第975話 「病魔の手」
「そっちに行ったぞ! エリック!」
叫びながら俺は路地を駆ける。俺が追っていたドラゴンは、狭い道をスルスルと抜けて広場に出ようとしていた。
「おう! 任せやがれ!」
ドラゴンが逃げた先にはエリックが待ち構えていた。エリックお手製の棒型スタンガンが、豪快にドラゴンの喉元へと突き付けられた。規格外の電圧を受けてドラゴンは失神。力無く倒れた。
「これであたりのドラゴンは全部片付けただろうか。よくやった、エリック」
「へへっ、もっと褒めろもっと」
エリックは歯を見せて笑い、鼻の下を擦った。ここ数日続いているドラゴン掃討戦は、芳しい成果を挙げていた。エリックを含め、うちの隊は戦い慣れした面子が揃っている。おかげでドラゴンが数匹程度で襲ってくる分には、危なげなく対応出来た。
「あぁ、本当に助かってる。蒸留機も消毒機も。おかげで治療がスムーズに進んだ」
シアノ熱の治療においても、エリックの作った機械が活躍した。都心部から離れたこの荒野のアジトで、清潔な水が安定して手に入るのは大きい。シアノ熱で弱った人が別の病気にかかるのも危惧されたが、エリックの消毒装置の恩恵で、今の所シアノ熱以外の病状は見受けられない。
「ウィルスにもドラゴンにも、誰一人殺されてない。これって多分奇跡だぞ。エリックのおかげだな」
「え。なんでそんなに褒めるんだ? 俺、殺されるの……?」
「なんでだよ。お前が褒めろって言ったんだろ」
折角人が本音を晒してやったのに、泣きそうな顔されるとこっちが恥ずかしくなるんだが。
「クロムに罵倒されてないと落ち着かないぜ……。体がお仕置きを求めてる」
「気持ち悪いな……。もういい。俺はカインズ呼んでくる。ドラゴンの死体、運ぶの手伝って貰わないとな」
気まずい雰囲気を残したまま、俺はカインズを探してアジトを歩き回った。
ドラゴン軍団の襲撃は、想像より生易しかった。最初に来た時も、ファティオが視認した数の半分くらいの数しか襲来しなかった。「数を見間違えたかもしれません」とファティオは言っていたが、それはそれで喜ぶべき事だ。敵が沢山来るよりは余程良い。
それからも、ドラゴンの群れは度々襲って来た。しかし数が少ないので対処は容易だ。こんな人の少ない地域に戦力を注ぐ必要は無いと踏んだのだろうか、それにしても誤算だったな。俺やエリック、そしてファティオやカインズも、乗り越えてきた場数が違う。雑に用意された戦力に、狩られてやる俺達じゃない。
シアノ熱の蔓延も、予想より被害を抑えられた。感染者は多いが、命に関わる症状になったのは皆無と言っていい。他の地域では死者が大勢出ているらしいが、少なくともこのレジスタンスアジト周辺では軽めの症状で済んでいる。レジスタンスの担当医曰く、「新型シアノ熱で死に至るとしたら、体が弱い者や疲労が蓄積した者だけだろう」との事。つまり十分や休養を取れば命は助かる訳だ。感染力で言えば旧型シアノ熱より恐ろしいが、致死性で言えば大した事は無い。その点がせめてもの救いだった。
そして、医療スタッフの充実も救いだった。レジスタンスの医療班もさることながら、ユリーナの看護も大変評判だった。
「ミミのお手伝いしてた時に覚えましたから!」
そう言って、ユリーナは率先して病棟を回った。ラトニアの街で薬師として活躍していたミミの意思は、消えはしない。ミミの矜持も、薬の知識も、彼女が遺してくれた全てが今に繋がっている。ユリーナを突き動かしているのは、ミミがいた証を無駄にするまいという決意だろう。
だけど、無理はして欲しくない。看護を続けて疲労が溜まれば、ユリーナも危険に晒される。症状が出ていないだけで、ユリーナも感染しているはずなのだ。もちろん、俺だって例外じゃない。病魔に侵されたこの世界で生き延びるには、何より体を弱らせないに限る。
「ユリーナ。そろそろ休め。ちょうど昼飯の材料が手に入ったんだ。食事にしよう」
病棟を通る最中、病人のタオルを準備するユリーナに俺は声をかけた。少々疲れ気味のユリーナは若干迷った後、「そうですね」と頷いた。
「クロムさんの膝枕でぐっすり寝たいですー」
ふらふらと揺れながら俺に抱き付くユリーナ。そんな恥ずかしいお願い、普段なら断っているのだが、今はユリーナにリフレッシュして欲しい気持ちが最優先だった。
「分かった。昼食が終わったらな」
「あれ!? クロムさんがちょろ……じゃなかった優しい! 珍しいです!」
目を丸くして俺を見上げるユリーナ。そんなに驚かなくても、と俺は少しショックである。
「いつも優しくしてるつもりなんだが……」
「それはそうですけど、そうじゃなくて……クロムさんが私を受け入れてくれたのが嬉しいというか……ついにクロムさんも気持ちを改めてくれたんですね! 結婚式はいつにしますか!」
「元気そうだなお前。やっぱ膝枕は必要ないか」
「あーっ! 嘘嘘! 私疲労困憊! 満身創痍! 今にも死にそうなんですよ助けてクロムさぁーん!」
ユリーナは喚きながら俺の胸元に顔を埋めた。何なんだこのやり取りはと思いつつも、やはり安心した。ユリーナが隣にいて、何気ない会話を無意味に続けられるこの瞬間が、暖かい。
こんな安らかな時間が続いていいものか。
そう疑ったのが、駄目だったのか?
「クロムさん。ウォレットさんからお電話です」
レジスタンスのメンバーが、俺に受話器を渡した。ルタ大陸に帰ったウォレットから、俺宛ての電話。受話器越しの声が、いつものような明るさを失っていて、それだけで俺は嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
『クロム嬢。今すぐラトニアの街へ帰りたまえ。飛行機は僕様が手配する』
何故。そう聞く前に、ウォレットは無慈悲な現実を伝えた。
『ロマノ嬢が倒れた』




