようだ。それを聞いて、少し安心した。
その日は戦闘訓練の授業があった。主に、一対一の戦闘をする。どの学年でもやっている、基本中の基本の授業だ。だから特段気にする事は無いのだが、新学年になってから初めての戦闘訓練であるせいか、他の生徒は緊張していた。戦闘訓練は学級毎に分かれて行う。クラス替えが行われた後の戦闘訓練は、お互いの事を詳しく分からない状況での戦闘になるので、情報不足で普段より難しく感じるのだ。
我が輩にとっては、どうでも良い事であった。本番の戦闘は、初めて会う敵兵と戦うのだ。情報不足は常である。クラス替え程度で困惑しているようでは戦えない。
授業が始まる前、我が輩は他の生徒の顔を見た。知らない顔ばかりだ。我が輩がギル以外に友人を作らなかったせいでもあるが。
誰であれ、我が輩は負ける訳にはいかない。新学年になっても頂点に立たねばならない。決して油断せず、我が輩は気持ちを引き締めた。
この訓練が我が輩の分岐点になるとは、その時は思いもしなかったのだ。




