表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
絶え損ないの人類共  作者: くまけん
第五章 世界大戦編
917/1030

第887話 「オーディンの本名」

 空気が硬直した。その名が示す意味は、沈黙を生み出す程に重い。この場で余裕の笑みを浮かべているのは、ヂールただ一人だった。

「アルディーノ……!? まさか、オルディード総司令殿の御子息殿ですか!?」

 パーシエルは上擦った声で尋ねた。あり得ない話だと思ったから、ヂールに否定して欲しくて聞いた。だが、この状況で冗談を言うようなヂールではない。オーディンがアルディーノ・ランクティアスだという確信があるから、ヂールはその名を口にしたのだ。

「調べはついています。随分手間取らせてくれましたよ。ランクトプラス軍の捜索から30年近く逃げ延びるだなんて、流石は『奇跡の英雄』の息子だ」

「本当なのですかヂール補佐官殿! アルディーノ様は行方不明になられたと伺っています。お亡くなりになられたとの噂も……」

「えぇ。雪山で遭難したとか、賊の襲撃に巻き込まれ殺害されたとか、色々言われてましたね。真相は誰も知らない。僕以外は」

 アルディーノ行方不明事件は、ランクトプラス共和国で最も有名な悲劇的事実だ。当時ランクトプラス軍で最強の座を恣にしていた『奇跡の英雄』ことオルディード・ランクティアス……その息子であるアルディーノ・ランクティアスが、突然姿を晦ましたのだ。アルディーノは英雄の息子として、全国民から多大な期待を向けられていた。きっと立派な軍人になるのだろうと思われていた矢先に、いなくなってしまったのだ。

 全国は失意に包まれた。特に涙を流したのは父であるオルディードだった。息子が消えて以来、オルディードは活気を失った。戦う事など当然出来ず、生きながらにして死んだような状態になった。事情を知る軍人達は、英雄 の栄光が失われた事に虚しさを感じるばかりであった。

 ランクトプラス中を激震させた大事件。その真相を知るのは、ヂールだけであった。


「………………」

 当のオーディンは、呆然とした顔で黙っていた。彼自身も自分の本名を覚えていない。だが、『アルディーノ』という名前を聞いた時、胸の奥で何か引っかかるものがあった。

「そ、それが本当だったとして、何故!? 何故アルディーノ様が我らに仇なすのです!」

「だから記憶喪失なのですよ、彼は。自分がアルディーノ・ランクティアスである事さえ覚えていない。生まれながらに悪党の頂点であったとでも思っているのでしょう。滑稽な話です」

 狼狽えるパーシエルとは裏腹に、ヂールは愉快そうに笑っていた。

「だってそうでしょう? 自称『オーディン』さん。貴方に『悪』という役割を持たせたのは、貴方自身だ。貴方の悪人設定は後付けなんですよ。本当は英雄になるはずだったんだ。『悪』を打ち倒す、ランクトプラスにとっての『正義』に」

「……黙れ」

 『オーディン』は低く唸った。ヂールが何か言う度に、己の心に疑いが生じる。その疑問が、この上なく気持ち悪かった。

「我が輩は、悪党だ。悪人だ。『イーヴィル・パーティー』のボスであり、この世の悪の頂点に立つ者だ! それ以外に、我が輩を語るものなど……」

「いいえ。貴方は悪人ではない。『悪役』なのですよ。誰かにとって都合のいい『悪のメタファー』でしかない。求められた偽物の悪だ。我々のような『正義』にとっては、『悪役』がいた方が都合がいいですからね」

 ヂールは『オーディン』の信念を否定した。それは偽物なのだ、と。後付けなのだ、と。

「黙れっ!」

 『オーディン』は怒号をあげた。だが、その叫びは最後まで言えずに途切れる。

 『オーディン』は唐突に頭を抱え、よろめいた。部屋を響かすような苦痛の声を吐き出し、やたらめったらに剣を振り回す。

「がああああああああああああっ!! うっ、ぐっ、ごうおああああああ!!」

 狂乱。まさに狂乱だった。耐え難き頭痛に苦しみ、暴れ回るその姿は、『悪の頂点』に相応しくない。

「なっ……」

 パーシエルは先程とは別の意味で困惑した。何の脈絡も無い発狂に、どうすればいいのか分からずにいた。

 ヂールだけは冷静に『オーディン』を観察していた。何故突然に暴れ出したのかは不明だが、この状況は都合がいい。

「増援を待つまでも無さそうですね。パーシエル将軍、彼を捕獲して下さい」

 今の『オーディン』は戦える状況ではない。捕らえるなら今こそチャンスだ。

 パーシエルは動揺しつつも、上官の命令は絶対だと思い出した。軍人としての使命感が彼女の混乱を取り除き、やるべき事を明確にする。

「承知しました」

 パーシエルは『オーディン』の元へ近付いた。暴走する獣を捕まえるようなものだ。理性を失った敵など、パーシエル将軍の相手にもならない。

「来……るなああああああああああっ!」

 『オーディン』はジャンバラを乱暴に振り回した。刀身が床に当たる度、不快な音が響き渡る。ジャンバラの能力をもろに食らい、パーシエル将軍は思わず足を止めた。ジャンバラの音は心を殺す音だ。肉体を鍛えていようと、この音を聞けば意識を保っていられない。

「ぐ……おのれ……」

 パーシエルは耳を塞いで歯を食いしばった。何とかジャンバラの能力に耐えているが、少しでも油断したら気を失いそうだった。オーディンを捕らえるどころか、歩くこそさえままならない。

 パーシエル将軍は前にも、『オーディン』との戦いでジャンバラの能力に敗れたのだ。だからこそ、その脅威は十分に理解していた。


「ふむふむ。これが『加害の一振』の能力ですか。パーシエル将軍の報告通りですね」

 ヂールは余裕の笑みを浮かべ『オーディン』を見ていた。ジャンバラの音を聞きつつも、冷や汗一つ流さない。

「……っ!?」

 オーディンは目を見開き、何度も何度もジャンバラで床を斬りつけた。絶え間なく続く音は、ヂールに一切のダメージを与えなかった。

「ははは。効きませんよそんなもの。その剣の能力も、調査済みです。脳へのストレスに強い者には、通用しないのでしょう?」

 戦いの結末は情報で決まる。ヂールは諜報部を通じて、敵の情報を根掘り葉掘り調べていた。当然、『加害の一振』の詳細も知っている。

「政治家の仕事はストレスが溜まりますからね。何せ、国を導く重責がある。激務に次ぐ激務で、心身共に限界だ。それでも僕は、ランクトプラスを守り続けると決意した。その覚悟が理解出来ますか? この程度の音なんて、苦痛でも何でもないんですよ」

 ヂールは直接戦場には行かない。だが、ランクトプラス軍の誰よりも戦っていた。政治家として国内国外問わず敵を排除し、問題を解決してきた。どんな疲労を抱えようと、「国のためだから」と自分に鞭を打った。今更『加害の一振』の能力に倒れたりはしない。


 未だに絶叫し続ける『オーディン』に、ヂールは銃口を向けた。

「僕が手を下してあげましょう。安心しなさい。うちの軍医なら、その苦痛も取り除いてみせます。全てを我々に委ね、奴隷となるがいい」

 ヂールはニヤリと笑い、引き金を引く。鋭い金属音が反響した。

 銃弾が放たれた音ではない。拳銃が弾き飛ばされた音だった。


「……っ!?」

 ヂールの腕に痛みが走る。遅れて、彼は自分の右手を見た。拳銃は手から離れ、宙を舞っている。強い力で拳銃ごと腕を叩かれたような感覚だった。

 何があったと前を向けば、ヂールは彼女の接近に気付いた。あまりに素早く襲ってきたので、対応しきれなかった。

「おいボス! 無様にギャーギャー喚いてんじゃねーよ! ガキかっつーの!」

 『イーヴィル・パーティー』の一員、サジェッタ・ナリエシルが『オーディン』を背中を思いっ切り叩いていた。そして彼女は『オーディン』の襟を掴み、部屋の外へと運ぼうとする。

「貴方は……」

 『オーディン』と共に死んだとされた、敵の一人だ。この女も本部を襲撃しに来たのか。ヂールは床に落ちた拳銃を拾い、構える。

 サジェッタは鞭の使い手だ。先程拳銃を弾き飛ばしたのも、サジェッタの鞭の仕業だろう。諜報部の報告によると、サジェッタの鞭は銃弾にも匹敵する速度だとか。接近戦においては、拳銃を持っていてもヂールに勝ち目は無い。

「部下に助けて貰えたなんて、感動的じゃないですか。悪党の親玉さん」

 ヂールは後退し、距離を置いた。大きな窓ガラスを背に、警戒を続ける。

「ボスの頭痛……ってことは、何か昔の事でも思い出したか? おいお前よ。ボスに変な事吹き込んだんじゃねーよな?」

 サジェッタは喚く『オーディン』を見て状況を察した。サジェッタが来てから、『オーディン』は少しだけ落ち着きを取り戻したように見えた。

「別に何も。彼の本名を教えただけですが」

「それじゃねーか! ったく、余計な事言いやがって!」

 サジェッタが怒る理由が分からずヂールは首を傾げた。だが、何となく推察は出来る。『オーディン』の頭痛は記憶を取り戻しつつある事が原因なのだ。記憶の復活と頭痛に何の因果があるかは推測に頼る他ないが、おそらくノーラ・ハルバートが『オーディン』の脳に仕掛けを施したのだろう。彼が『オーディン・グライト』であり続けるために。

「まぁまぁ。落ち着いて下さいよお嬢さん」

「誰がお嬢さんだ! こう見えてアタイは大人だっつーの!」

「でも僕より3つも年下でしょう?」

「うげっ。何だお前、アタイのストーカーか? キモいから死ねよ」

 サジェッタは鞭を構えた。敵である『イーヴィル・パーティー』の調査をストーキング扱いされ、ヂールは苦笑した。


「ど……け……! サジェッタ!」

 『オーディン』はサジェッタを押し退け、ヂールに向かって突進した。本当は今すぐにでも倒れそうな激痛なのに、それでも彼は闘志を捨てなかった。

 だが、やはり動きが鈍い。本来の洗練された攻撃とはまるで違う。まるで素人が癇癪を起こして暴れているようだった。ヂールでも避けるのは容易い。

「どうしました? 死にかけみたいじゃないですか」

 ヂールは『オーディン』の突進を躱し、挑発した。この調子ならすぐに捕獲出来そうだ。

 と思った矢先、予想外の光景がヂールの目に映った。『オーディン』はヂールに避けられた後も、足を止めなかった。そのまま窓ガラスにぶつかったのだ。この窓ガラスは外側からの衝撃には強いが、内側からには弱い。大柄な『オーディン』が体当たりすれば、ひとたまりもなく破壊されてしまう。『オーディン』の突進の勢いは衰えなかったため、割れた窓から外に飛び出てしまった。

「あ」

 ヂールは口を開けて『オーディン』が落下する様を見ていた。うっかり避けてしまったのは失敗だったか。『オーディン』が窓から逃げてしまう。

「おい! ボス!」

 サジェッタは慌てて『オーディン』の後を追い、開放的になった窓から飛び降りた。ここは3階なのに躊躇なく飛び降りれるのは流石の胆力だ……とヂールは感心したが、それどころではないのも分かっていた。

「補佐官殿!」

 パーシエルはジャンバラの音から逃れたため、調子を取り戻しヂールの元へ駆けつけた。豪快に割れた窓を見て、外の様子を窺う。

「ご心配なく。あの先には貴方の部下が大勢構えています。援軍を呼んでおいて正解でした」

 ヂールは自分の足で追うのではなく、軍の力で追い詰める選択をした。それが一番合理的だと分かっているから。

「本部、及び第一から第五までの全小隊に命じます。『イーヴィル・パーティー』のオーディン・グライトは生きていました。サジェッタ・ナリエシルも同様です。発見次第報告して下さい」

 ヂールは無線で部下に通達した。一度は逃したが、もう自由にはさせない。

 アルディーノ・ランクティアスは帰ってくるべきなのだ。


 その頃、『オーディン』は本部から逃走していた。久々の敗走。だが、悔しさを感じる余裕が無い程に頭痛は強烈だった。

「ぐっ……何故だ。この痛みは……何なのだ! 我が輩は……」

 自分は『イーヴィル・パーティー』のボスだ。この世界の悪の代表だ。それ以外の個性など。

 無いはずなのに。

「ボス! しっかりしろよな!」

 追いかけてきたサジェッタが、珍しく心配そうな顔で『オーディン』を見た。彼の歩き方はフラフラで、倒れずにいるのが不思議な程だった。息が乱れ汗もびっしょり。重病人にしか見えなかった。

「思い……出したのだ……」

 震える声で『オーディン』は言う。「は?」と訝しむサジェッタに、彼は答えた。

「我が輩は……アルディーノ・ランクティアス。この国が……我が輩の故郷だったのだ」

 今まさに、『オーディン』は偽りの名を捨てた。思い出してしまったのだ。不要だと切り捨てた過去を。


 その瞬間、アルディーノは気を失った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ