第996話 「ルナロードの代わり?」
曖昧な要求で、具体的に何をすればいいのか熟知しかねる。だが、俺の警戒心が拒否を選んでいた。
「お断りだ」
拒絶した事で、ルナロードの反感を買ったかもしれない。俺を自由にする約束は反故にされ、俺は殺されるかもしれない。それでも、ルナロードの言いなりになってやる気はさらさら無かった。
さぁ、どうする。思い通りにならない俺に対して、お前はどう動く。
「へぇ。そう」
ルナロードの返答は淡白だった。興味無さげに口を動かす。感情の揺れは全くもって見られなかった。
どういう事だ。『要求』した割には、何も求めていないような態度。以前にも増して掴み所が無い。
「じゃあ勝手にしていいよ。そこの扉から外に出れるから。服もその辺のタンスから取ってって。この辺はルクトシン地区だから、適当に歩けば街に着けるんじゃないかな? 宿代が欲しいなら、ほら、そこに私の財布がある」
ルナロードは淡々と、俺が外出するための段取りを説明した。俺が要求を断ったにも関わらず。脈絡が無視され続けて、もしかしてルナロードは俺の話を聞いてないんじゃないかと疑う程だった。
「いいのか? 俺はお前を殺そうとしたんだぞ。なのに、そんな至れり尽くせりで……気味が悪い」
「何を言ってるのさクロムちゃん。君も言ってたでしょ? あの戦いは『救済』だって。世界に失望した私に、君は手を差し伸べてくれた。あんなに沢山の『予想外』を見せてくれたんだ。この程度のお礼じゃ至ってもいないし尽くせてもいないよ。本当なら、もっとお礼をしたいくらいだ。こんな体じゃなければね」
ルナロードは水槽の中で首を傾げた。頭しか無い状態で首を傾げられる器用さは、ある意味すごい。
「嘘は……言ってないようだな」
「もちろん。無力な私は、ここでしばらく眠るだけさ。せめてもの餞を送らせてよ」
「眠る? その水槽の中で、ずっとか」
「うん。栄養液も酸素も潤沢にあるし、こんな状態でも生きていられるさ。いつか迎えが来て、この私を外の世界へ連れてってくれる人が来るまで……ちょっと休もうと思う」
ルナロードは外に出る自由を選ばなかった。それが困難だからという理由もあるだろうが、しかし勇気ある選択だ。もしかしたら、このまま死ぬまで水槽の中かもしれない。誰にも見てもらえず、孤独に朽ちるかもしれない。
ルナロードには、自分の未来が見えているのだろうか。だとしたら、『予想外』の未来とは何だ。
一緒に連れて行こうか、と一瞬だけ考えた。しかし俺は思考を搔き消す。ルナロードがそれを望んでいるのなら、素直に言うはずだ。「ここで眠る」と答えたルナロードに、嘘は無かった。
「分かった。ありがとう、ルナロード。俺は行く。外へ。自由な世界へ」
ルナロードは停滞を選び、俺は自由を選んだ。水槽の外へ出たのは俺だけだ。
ルナロードは僅かに微笑み、言った。
「祝福するよ。でも、最後の一つだけ忠告させて貰う。君は、望む望まないに関わらず『私の代わり』になるはずだ」
俺は足を止め、ルナロードの方を振り向いた。
「何だと?」
「竜人の狂気については、君も知ってたよね? 竜人になったら、人間だった頃の感情が暴走する。それが大きな思いであればある程、自分でブレーキをかけられなくなる。君の心に僅かでも狂気が潜んでいたなら、君はきっと抗えないさ。私と同じように、正気を失った災害と化す」
ルナロードに言われて、俺は自分が人間でなくなった事実を再認識する。俺の会った竜人達も、皆多かれ少なかれ何かしらの感情に囚われていた。俺だけが例外など、そんな都合のいい話は存在しない。
心当たりが無い訳ではなかった。既に、己の心の変動に違和感を覚えつつある。人間だった頃よりずっと、大きな力に心を無理矢理動かされているような感覚がある。精神の暴走に、俺は抗えない。
「……これが、狙いだったのか? ルナロード」
俺が竜人になり、外の世界へ出て行けば、俺は『災害』としてルナロードの後継者になる。ならざるを得ない。俺の意思に関係なく、俺は狂うのだ。
「いいや。少し違うね。私はこれからもこの世を観察したい。死ぬまで『予想外』の未来を見ていたい。だから、君を信じているんだよ」
ルナロードは一拍置いて言った。「分かっているだろう?」と問うかのように。
「クロムちゃんなら、私の予想を裏切ってくれる。世界が再び大災害に苛まれるか否か……君の物語の結末を、私に見せてよ」
これはルナロードからの試練なのだ。俺が狂気に犯されるかどうか、彼女は見定めている。
いいだろう。受けて立ってやる。俺は自分自身の狂気に屈しない。竜人であろうと人間であろうと、俺は俺だ。
目の前に壁が阻んでいても、俺は進む。俺の帰りを待ってくれる人がいるんだ。俺の愛する人がいるんだ。
次の敵は自分自身か。相手にとって不足は無い。戦う覚悟は出来ている。
「言いたい事はそれだけか。忠告ありがとう。俺が止まると思ったら大間違いだがな」
「かっこいいねぇ。そんな君に、最後のプレゼントだ。というか、君の物だから返さないとね。タンスに寄りかかってる君の愛刀、無視して帰ったら可哀想だよ?」
洋服ダンスの隣に、クロミリアが立てかけてあった。鞘も柄も、まるで新品のように綺麗になっている。俺が眠っている間、ヤマトが手入れしてくれたのだろうか。
俺はクロミリアを握った。やはり、この握り心地が一番しっくり来る。人でなくなった俺をも、クロミリアは受け入れてくれた。
「またいつか、お前に会う日が来るだろうな」
ルナロードから貰った服を着て、俺は帰る準備を整えた。
「そう願いたいね。その時はきっと、楽しいお土産話を聞かせてよ」
「期待するなよ。つまらない話になる。世界は滅ばないし、誰も不幸にならない。平和で在り来たりな、最高のハッピーエンドを聞かせてやる」
俺は扉を開ける。眩しい光が、一気に差し込んできた。
「へぇ。それはそれは……」
ルナロードに背を向けているから、彼女の表情は見えない。だが、笑っているのは声で分かった。
「楽しい話になりそうだ」
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