第1話 「囚われのユリーナ」
『ワルツ』と呼ばれたその世界は、それはそれは豊かで発展していました。
どこの国も平和で、人々はお互いを助け合い、とても楽しく暮らしていました。
しかし、破滅は唐突に訪れるものです。
世界一の大都市『ヴォルテッシアノ』が滅亡した『はじまりの日』から、世界中で急死する人が続出したのです。
100億人の世界人口は、50万人にまで減少。世界は混乱に包まれました。
各国政府の人口増加政策は、少しですが、効果をあげたと言えるでしょう。
ですが、我々は常に人類滅亡の恐怖に怯えるばかりです。
そして現在、新たな悪意が人々に襲いかかろうとしています……。
(「ゾーズヌの歴史書・序章」より)
* * *
ユリーナ・アイルスは臭い床の上で目を覚ました。
「ここは……どこ?」
暗くて狭い部屋でいつの間にか眠っていたことに気づく。
部屋にあるのはベッドが1つと、その上に乗っている大きくてしわくちゃな毛布だけだった。
「牢屋みたいに見えるけど……」
今はどういう状況なのか。ユリーナが必死に記憶の糸を手繰ると、なんとか思い出せた。
そうだ、私は村で薬草を採っていたんだ。その時に急に意識が無くなって、目が覚めたらここにいた。
ユリーナは徐々に不安を感じていた。牢屋に入れられるような悪事をした覚えはないはずだが。何故、こんなところに。
先程から鼻を刺激する悪臭も、不安を加速させていた。何だろう、この匂い。昔、両親の寝室で嗅いだことのあるような……。
「あんたが新人かしら?」
急に誰かの声が聞こえたので、ユリーナは驚いて悲鳴をあげてしまった。
「きゃあっ!」
「ちょっと、そんなに驚かないでよぉ。こっちもびっくりするじゃない」
周りをキョロキョロと見渡してみると、毛布から……正確に言うと毛布にくるまっていた女性から声が聞こえたのが分かった。
「ふーん。まだまだ成長途中だけど、若くてキレイな娘じゃない。人気でそうね」
女性は毛布を脱ぎ、ユリーナに近づいて見定めるように視線を送った。
「えっ、それってどういう意味ですか……?」
女性の言葉の意味が分からず、ユリーナは呆然としてしゃがんでいた。
「アタシはネーミリカ・ユルマ。ネーミリカって呼んでね。ここの人気ナンバー1だからよろしく。あんたは?」
「わ、私はユリーナ・アイルスっていいます……」
ネーミリカと名乗る女性は、優しく声をかけてきた。
ネーミリカは顔も体型も美しく、男を魅了する外見をしていた。出る所は出て、引っ込む所は引っ込んでいる。眼差しや唇から溢れだす雌の雰囲気は、女のユリーナでさえクラクラするほど魅力的だ。だが服装は汚れていて、下半身に白い液体が這っている。折角の美しさが台無しだ。
一言で表すなら、ネーミリカは汚い美人、といった感じだった。
ネーミリカの口振りから察するに、ここは牢獄ではなさそうだ。
しかし、「人気ナンバー1」とは?
「あの、ここはどこなんでしょうか」
ユリーナがおどおどと質問すると、ネーミリカは不思議そうに返答した。
「なんだ、あんた知らないのぉ? 無理矢理連れてこられたのかしら? ここはね、娼館よ。そしてこの部屋は売女の部屋。あんたは今から客に体を売るの」
ネーミリカの言葉に理解が追い付かず、ユリーナは絶句した。
娼館……? 体を売る……? 嘘でしょ……。
次第に状況を把握したユリーナは、部屋の入り口の鉄格子を両手で掴んで叫んだ。
「出して! ここから出して!」
私は娼館に誘拐されたんだ。恐怖と共に涙が溢れてくる。
どんなに大声を出しても、どんなに鉄格子を揺らしても、外からの反応は無かった。
ユリーナは絶望し、その場に倒れこんで、うめき声をあげた。
「うっ……ううっ……」
「諦めなさいよ。叫ぼうが喚こうが状況は変わらないわ」
ネーミリカは何度も「仕事」をしてきたのだろう。全身から漂うベテランの風格は拭えるものではない。そんなベテランの一言は、重い現実としてユリーナにのしかかった。
「言っとくけど警察組織はアテになんないわよ。こんな時代だからね。娼館の人口増加に一役買ってるから、1人でも多くの人口を増やしたい政府にとって、娼館はありがたい存在なのよね。誘拐なんて見逃されるわよ。むしろ裏では推奨してるでしょうね」
「人口増加って……」
「そう。客とナニをするのかは、もう理解してるわよね?」
嫌だ。嫌だそんなの。
好きな人と結婚して、幸せな家庭を築きたかったのに、そんなのは嫌だ。
「ま、私も最初は拒んでたけど、直に受け入れられるようになるから。何度も出産を繰り返すうちにね」
そう言ってネーミリカはベッドで寝始めた。
「同室だからって、ベッドは貸さないわよ。新人なんだから床で寝なさい。じゃ、おやすみ」
ネーミリカは急に疲労を思い出したかのように、ぐったりと眠りについた。
私はどうすればいいのだろう。
ユリーナはこの場から逃れる手段を考えたが、全く思いつかない。
その時、コツンコツンと足音が聞こえた。