第23話 「ミミVSブラッドドラゴン」
ミミの農園で栽培しているのは、野菜だけでは無い。病気や怪我に効く薬草や、人体に有害な毒草も育てている。クロム隊が使用する麻酔針の麻酔薬は、ミミの畑から採取した毒草を調合して作られているのだ。ミミは農家でありながら、薬剤師でもある。
ミミは自作の薬品を液体にして携帯している。割れやすくなるように加工した試験管に入れ、敵に向かって投げつければ、強力な武器として使えるからだ。衝撃に強い発泡スチロールの容器に包み、可愛いポーチでそれを隠す。
毒薬を持ち歩く15歳の少女。尋常でない光景だ。世も末である。
いや、実際、世も末なのだが……。
ミミは赤の試験管をブラッドドラゴンに放り投げた。ブラッドドラゴンは尻尾を振って、試験管を空中で割る。すると試験管から赤い煙が舞い上がり、ブラッドドラゴンの周囲を包み込んだ。
赤の試験管は目潰しの薬品。空気に触れて気化した赤の毒が目を撫でれば、たちまち視力が衰える。その上、目がヒリヒリして痛いはずだ。目を開けていられまい。
「キュウッ!? キュキュゥ!?」
ブラッドドラゴンは目を強く閉じて、ジタバタと暴れだした。体全体で苦痛を訴えるが、助ける者はいない。
「今だ」
カインズは小袋から縄を取り出した。これは『熊飼のロープ』。暴れ狂う熊をも縛れる程の強靭な縄である。『これさえあれば熊だって飼える!』というキャッチコピーでお馴染みの、市販のロープだ。これを使って熊を飼おうする変人がいるかどうかは、甚だ疑問ではある。
熊飼のロープをブラッドドラゴンに近付けると、ブラッドドラゴンは唸りをあげて口を大きく開いた。そしてカインズに噛みつこうとして飛びかかる。
「おっと危ない」
カインズは難なく避けて、後ろに下がった。ブラッドドラゴンの牙はカインズには当たらなかったが、熊飼のロープを噛みちぎった。業界でトップの頑丈さを誇るロープが、まるでちくわのように簡単に噛みちぎられたのだ。
たとえ目が見えなくても、ブラッドドラゴンには優れた聴覚がある。カインズの足音を聞いて、反撃するなど容易なことだ。
さらに言えば、ブラッドドラゴンの視力は既に回復に向かっていた。目の痛みも同じく、だ。
ブラッドドラゴンは目を見開いて、カインズとミミを睨んだ。
「……大人しく、して」
ミミは青の試験管を投げた。青の試験管は麻痺の薬品。床にぶちまけられた青の毒が気化して、青い煙がブラッドドラゴンを襲う。
ブラッドドラゴンは数秒動きを止めた。だが、その後、何事も無かったかのように動きだし、ミミに向かって走った。四本の赤い手足が、ドスドスと音を鳴らしてミミに近付く。
「…………!」
怒りの形相で突進するブラッドドラゴンを前に、ミミは足がすくんで動けなかった。
いくらベテランでも、いくら手練れの毒薬使いでも、ミミはまだ若い少女だ。野性的な恐怖を前に、平然と立ち向かうことなんて出来ない。
怖い。恐ろしい。逃げたい。
そんな感情がミミの脳内を支配した時、ブラッドドラゴンはもう目の前に来ていた。
「ミミさん!」
カインズが車をも超えるスピードで走る。瞬く間にブラッドドラゴンに追い付き、尻尾の根元を蹴り上げた。ブラッドドラゴンは天井に蹴り飛ばされる……はずだった。
ブラッドドラゴンの尻尾は、まるでトカゲのように本体から切り離され、カインズの蹴りによって天井に飛んでいった。ブラッドドラゴンの本体は、勢いを緩めることなくミミに一直線。
「なっ……!」
カインズが驚く暇も無く、ブラッドドラゴンの牙がミミを狙う。
次の瞬間、カインズが見たものは、吹き上がる血だった。
ブラッドドラゴンの鋭い牙が肩の肉と骨を貫き、生々しく痛々しい音をあげる。流れる血がミミとブラッドドラゴンを汚し、紅く彩る。血生臭い悲痛の匂いが、鼻を刺激する。
ミミは虚ろな目で血を見つめていた。胸の奥で留まる声を、無理やり外へ捻り出した。そして、叫ぶ。
「ファティオさん!」
ファティオ・ハージが、ブラッドドラゴンの攻撃を受けて、立っていた。
ミミが噛みつかれる寸前にミミを突き飛ばし、代わりに噛まれたこの男。部下を助けたい一心で、咄嗟の判断で身代わりとなった副隊長。
ファティオは、痛みと出血でふらふらになりながらも、ブラッドドラゴンを掴んで投げ飛ばした。ブラッドドラゴンは地面に叩き付けられ、数回跳ねて、着地した。
カインズはその隙を突いて、ブラッドドラゴンの腹を蹴り飛ばす。今度は命中だ。ブラッドドラゴンの骨が折れ、肉が歪む。
「キュウウウウウン!」
ブラッドドラゴンは苦しそうな悲鳴を吐き出して、壁に吹っ飛ばされた。大きな音を出して壁が揺れる。流石のブラッドドラゴンも、痛みで体が動かない。すぐさまカインズは、熊飼のロープでブラッドドラゴンをキツく縛った。ロープを噛みちぎらないように、口も縛りあげる。早業だった。故に、抵抗する時間は無かった。
「本気で蹴っちゃったよ……まったく……」
「ドラゴンを殺すな」という命令を一瞬忘れてしまった。仲間を傷付けられた怒りで、冷静さが失われたのだ。結果として、ドラゴンは存命だったが。
カインズの声色は珍しく荒かった。
床に倒れていたミミが、ファティオに駆け寄る。ミミはピンクの試験管……止血用の薬品を取り出し、ファティオの傷口にかけた。止血剤に触れた傷口は瞬時に塞がり、血は止まった。だが出血量が多い。早く本格的な治療が必要だ。
「ミミさん……大丈夫ですか……」
一番大丈夫じゃないファティオが心配そうに声をかける。ミミは涙目になりながら答えた。
「わたしは大丈夫です! それよりファティオさん! しっかりして下さい! 今から治療室に連れていきますから!」
幸い、治療室は東側エリアにある。ここからも遠くない。
それはつまり、西側エリアで大怪我をした人がいても、治療できないということを意味する。
ミミはファティオを抱えて治療室へと向かった。背の高いファティオを引きずりながら急ぐ、背の低いミミ。そんなミミを気遣って、ファティオが優しく、それでいて辛そうに声をかけた。
「自分で……歩けますよ……」
「何言ってるんですか!」
ミミはファティオの場違いな気遣いを一蹴した。
自分を心配して下さいよ……っ!
ミミは、そう心の中で言った。
ミミの背後に、血の道が出来ていた。
この時代を象徴するような、汚い死の色だった。




