第21話 「血竜の脱走」
翌朝。
俺達は個人行動をとることにした。不審者が侵入した時に、発見しやすくするためだ。手分けして警護に勤しむ方針という訳だ。
しかしユリーナはまだ未熟。一人にさせるのは不安なので、俺と同行することになった。
クロム隊のメンバーそれぞれが研究所内を巡回している時に、館内放送が異常事態の発生を告げた。
『諸君、緊急事態だ! 研究中のブラッドドラゴン個体が第一観察室を脱走した! 繰り返す。ブラッドドラゴンが脱走した! 研究員は直ちにマニュアルに従い、避難しろ! 警備員はブラッドドラゴンの回収に移れ! ……ああ、それと、アイズもだ! 貴様らも回収を手伝え!』
館内放送で指示を伝えるマジマジ所長は、あからさまにイラついているのが感じ取れた。
「ドラゴンが脱走……?」
特注の首輪と強化ガラスとやらは何だったのか。昨日のトーマスの、自慢気に語る顔が思い出された。最新鋭の科学も無力だな。ドラゴンの力をもってすれば、あの程度の拘束は無意味だったと言うのか。
『無論、ドラゴンは無傷で捕らえろ! ……と、言いたいところだが、ドラゴンの力は侮れん。たとえ子供でも、強大な力を持つはずだ。無傷の捕獲は厳しいだろう。だから多少の怪我を負わせても構わん。だが、絶対に殺すな! 以上だ!』
殺さずに生け捕りにしろ、とのご命令か。当然だろう。貴重な貴重な実験サンプルだからな。「傷一つ付けずに捕獲しろ」と言われなかっただけ、簡単なミッションだ。
甲高い警報が、危機的状況を伝える。ガヤガヤと喧騒が聞こえたと思うと、白衣を着た男女と、青黒い制服の警備員が頻りに移動していた。
「ク、クロムさん……。どうしましょう……」
ユリーナはあたふたと慌てながら俺の腕を掴んだ。初めての任務で大きなトラブルが起きたんだ。混乱してもおかしくないな。俺はユリーナの手にそっと触れて、言った。
「落ち着け。俺達で何とかするぞ」
ユリーナは少し落ち着きを取り戻したようで、真っ直ぐな目で頷いた。
「……はい!」
いい返事だ。やはりユリーナのメンタルは意外と強いのかもしれない。
さて、まず行うことは、仲間との合流だ。ドラゴンと一対一で勝つのは、恐らく難しい。所長もそう言ってたのだ。ドラゴンは強いと。
だが、クロム隊全員で立ち向かえば、無傷の捕獲さえ簡単だと思う。俺の隊には、敵の捕獲に適した人材が豊富なのだ。
事態を迅速に収めるためにも、一刻も早く合流しなくては。
しかし、事はそう上手く進まなかった。
重苦しい色をした分厚い鉄のシャッターが天井から出現し、床まで降り立った。ウインウインと音を出しながら、手際よく廊下を隔たらせる。目の前に現れた壁に、進行を拒まれた。
壁に広がる窓にも、同じようにシャッターが降りてきて、外と中を物理的に断絶した。
『ブラッドドラゴンが研究所外に出ないように封鎖した。また、研究所を東側と西側の二つに分けた。現在、監視カメラでブラッドドラゴンの位置を特定している。ドラゴンがいる方のエリアにいる警備員は、そのまま捕獲。そうでない警備員は、館内の警備にあたれ! この混乱の乗じて不審者が侵入するやもしれん!』
シャッターで、東側エリアと西側エリアの二つに分断したのか。ドラゴンの移動可能範囲が狭まるから、捕獲が楽になるだろう。その上、一部の警備員をドラゴン捕獲作戦に参加させないことで、通常の警備にも力を入れる。
なるほど。理にかなってるし、件の不審者にも警戒した、賢い作戦だ。
そして、余計なことだ。俺がいる西側エリアに、クロム隊が全員揃ってるとは限らない。東側エリアにもクロム隊メンバーがいる可能性の方が高いだろう。もし、一人だけ東側エリアにいたら、苦戦は免れない。向こう側の誰かが苦戦していても、俺は助けに行けないのだ。この分厚いシャッターのせいで。
『ブラッドドラゴンの居場所が判明した。東側エリアの第三観察室だ! ロックは解除してある。東側にいる警備員は直ちに向かえ!』
ドラゴンは西側にいなかった。俺とユリーナは、ドラゴンのいないエリアに閉じ込められたのだ。
「くそっ!」
俺はシャッターを強く殴った。鈍い音がするだけで、シャッターはびくともしない。
自分が今、怒りの表情をしているのは、鏡を見なくても分かる。
仲間が危険に晒されているかもしれない。それなのに、俺は無力だ。
……いや、待てよ。まだ俺にも出来ることがある。
「ユリーナ。第一観察室に行くぞ」
第一観察室は西側エリアだ。俺はツカツカと歩きだした。
「え? 何でです?」
ユリーナは疑問を口にしながらも、俺に付いて来た。
「ドラゴンの脱走……。不自然だ。妙に引っ掛かる。だから、少し調べておこうと思ってな」
今考えれば、おかしな話だ。ドラゴンの専門家であるトーマスが、脱走は不可能だと言い切ったのだ。彼らがドラゴンの力を見誤っていたとは考えにくい。ドラゴンの強さはしっかり把握できてるはずだ。首輪も強化ガラスも、それを考慮して設計されたはずなんだ。
では何故、ブラッドドラゴンは第一観察室を抜け出せた?
はたしてこれは事故なのか?
調べることは多そうだ。
俺は第一観察室に入り、注意深く様子を見た。
コンピュータは滅茶苦茶に粉砕されていた。文明の利器も、こうなってしまえばただのゴミだ。
強化ガラスには大きな穴が空いている。ぶち破られたようだ。飛び散ったガラスの破片は、床に満遍なく散らばっていた。
首輪の鎖は切断されていた。随分と滑らかな切断面だった。
ドラゴンを閉じ込めていた部屋には、研究員が出入りする用の鉄扉がある。重々しく、到底破壊できそうもない。鉄扉と鎖は目と鼻の先だ。
天井の監視カメラは破壊されていた。ドラゴンが壊したのだろうか。
後ろから足音が聞こえる。
誰かと思って振り向くと、トーマスだった。
「何をなさってるのです?」
トーマスがドタバタと走ってやって来た。息を乱している。慌てているな。当然か。まあ、このエリアにドラゴンはいないのだから、トーマスが慌ててもどうしようもないが。
「ちょっと様子を見に。トーマス副所長は、避難しないのですか?」
館内放送では、研究員は避難することになってたが。
「ええ、今から」
トーマスはハンカチで汗を拭いた。
「……行くぞ、ユリーナ」
「あ、はい」
俺とユリーナは第一観察室を出た。
ドラゴンの件は向こう側に任せるしかないか。
それより、西側エリアに他に隊員がいるか探さないと。
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