第7話 「人外貴族と悪党」
トラックが発車してから20分が経過した。
トラックはガタガタと音を鳴らしながら、荒野を走行し続けている。
サジェッタが怒鳴り声で車内を黙らせたため、ひたすらに重い沈黙が場の空気を支配した。
娼館スタッフの1人、ハゲ頭の大男が、鼻息を荒くしながら、ゆっくりとユリーナ達のいる荷台室へ入ってきた。
「おいドモン。何をするつもりだ」
運転をしているオーナーに呼ばれたハゲの男……ドモンは、「ちょっと楽しんでくるだけだ」と答えて、いやらしい笑みを浮かべた。
この男、昼食前に私の部屋の鍵を開けた人だ。
ドモンの姿を見たユリーナは、ふと、そんなことに気づいた。
ドモンは、ネーミリカの体を舐めるような目付きで見つめ、そしてネーミリカを押し倒した。
「キャッ!」
「ネーミリカさん!」
ユリーナが心配して声をあげると、ドモンは「お前ら、大人しくしてろ!」と大声を出した。
ドモンがネーミリカの服を乱暴に破く。薄汚れた下着に包まれた、ネーミリカの妖艶な肉体が姿を現した。
「エヒヒヒヒ……楽しませてくれよ……」
ドモンが下品な声を垂れ流し、ネーミリカの下着に手をかけた、その瞬間。
車体が大きく揺れ、ゴトゴトと音をたてながら空中に飛ばされ、キリモミ回転。90度傾いた状態で地面に落ちて、地面を這いつくばるように動き、やがて停止した。
ドモンはその揺れに姿勢を崩され、荷台室の壁に激突した。
「どうした! 何が起きた!」
運転席に座っていた娼館のオーナーが、状況を確認するために、トラックの外へ出た。
するとそこには、ナイフを手にした制服姿の男。
カインズが立っていた。
「誰だテメエ! テメエの仕業か、これは!」
オーナーが怒り狂ってカインズに近づき、胸ぐらを掴もうとしたが、それより早くカインズが腹にパンチをお見舞いし、オーナーは1メートル程吹っ飛ばされた。
「うん、ボクの仕業だよ。少し乱暴に止めちゃったね。ゴメンゴメン。中の女の子たちが無事だといいけど」
トラックの6つのタイヤには全て、ナイフがすっぽり入れるような大きさの穴が空けられていた。
「お、お前さんは一体どうやってここに来たんだ……? 待ち伏せてたのか?」
トラックから出てきた眼鏡の男がカインズに質問した。
カインズは当たり前のことを言うかのように……いや、事実、カインズにとっては当たり前の返事をした。
「走って来たんだよ。全力でね」
そう。カインズは時速50キロメートルで走行していたトラックに、走って追い付いたのだ。そして走りながらタイヤにナイフで穴を空けた。
人外的なスピードだ。普通の人間には絶対に出来ない所業である。
普通の人間には。
カインズは制服に付属しているデジタル時計に目をやった。袖と一体化している、最先端技術を駆使した時計だ。
「10分か……。思ったより早く追い付いたね」
カインズは地面を蹴り、素早くトラック近づいた。そしてトラックの荷台部分を包んでいた鉄製の直方体に回し蹴りを食らわした。
娼館達を閉じ込めていた鉄の部屋の壁は、紙くずのように、いとも容易く切り裂かれ、人が通れる程の穴が空いた。
「みんな! 早くここから出て!」
カインズが脱出を促すと、すぐさま囚われの女達は壁の穴から外へ出た。
全員が脱出したことを確認後に、カインズもトラックから離れる。
カインズの人間離れした動きに愕然としていた眼鏡の男だったが、娼婦達が逃げ出すのを見て、はっと我に返り、女性達の前に立ちふさがった。
姿勢を立て直したドモンやオーナーも、共に娼婦達の逃げ道を塞ぐ。
「お前ら……逃げられると思うなよ……」
精一杯威圧的に声を出したつもりだが、カインズに殴られたときの痛みで苦しそうな口調になってしまうオーナー。3人の男を捕まえようと身構え、女性達を逃がそうとするカインズ。
その背後には楽しげに高笑いする小さな人影があった。
「アヒャヒャヒャヒャ! おい、そこのアイズの小僧! テメエ……ハルバート家の人間だろ? そうなんだろ? 盛り上がってきたじゃねえか!」
トラックの荷台付近に立っていたのは、鞭を構えるサジェッタであった。
「ご名答。ボクはカインズ・ハルバート。国際自警団アイズの実働部隊『クロム隊』の隊員です。そこの男たちを捕まえに来ました」
「ハルバート家っつうと、人間の品種改良や遺伝子組み換えで優秀な人間を作っている一族だよな? 車より速く走るとは驚いたなぁ! 都会の貴族様は狂ってやがるぜ!」
「狂ってるとは心外だね。ハルバート家は人類の希望だと言う人もいるんだよ。しかし、キミのような小さな女の子も娼館で働いていたの? ショックだなあ」
「アタイはガキじゃねえ! 立派な大人の女だ! あと、娼婦でもねえぞ。『イーヴィル・パーティー』って知ってるか? アタイはそこのメンバーで、今は金儲けのために、この男共の手助けをしている」
「『イーヴィル・パーティー』……」
都会出身であり、情報化社会で育ってきたカインズには、その名を聞いた覚えがあった。悪党が徒党を組んで、世界各地で悪事を働いている。その無秩序な組織名が『イーヴィル・パーティー』。
「なるほど。乱暴な言葉遣いは伊達じゃないってことだね。子供じゃないなら、容赦はしないよ」
「必要ねえよクソガキ。おい、テメエら! アタイはこの小僧を半殺しにしてやるから、小娘共を見張ってな!」
サジェッタの鞭が、ヒュンヒュンと高い音を出しながらカインズを襲う。
先端に金属の刃が付いているこの鞭が当たれば、致命傷になりかねない。
だがカインズの動体視力と瞬発力を以てすれば、常人にはかわせないであろうスピードの鞭さえも軽く回避できる。
サジェッタにとってはそんなことは想定内であった。
絶え間なく攻撃を続けるサジェッタと、それをかわし続けるカインズ。
鞭の速度は徐々に速くなっていき、ついにはカインズの頬をかすめた。
カインズは一旦後方へ跳んで距離をとり、体勢を立て直した。
「やるね、お嬢さん」
「お嬢さんじゃねえよ。サジェッタ・ナリエシルだ。覚えとけ、お坊ちゃん」
カインズが男3人の所に行こうとしても、蛇のように舞う鞭がそれを許さない。
確実に、少しずつカインズを引き離す作戦だった。このままでは持久戦になる。
持久戦。
それは一対一の戦闘において比類なき才能を誇るカインズの、数少ない弱点の一つであった。
いくら体力が凡人とは一線を画するカインズでも、車より速く走るといった激しすぎる運動を続けたらスタミナがもたない。既に息が荒くなる程疲れているカインズにとしては、一刻も早くサジェッタとの戦闘を終わらせたいところだった。
静かな荒野で、サジェッタとカインズが戦う音が鳴る。
長い攻防。戦況は、サジェッタが少し有利といったところだ。
「強いね、キミ。こんなに苦戦させられたのはクロム隊長とお手合わせした時以来だよ」
「そのクロムってヤローがテメエの上司か? 強えーのかよ、そいつは!」
「うん。とても、ね」
体力の低下と共に、カインズの動きは、鈍くなっていく。サジェッタの連撃を、かわすさえ、難しくなっていく。だが、カインズは、この状況をピンチと捉えていなかった。
信じているからだ。確信しているからだ。
「時間稼ぎは十分ですよね、隊長」
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