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絶え損ないの人類共  作者: くまけん
最終章 人類絶滅災害編
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第999話 「警戒心という狂気」

 外の空気は清々しかった。深呼吸をするだけで、生きている実感を強く味わえる。竜人としての新たな生だ。

 特に自分が人間離れしたとは思えなかった。体はどう見ても人の形をしているし、ちょっと五感が敏感になっているくらいしか変化は感じない。


「どんなドラゴンの臓器を移植されたかにもよるでござろうなぁ。某の場合は己の健康をひしひしと感じたものでござるが。いつもと違う自分になれば、やはり違和感はあるものでござるよ。何、慣れればどうという事もござらん」

 竜人の先輩として、ヤマトは説明してくれた。当たり前のように隣で歩くヤマトに、俺は一番違和感があったりするのだが。

「本当に付いて来るんだな」

「無論。某は今やクロム殿の忠実なる配下でござるから。刀のように扱って下され」

 と言われてもな。いきなり配下が出来ても、どうすればいいのか分からない。俺はウォレットやティアナ女王みたいに、人の上に立つのに長けていないんだ。一応『隊長』という立場で指示を出したりはしたが、あれは部下というより仲間に近かった。厳格な上下関係がある訳ではなく、みんな対等に関わっていた。忠実なるしもべなんざ、一度たりとも持った事が無い。

「俺は、ルナロードみたいな主人にはなれないと思うぞ」

「であれば、クロム殿はクロム殿らしい主人になれば良いでござるよ。主に正解不正解はござらん」

「いや、そもそもだな……。俺は、お前を下僕のように扱う気は無い」

「ほぅ。では某は一体何者でござろうな?」

「仲間、じゃダメか?」

 俺にとってはそれが、一番自然な関係だった。共に歩む者を呼ぶには、この単語が相応しい。

「仲間……。仲間でござるか。クロム殿はそれで宜しいので?」

「あぁ。俺のために生きてくれって、ルナロードからは言われたんだろ? だったら別に主従の関係になる必要は無い。俺と一緒に……そうだ、アイズに入るのはどうだ? うちは常に人手不足なんだ」

「クロム殿の所属されている、人助けの団体でござるな。某も存じ上げているでござるよ。良い評判を耳にするでござる」

「お前が来てくれると俺も助かる。人のために熱心に働けるのはアイズ隊員に一番大切な才能だからな。どうだ? ロマノに頼めばすぐに……」

 俺は口を噤んだ。内心ではロマノの死をまだ受け入れていないのか、俺は。これからは俺がアイズの団長だ。あいつの意思を継承していかねばならないのに、こんな調子では天国でロマノに笑われてしまう。

「……俺が承諾すれば、すぐにでもお前はうちの隊員だ。きっと皆ともすぐ仲良くなれる」

「ふむ。少し考えさせて欲しいでござる。従者ではなく仲間という関係は、某にはまだ慣れぬものでござるからな」

「そっか」

 今すぐ答えを聞きたい訳でもないし、待てと言われれば待とう。

「気を落とさずとも。某は積極的に考えているでござるよ。ただ、準備の時が欲しいだけでござる。宜しければ、支度だけさせて貰えないでござるか? 暫し離れる事になるでござるが」

「そりゃもちろん。お前は俺の道具じゃない。お前はお前の自由な時間があって然るべきだ。四六時中一緒にいなくてもいいぞ。っていうか、ずっと一緒にいられると俺が困る」

 俺もプライベートな時間が欲しいしな。ストーキングしてくるのはエリックだけで十分だ。……なんてジョークを言ってもヤマトには通じないだろうし、黙っておくが。


「左様でござるか。お気遣い、感謝の極みでござる。某は一旦帰るでござるよ」

「あぁ、また会おう。それにしても……そうか。俺も早く帰らないとな」

 ルナロードとの戦いから何日経ったのだろう。きっと皆心配しているはずだ。アジトに帰って、安心させてやらないと。

 いや、待てよ。俺は死んだと思われてるんじゃないか? だとしたら、俺が帰って来ないと皆思ってるはず。俺の帰りを待つ人は、誰もいないのでは。

「なんか不安になってきたんだが。俺に帰るべき場所はあるのか?」

「何をおっしゃるか。クロム殿を待っている人はいるでござるよ」

 ヤマトはハッキリと断言した。嘘や気休めの類には聞こえなかった。

「え?」

「いやはや、クロム殿は良いお仲間をお持ちでござる。某の働きは意味があったでござるな。聡明なるあの者達には、しっかりと伝わっていたでござる」

 何の話をしているのか、俺には分からなかった。話の脈絡がいまいち掴めない。俺の知らない間に、ヤマトは何かしていたのだろうか。

「某もあの輪に加われるのであれば……そんな日々も悪くないでござるな」

 ヤマトは優しく微笑んで、俺と別れた。少し先の未来を思う彼は、子供のようにワクワクしていた。

 不思議な奴だ。かつて剣を交えた時は、鬼のように恐ろしい剣士だったのに。戦場に立っていなければ、ヤマトはただの優しくて人懐っこい男だ。だからこそ俺は、あいつを仲間として受け入れられたのかもしれない。


 一人になった途端、俺は思考を巡らせ始めた。黙って人けの無い道を歩いていると、考え事くらいしかやる事が無いのだ。

 思考とセットで、不安が脳裏を過った。何を考えても警戒心が強まるのだ。このままではいけない、早く何とかしないと、と無意味に不安になる。俺の心の中の魔物が恐怖を煽っているかのようだった。

 妙な感覚だった。警戒心そのものは以前からずっと俺の頭に残っている感情だ。けれども、必要以上に警戒してしまうのは珍しかった。敵がいる訳でも、命の危機に晒されている訳でもない。この場で寝てもいいくらいに安全なはずなのに、危険と思い込んでしまう。

 感情の暴走が止まらない。あぁ、もしや。これがルナロードの言っていた『竜人の狂気』なのか。

 俺の警戒心が、何倍にも増加して溢れ出す。過剰だと分かっていても抑えられない。こんな時に誰かに会ってしまったら。

「おや。見ない顔ですね。他の町から来られましたか? それとも外国から?」

 俺の前には青年が立っていた。思わず俺は体を震わせ、激しく後退してしまう。何故こんな場所に人が。いや、周りをよく見たら、とっくに俺は街に着いていた。ルナロードの言葉を信じるなら、ここはルクトシンの街か。ラトニアからは結構離れている都会だ。人がいるのはおかしくないし、むしろいない方が異常だった。

 目の前の青年は、至って普通の住人で、恐るべき箇所なんて一つも無かった。なのにどうしよう、俺は警戒を全く緩められない。油断すればこの青年に殺されるような気がしてならない。そんなはずないと、理屈では分かっているのに。

「……ん? どうしたんですか? 体調でも優れないのです?」

 俺の様子が変だから、青年は心配そうに声をかけてきた。いきなりびっくりした表情で距離を置かれたら、誰だって怪訝に思うだろう。俺を病人かと考えて手を差し伸べてきた彼に、俺は酷く動揺してしまった。

 何をやっているんだ、俺は。助けようとしてくれた親切な人に、俺は訳も分からず怯えている。まるで化け物か何かのように扱っている。俺自身の心を、俺が制御出来ない。

「や、やめろ! 近付くな!」

 俺は馬鹿みたいに喚いて、青年から逃げ出した。自分でも何やってるか理解していない。本能的に行動していた。

 青年はきょとんとしていた。失礼な事をしてしまったのは百も承知だ。何も悪い事をしていない人を凶悪な殺人鬼みたく思ってしまった自分が、とにかく恥ずかしい。でも駄目なのだ。暴れる警戒心を止められない。


 狂気としか言えなかった。他の竜人は、こんな滅茶苦茶な感情と付き合っているのか。こんな苦しみと闘いながら生きてきたのか。

 竜人になって初めて分かった。竜人の苦悩と、人間である事の気楽さに。

 抗おうとするから苦しいのだ。この狂気に身を任せてしまえば楽になれる。

 俺の中の弱さが囁く。楽な道に逃げようと誘う。やめろ。一度狂気に心を許してしまえば、二度と俺は元に戻れない。ルナロードの言う通り、人の道を外れた怪物になってしまう。

 これが俺自身との戦い。口で言う程、簡単な戦いじゃないらしい。今まさに痛感させられた。


『世界は君の敵なんだ。君を殺そうとしている。だから、やられる前にやるしかないんだ』

 俺の心の化け物が訴える。警戒心という名の刃が、鋭く喉元に突きつけられた。

『世の中、悪い奴ばかりだろう? 何度も思い知ったじゃないか。だったら、自分を守るために他人を先に殺して何が悪い。正当防衛だよ』

 何を狂った事を言っている。そんなの、許される訳ないだろう。

『結局、自分が一番大切なんだろう? 正直になれよ』

 やめろ。俺は誰も傷付けたくない。

『嘘吐き。さっさと世界を壊せよ。皆殺しだ。そうすれば君は安全なんだぞ?』

 うるさい。うるさいうるさい!


「うああああああああああああああああああああああ!」

 俺は逃げ出した。誰から? どこに行ったって、俺からは逃げられないのに。

 『敵』は常に側にいる。俺なのだから、俺と同じ場所にいるのは当然だ。逃走は許されず、常に戦い続ける義務だけは重くのしかかる。

「助けてっ……」

 俺は災害になんかなりたくない。俺の力は、誰かを傷付けるためにあるんじゃない。

 俺は。俺は。


『大丈夫ですよ』


 声が、聞こえた。心の内から、俺以外の別の声が。

『私はクロムさんの味方です。今度は、私がクロムさんを助けます』

 そうだ。この声は。

 俺の帰るべき場所は、分かりきってる。愛する人と、愛する日々に、俺は戻りたかったはずだ。

 帰ろう。俺は孤独じゃないのだから。

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