第29話 「スパイ」
ブラッドドラゴンの咆哮は劇場に響き渡り、その場の人間の耳を貫く。
ニトラ教団にとってそれは邪悪な雄叫びであり、不快な響きに他ならなかった。
「おのれドラゴン……っ!」
その時、豪快な音が入り口から聞こえた。扉を乱暴にこじ開けたクロムが、観客席を疾走する。一瞬にして状況判断をしたクロムは、敵と思わしきコートの女に視線を向けた。
「遅くなったな」
そう言うやいなや、クロムのスタンガンが一人のコート女を襲う。絶縁体の鎧を着ていないコート女は、電撃をモロに浴びて倒れた。エリック特製のスタンガンは、生身で耐えられる代物ではない。
「クロム隊長……!」
助けに来てくれた。これ以上頼もしい味方はいない。油断とまではいかないものの、程よい安心感を得たミミは、半泣きになって喜んだ。
クロムはクロミールを抜き、別のコート女のガスマスクを斬った。ガスマスクの一部に切れ込みが入り、毒ガスの侵入を許せる状態になった。さっきミミが放った青の毒は、もう無害な気体に化学変化していた。ならば、もう一度投げればいい。ミミは壊れたガスマスクに目掛けて、青の試験管を投げた。割れた試験管から溢れ出す青い気体が、ダイレクトに敵を襲う。
一連の動作は瞬く間に終わった。
「あ……がっ……」
コート女の全身が麻痺し、床にバタリと倒れた。
これ程までに迅速かつ息の合った連携が出来たのは、クロムとミミの付き合いが長いからである。お互いの意図、特技、行動が把握出来たからこそだ。
「クロムさぁん! 私も助けて下さぁい!」
ユリーナが、情けない声で助けを乞う。その表情は、恐怖で少し歪んでいた。ユリーナは2人のコート女の攻撃をギリギリでかわしながら、舞台上を逃げ回っていた。かわすことが出来ただけで、逃げ回ることが出来ただけで、十分ユリーナの成長は窺えるのだが、ユリーナのピンチは変わらない。
「ユリーナ!」
クロムはユリーナに素早く近付き、コート女2人に足払いを仕掛ける。研ぎ澄まされた足の一撃は、見事コート女達のバランスを奪った。そして、転けた隙に麻酔針を打つ。コート女達の腕に、プスリと針が刺さった。手慣れたものである。
しん、と。ふざけてるみたいに、急な静寂が訪れた。
襲撃に来たニトラ教団員は全て撃破。後は、熊飼のロープか手錠で束縛して、警察に引き渡すだけだ。蜜の楽園の時と同じく、十分な証拠を用意すれば、形骸化した警察でも動くだろう。計9人の暴徒を突き出したら、警察は忙しくて大変だろうが。
「ユリーナ、ミミ、よくやった」
クロムは、コート女達からキューを守り抜いた部下に、労いの言葉をかけた。ミミは毒を封じられた状態で戦い、ユリーナはクロムの教えを生かして戦ったのだ。
そのことをクロムは知らない。でもクロムは、心から、「よくやった」と言った。
息を乱して頷く部下達を、優しく見つめながら。
「クロムさん! 私、頑張りましたよ! 誉めて下さい!」
ユリーナがクロムの胸に飛び込んだ。クロムは平たい胸でユリーナを受け止めながら、「ああ、よくやった」と、また呟いた。
「じゃ、コイツらを縛っておくぞ」
「はい、クロムさん!」
「了解しました、隊長」
クロム、ユリーナ、ミミは、劇場で倒れる4人の女を、ロープで捕らえた。動けないように、キツく縛った。
この時、誰も気付かなかった。
今、キューのそばには、誰もいない。
「おやおや、騒ぎは収まったようですね」
呑気な声が、劇場内に入ってきた。クロムが振り向くと、その先にはトーマス・ホワイト副所長が立っていた。避難して遠くにいるはずの男が、いつの間にか舞台の上に立っていたのだ。
「流石はアイズの皆様。お仕事が早い」
トーマスは劇場内を一瞥すると、縛られているニトラ教団員に目を向けた。その後、自分の足元に置かれている、キュー入りの檻を見つめた。
「このドラゴンの影響なんですかねぇ……これも」
トーマスは右手に持った鞄を開き、中から……。
1メートル強の大きさの銃を取りだし、銃口をキューに向けた。
「……っ!?」
状況を理解したクロムが、トーマスを止めようと、足を動かす。だが、クロムが一歩動く前に、トーマスの一言がクロムを止めた。
「動くな。このドラゴンを殺すぞ」
先程までの温厚そうな敬語は、影も形も無い。威圧と怒りで構成された冷酷な声が、場を凍りつかせた。
クロムからキューまでの距離は約12メートル。近いようで、遠い。クロムが近付くより、トーマスが銃を撃つ方が早いのは明白だった。無闇に近付けない。
「もちろん、本物の銃だ。余計な行動は命取りになると思え」
ニトラ教のスパイは、淡々と警告した。
* * *
失態だ。
俺達がキューから離れた隙に、状況は最悪になった。
トーマスの銃がキューを狙っている。あの銃はドラゴンの皮膚を貫ける威力があると見ていいだろう。今すぐにでもキューを殺せる状態だ。
ニトラ教団の目的はドラゴンを殺すことのはずだ。しかし、何故かトーマスはキューを撃たない。
ということは、キューを人質……いや、竜質にして、何か要求する気なのか。
「クロム隊長。外の連中の拘束、終わりましたよ……って、あれ?」
カインズが劇場入り口から入ってきて、周りを見渡した。流石に状況を把握したらしい。真面目な顔つきでトーマスを睨んだ。
「トーマス副所長……裏切ったんですか」
カインズの言葉は、約50メートル先のトーマスにも届いた。
「俺は最初からニトラ教の人間だ。教祖様の右腕の一人だと、自負している」
中年研究者の正体は、過激派宗教のお偉いさんか。
トーマスはため息を吐きながら喋り始める。だが、隙や油断は無かった。
「ブラッドドラゴンをわざと逃がし、アイズと戦わせて戦闘データを取ってから学会を奇襲……。もっと上手くいく予定だったんだがな」
「あんたがキューを脱走させたのか」
俺は思わず聞いていた。
「そうだ。戦闘データを元に対策を練ったが……結果がこれか」
クロミールを防ぐ鎧。スタンガンを防ぐ絶縁体。毒を防ぐマスクとゴーグル。
全部こいつが考えた作戦か。監視カメラで俺達の戦闘を見られていたんだな、きっと。
「な、何でニトラ教の人がドラゴンの研究を……?」
ユリーナが不思議そうに質問した。
トーマスは律儀に答えた。
「スパイだから当然だろう。本当はドラゴンの顔なんぞ見たくもなかったが、研究のおかげで分かったこともある。この銃なら、ドラゴンでさえも殺せるということだ」
銃口が、妖しく日光を反射する。トーマスの近くの窓からは、外の明るい景色が見えていた。
「さあ、ニトラ教の同志達を解放しろ。彼らが逮捕される訳にはいかないからな」
「要求は、それか」
「二度は言わんぞ。ドラゴンの頭が吹き飛ばされてもいいのか」
トーマスの口調には、有無を言わせぬ勢いがあった。
「わたしが毒を投げます。その隙に……」
ミミが小声で俺に耳打ちした。俺はすぐに否定する。
「駄目だ。毒が回る前に、銃を撃たれる可能性がある。アイツにとってキューの命はどうでもいいはずだ。躊躇わずに撃ってくるぞ」
たとえキューが脅迫の材料にされていようが、キューの安全が確保された訳ではない。気が変わって、キューの頭を撃ち抜くかもしれない。下手に動けないのだ。
どの道トーマスはキューを殺すつもりだろうが、今は助けに行くのが難しい。
カインズのスピードならいけるか? しかし、カインズとトーマスとの距離は50メートル近くある。遠い。一瞬でキューを救出するのは、カインズでも不可能だ。
何か、トーマスの気を逸らすものがあれば……。
バリン! という強烈な破壊音。
トーマス付近の窓ガラスがバラバラに四散し、辺りに勢いよく弾け飛んだ。
と、同時に。
トーマスの腕から激しく血が吹き出て、劇場舞台を紅く染める。
「ぐあああああああっ!」
トーマスは銃を床に落とし、撃たれた右腕を痛々しく押さえた。
怒濤の急展開。何が起こったのか分からない。だがこの時、トーマスに、完全な隙が生じた。
「今だ!」と命令することもなく、「隙あり!」と叫ぶこともなく、無言で俺は駆け出した。
無駄の無い動きで、畳み掛けるような速度で、トーマスに近付いてスタンガンを浴びせる。
クロム隊の攻撃の要であるスタンガン。信頼と実績に裏付けられた、エリックの改造電流銃。
今回もその威力を惜しみ無く披露し、トーマスは気絶して倒れた。
* * *
劇場から1キロメートル以上離れた草むらで。
ファティオ・ハージは遠距離用狙撃銃を構えながら、地面に寝そべっていた。風がファティオの髪を撫でる。銃口の先をしっかりと敵に向けて、クロム隊のスナイパーはじっと標的を睨んだ。
ファティオとエリックが学者達を避難させた後、ファティオは双眼鏡(これもエリックの手作り。2キロメートル先だろうが余裕で見れる。)で劇場の窓の向こうを見た。劇場の様子を窺うためだった。すると、トーマスがキューに銃を向けているのが見えるではないか。退っ引きならない事態なのは、口に出すまでもなかった。
「トーマスさん……敵だったんですね」
こんな非常時に、まさか冗談で銃を向けたりはしないだろう。トーマスが本気でキューを殺す気だと悟ったファティオは、容赦なく自前の銃を取り出した。
ミミが毒薬を常備しているように、ファティオも銃を常備している。中距離用が二つ、遠距離用が一つ。どれも中央都市製の一級品だ。
ファティオは狙いを定めて、撃つ。ファティオの弾は1キロメートル先の窓を破壊し、トーマスの腕を貫通した。
「クロム隊長のお役に立っていれば、良いのですが」
クロム隊の紳士スナイパーは、風の中で微笑んだ。
* * *




