第984話 「クロムVSルナロード」
構えを崩さずにルナロードを注視する。戦闘態勢になったルナロードに、一切の隙は無い。いや、もし「ルナロードが人間だったなら」と仮定した場合、彼女の構えはあまりに稚拙だ。隙だらけにも程がある。なにせルナロードは戦闘のプロでも何でもなく、戦う技術においては素人もいいとこだ。俺ならば容易に奴の首を刎ねられただろう。
しかし忘れてはならない。今のルナロードは竜人だ。高度な再生能力を持ち、多少の怪我では致命傷にはなり得ない。俺が一太刀入れた所で、悠々と反撃されるのがオチだ。そして、おそらくルナロードの攻撃を一回でも食らえば俺は死ぬ。ルナロードは技術の精密性ではなく、身体能力の強さで押し切るつもりだ。相手の土俵に乗ったら負ける。
だから、先に動けば不利になる。弱そうなフリをするルナロードに釣られてはいけない。俺は俺の戦闘スタイルを貫くだけだ。
一撃必殺を狙うんじゃない。敵の動きを見定めて、反撃の一瞬を狙え。
「自分から動く気は無い? だったら私が先手を貰うよ」
ルナロードはふらりと倒れるように前に進んだ。その覚束無い足取りとは裏腹に、ルナロードのスピードは凄まじかった。目で追えない程の速度ではないが、動きに緩急がついているので反撃のタイミングを探り辛い。
ルナロードの手刀を、俺はすんでの所で避けた。奴の挙動が読みにくく、回避するので精一杯だった。一見反撃のチャンスがあるようでも、焦ってはいけない。表面上の隙の有無など問題ではなく、その先の読み合いが重要だ。
ルナロードには『先』が見えている。それは戦闘においてあまりに大きなアドバンテージだ。だからこそ、その長所を崩せば戦況は覆る。
俺はルナロードを観察した。一挙手一投足に警戒し、どんな攻撃にも対応出来るように、最大限気を張った。一秒の油断が命取りになる。この集中だけは、決して切らしてはならない。
ルナロードが圧倒的に格上なのは百も承知だ。故に、俺の勝ち筋は限られている。鍛え上げてきた警戒心と集中力だけが、俺の突破口になる。
邪魔なのは『違和感』だった。ルナロードの素人丸出しの動作と、人並み外れた速度やパワーが、ミスマッチすぎる。相手が人知を超えた化け物だとは言え、見た目が完全に人間だから、人間と同じように見てしまう。それが違和感の正体だ。ルナロードは俺にとって予想外の動きをする。速度より腕力より耐久力より、その違和感が最も厄介だった。
俺は躱して、躱して、躱し続けた。ルナロードが目の前で背中を見せていても反撃は待った。防戦一方にはなるが、それで良い。今はただ準備を。この違和感に慣れるための準備を。
「どうしたのかな? 強気だった割には追い詰められてるじゃないか。あぁ残念だよ。君も結局、私の予想通りでしかない!」
ルナロードの猛攻は止まらない。一撃一撃の間隔が大きいので『猛攻』と呼べる程でもないが、一回でも食らったら終わりという状況がプレッシャーを生む。
「教えてあげようか。君は後37秒で詰む! 君の死に顔も全部見えてるんだよ! 死にたくなかったら全力で抗ってよ、さぁ!」
ルナロードは高らかに勝利宣言をした。俺の命は後僅かしかないらしい。ルナロードが勝ち誇って喋っているうちに、タイムリミットは30秒を切った。間に合うか。いや、間に合わせる。
ルナロードは嘘を言っていない。これはブラフによる揺さぶりではなく、彼女の目に映った未来の光景だ。運命のままに従えば、俺は死ぬ。
下らない。何が運命だ。
お前が勝手に想像し、決めつけた『真実』に、何故俺が従わないといけない。
覆してやれ。押し付けられた理不尽を。
残り10秒。ルナロードの拳や蹴りが、段々と精度を増してくる。動きに無駄が減ってきた。俺の動作を読んできている。俺はまだ、奴の『予想通り』だ。
5秒、4秒、3秒……。ルナロードが切迫する。回避が間に合わないくらい、目の前に。
「はい、おしまい!」
ルナロードが腕を突く。まっすぐ揺るがない一撃が、目にも留まらぬ速さで繰り出される。タイムリミットだ。
ギリギリで、間に合った。
「……あれぇ?」
腕を伸ばしきったルナロードがポカンと口を開いて立ち止まる。トドメを刺されたはずの俺は、無傷でルナロードの前に立っていた。両者の間に血の道が広がる。斬り落とされたルナロードの手が、慣性に乗って明後日の方向まで吹っ飛んでいた。
違和感の修正は、間一髪で完了した。『予想通り』なのはお前の方だ。もう、俺はお前の手の上で踊るピエロじゃない。
「待たせたな。次は俺の番だ」
クロミリアの刀身に付着した血が、一滴残らず地面に滴った。




