第37話 「クロムVSオーディン」
俺はオーディンの手首を斬り落とすべく、クロミールを振り上げた。オーディンは手に持った拳銃を少しずらし、斬撃を銃で受け止める。切れ味の鋭いクロミールでも、銃を切断することなど出来ない。ましてや、俺は非力だ。オーディンに刀を押し出され、俺は後ろに引いた。
攻撃が見切られている。剣速には自信があったが、オーディンを前にすると、その些細な自信が頼りないものに思えた。
「まだだ……」
俺は諦めずに斬撃を繰り出し続ける。しかし、何度攻撃しようが、オーディンは的確に防いでいた。隙が全く見当たらない。オーディンが反撃する様子は無いが、防御で手一杯という訳ではないだろう。余裕を残しつつ、俺のスタミナを削っているのか。オーディンは避けられる攻撃さえも、ジャンバラで止めて防いでいた。その度に、脳を掻き乱すような不快音が鳴る。それが狙いか。
長期戦になればなるほど有利になる、ジャンバラの能力。それを生かして俺の消耗を図っているのだ。
音だけでなく、臭いや見た目も不快だ。
ジャンバラの刀身を見る度、空気を吸う度、体の動きが鈍くなっていくのを感じる。
「くそっ……!」
科学力をどう悪用すればこんな武器が作れるんだ。製作者の顔が見てみたい。もう見たが。
キャリア・スカーロはとんでもない一品を世に残したな。
ジャンバラとクロミールが鎬を削った時、ジャンバラの刀身に付着しているネバネバの物体が飛んできた。俺の口に侵入したそれは、極めて苦くて臭い。この世の苦味を凝縮したような味と、想像を絶する悪臭が俺を襲った。ついでに言うと、食感も気持ち悪い。
「……っぐ!」
僅かな量を口にしただけだが、それでも意識が飛びそうだ。咄嗟に唾を吐き出し、ネバネバの物体を排出した。
「ほう。耐えたか」
オーディンは微妙な驚きを露にした。
「苦くて臭いもの食わされるのは慣れてるからな」
それでも、今回のは過去最悪の苦味と悪臭だったが。
決着が付かない攻防が続いた。1時間くらい戦っていた気がするが、実際は20分くらいだろう。余裕綽々なオーディンに対し、俺の肉体と精神は限界に近付いていた。
頭痛、吐き気、腹痛、疲労、痙攣。様々な症状が同時に発症した。息も荒く、喉が痛い。立っているのさえ辛かった。
だが、倒れる訳にはいかない。負ける訳にはいかない。奴を前にして倒れたら、俺達の命の保証は無い。
ジャンバラとオーディンの悪意に冒されながらも、俺はクロミールを構えて立っていた。
「ジャンバラの能力を受けて、これ程長く立っていられた者は初めてだ。驚いたぞ」
オーディンの声が、上手く聞き取れない。耳もおかしくなったか。
「あの『計画』の邪魔になる存在は、今潰しておかねば」
オーディンがゆっくりと俺に近付く。俺がクロミールを振ると、ぐらりと視界が揺れた。体が傾く感覚。気付けば、俺は片膝を立てていた。
駄目だ。座るな。立て。
いくら自分を奮い立たせようとしても、体が言うことを聞かない。
迫り来る絶望を前にして、何も出来ずにいた。体が動かない。
「見つけましたよ。オーディン様」
崩壊し始める意識の中で、幼い女の子の声が聞こえた。だぶだぶの白衣を着た、10歳くらいの少女が、浜辺を歩いてこっちに来る。焦げ茶のセミロングのあどけない顔は、街の子供達となんら変わらない雰囲気だが、オーディンに似た異質さが溢れていた。見た目と中身が正反対という異質。そのコントラストが、内包する不気味さをより一層強調している。
間違いない。彼女は、オーディンの仲間だ。様付けしていたから、部下かもしれない。
白衣の少女はオーディンの側に寄ると、責める口調でオーディンに言った。
「勝手にバカンスに行かないで下さい。皆、オーディン様を待っていますよ」
「分からんか、シエル。我が輩の組織に気遣いや秩序など不要だ」
シエルと呼ばれた少女は、納得のいかない様子でオーディンを睨んでいた。
オーディンはシエルの肩を抱いて、俺を見た。
「紹介しよう。イーヴィル・パーティーの参謀、シエルだ。我が輩の妻である」
妻だと……?
どう見ても10歳前後にしか見えないこの少女が、オーディンの妻……?
この国の結婚可能年齢は15歳からだ。それより若くして結婚出来る国は無い。
不可解なことだが、そんなことに思考を費やす余裕は無かった。
「惜しいことだが、シエルが帰れと言うのであれば、仕方あるまい」
オーディンは俺に背を向けて、離れていった。刀を収め、拳銃を捨て、余裕を振り撒いて歩いていた。
俺に後を追う体力は残されていない。
オーディンとシエルが去っていくのを、ただ傍観することしか出来ない……。
「クロムさーん! ロマノ団長呼んで来ましたー!」
聞き慣れた明るい声。声のする方を見ると、ユリーナが砂浜を走って近付いていた。隣には、水着姿のロマノも一緒にいる。
「やっほー。何か大変らしいねー」
いつも通りの気の抜けた声だ。ロマノは俺の近くで立ち止まって、オーディンを見た。ロマノはフランクフルトを口にくわえ、もぐもぐと口を動かしている。
「で、そこの男前さんがやらかしたのー?」
砂浜の上には、クロム隊のメンバー5人とレイティアが倒れている。
男前さんことオーディンは、ロマノの方を向き、微笑みながら答えた。
「その通り。我が輩はイーヴィル・パーティーのボス。オーディン・グライトだ」
ロマノは動じることなく、辺りの様子を観察していた。
「へー。イーヴィル・パーティーね」
ロマノはフランクフルトを口から抜き出し、ユリーナに手渡した。
「貴様はロマノ・アイズ・フィミリスか? 貴様とも戦いたいが、生憎我が輩は帰らねばならん」
オーディンは再び俺に背を向け、ビーチを出ようとした。
「帰らせないよ」
ロマノは一瞬のうちにオーディンに近付き、蹴りを繰り出した。
咄嗟にオーディンが振り返って手で防御を試みるが、失敗。ロマノの蹴りはオーディンの腹に炸裂した。
オーディンは背後に蹴っ飛ばされ、体勢を立て直す。
「やはり貴様も戦いを望むか。面白い!」
オーディンは嬉しそうな笑顔になった。高ぶる感情を解き放ったような笑顔だった。
「我が輩の悪を刻み付けてやろう」
ロマノは静かに構えていた。
「大人しく捕まってくれないかな。怪我させたくないから」
能天気な口調は消え、ロマノの声は冷酷な怒りが滲んでいた。
アイズ流護身術の創始者は、大悪党を強く睨んでいた。




