第979話 「戦う理由はいつだって」
ルナロード? 何故今、あいつの名前が出てきた。それに、世界を救うだって? 脈絡が無さすぎて理解が追いつかない。
「気付いておらんのか? ドラゴン共が人間を殺して回っているのも、シアノ熱の感染が広がっておるのも、ルナロードの仕業だ」
「だから……どうしろって言うんだ。俺に何が出来る?」
「貴様らしくもない。諸悪の根源がハッキリしておるのだぞ。放っておけば多くの者を苦しめる脅威が、まだ存在しておるのだぞ。人のため、世界のため、戦うのが貴様ではないのか? クロム」
「買い被りすぎだ。俺は、『悪』なんて倒せない。ただ手の届く範囲で笑顔を守りたかった……それだけだ。ちっぽけな人間なんだよ。世界を救う? 冗談かよ。俺は正義のヒーローにはなれない」
「それで良い。それで良いのだクロムよ。我が輩の言い方が間違っていたようだ。ルナロードは『悪』ではない。奴は『災い」だ。善悪の尺度で測れる領域にはいない。人の形をした災害だ。だからこそ、それを討ち果たすのは『善』でも『悪』でもない者。お前なのだ、クロム」
オーディンは力説した。こいつが必死になって訴えている姿は珍しかった。理由は分からないが、俺は戦うよう説得されている。こんな、小さな俺に。オーディンよりも弱い俺に。
「お前がやればいいだろ。そんなにルナロードが気に食わないなら、お前が」
「駄目だ。『悪』は人の敵であり、それ以外にはなれない。『災害』の敵にはなり得ないのだ。善のため、悪のためにしか戦えぬ者には、手の届かない領域がある。だが貴様は『人』のために戦える。そこが突破口だ。ルナロード・ジニアスの虚を衝く唯一の手段なのだ」
分からない。お前には何が分かっている? お前に出来なくて俺に出来るって言うのか? 倒れるロマノを前にして、嘆く事しか出来なかった、こんな無力な俺に。俺だからこそ可能だと、本気で言っているのか?
「……世界のためだとか、規模がでかすぎて実感が湧かない」
「ならば愛する者を想え。ロマノが死ねば、その仇はルナロードだ。ロマノのために戦うのならば、貴様も立ち上がれるであろう」
「それこそ、実感が湧かない! 仇だと? 俺に復讐者になれと言うのか。お前はロマノを何にも理解していない! ロマノが自分可愛さに、俺に人を殺せと、そんな願いを託すものか!」
つい強く言い返してしまった。オーディンは面食らった顔で黙り込んでいた。そしてしばらく思案顔をした後、「浅慮であった」と非を認めた。謝罪するオーディンなんて意外すぎて、俺こそ面食らってしまう。
「我が輩の見込み違いだったかもしれん。いや、今にして思えば貴様はそういう人間だ。栄光や憎悪に駆られて刃を握る俗物ではなかった」
オーディンは背を向けた。先程までの熱弁が嘘のように、静かに佇んでいる。
「我が輩は貴様に発破をかけに来た。それだけだ。拒まれたのならば、諦めるとしよう。時間を取らせたな」
オーディンは去った。これからどうする気だろうか。俺の代わりにルナロードを殺してくれる人材を探すのか。それとも、自分の手で戦うのだろうか。
「…………」
ふと、オーディンに言われた事を思い出す。ロマノが死んだら俺はどうするだろうか。本当に憎悪には取り憑かれないのか? 復讐心は皆無か? 「人を殺さない」という誓いを遵守しきれるか。
俺は、何のために刀を握れる?
「ねぇ、クロムおねえちゃん? おねえちゃんだよね? かえってきてくれたの!?」
明るい声と共に、俺の袖を掴む少女が一人。ナナ・ティーパが俺を見上げてニコニコ笑っていた。
「ナナ……お前は元気か?」
随分と長い間留守を任せてしまった。ロマノと一緒に看病を手伝ってくれたらしいが、ナナも無理をしてないといいが。
「うん! げんき!」
ナナはぴょんぴょんと跳ねた。シアノ熱の症状は出ていないようだ。俺は安堵の息を吐いた。ナナに万が一の事態があれば、マジマジの願いを裏切る事になる。
マジマジの死は、ナナにはまだ伝えない方がいいだろう。今は絶望を重ねる時期じゃない。彼女の笑顔を、一秒でも長く続けさせたかった。
「ねえねえ、クロムおねえちゃん! ロマノおねえちゃん、だいじょうぶかな?」
首を傾げるナナ。彼女の純粋な瞳の中に、憂いの色があるのが見えた。ナナもナナなりに、ロマノを心配しているのだ。
「大丈夫だ。ロマノは強いからな」
俺はすぐに答えた。まるで、事前に用意していた答えなんじゃないかと自分を疑いたくなる速度だった。
「……うん」
元気よく返事するかと思ったら、ナナは僅かに俯いて呟いた。ナナも現状を分かっているのだ。多くの死を見てきた彼女だから、むしろ俺より理解している。気休めは通用しない。
「クロムおねえちゃん。ロマノおねえちゃんがしんじゃったら、かなしい?」
ナナは唐突に尋ねてきた。俺が答える前に、ナナは言葉を続ける。
「センおにいちゃんんがしんじゃったとき、あたちはかなしかった。かなしいから、ころさなきゃって……そうおもったけど。クロムおねえちゃんは、どうするの?」
感情の表現手段として、殺害しか知らなかったナナ。しかし、彼女だけが特別ではない。人は多かれ少なかれ、同じ性質を持っていると思う。悲しいが故に、暴力を振るってしまう時もある。
俺の幼い頃がそうだった。あの悲劇を繰り返さないために、俺はアイズになったんだ。
「俺は……」
アイズの戦いは、何のためにあった? ロマノが俺に託した願いは、何だったろうか。
決まっている。ロマノは一番大切な事を、俺に教えてくれた。
「俺は、ロマノの意思を継ぐ。悲しみを、誰かの痛みで誤魔化さないように」
俺の行動目的は変わらなかった。俺の刀は、常に誰かを救うために振られてきたのだ。




