第973話 「捨てられた従者」
「そうか、貴様が……。なるほど、顔はノーラと似ておる」
オーディンは僅かに瞼を開き、ルナロードの顔をまじまじと見た。一目でルナロードが信頼ならない人物だと気付いた。ノーラとはまるで違う。似ているのは顔だけだ。
「やぁ。最近も頑張ってるようだねオーディン君。直に会うのは初めてかな? よろしくね」
貼り付けた笑顔を剥がさずにルナロードは挨拶する。こんな表情をする人間には多く会ってきた。いずれも、イーヴィル・パーティーの力を利用しようと目論み近付いてきた輩だ。
「ルナロード様! お離れ下さい! この男は危険です!」
アレイシアはルナロードとオーディンの間に入り込み、オーディンに剣を向けた。
「うん。危険なのは知ってるよ」
「悠長になさらずに! ここはアタシにお任せを……」
「へぇ。倒せるの? あのオーディン・グライトを」
ルナロードは淡々と言った。彼女がアレイシアを見る目は、失望に満ちていた。
「……っ、ア、アタシは!」
思わず気圧されてしまうアレイシア。だが、重たい責任感が彼女の背中を押した。
「やってみせます! ルナロード様のためなら!」
「じゃあ試してみてよ。無理だと思うけど、少しは期待してあげる」
ルナロードはアレイシアを見てなかった。彼女の興味は、危険であるはずのオーディンにのみ向いていた。
「ルナロード様……。アタシを……」
アレイシアは目を見開き、口を開ける。そして俯き深呼吸した後、強くオーディンを睨んだ。
「アタシを見て下さい!」
アレイシアは『責務の一振』を振り上げ、オーディンに飛びかかった。オーディンは再び瞼を閉じたため、アレイシアの鬼のような形相に気付かない。だが、アレイシアの気迫だけは肌で感じていた。
アレイシアの攻撃は、オーディンには見えない。頼りになるのは聴覚と、積み重ねた戦いの記憶だった。アレイシアの動きを予測し、オーディンは躱す。殺意の乗った相手程、分かりやすい動きをするものだ。
「なんで……!? 当たらない!」
アレイシアの斬撃は何度振っても紙一重で避けられる。一撃でも命中すれば戦闘不能に出来る自信があるのに、その一撃が届かない。
「次はここか」
何も見えていないのに、見切っていた。オーディンは『責務の一振』の次の軌道を読み、いよいよ反撃に移った。刀身が地面に降ろされた瞬間を狙い、勢いよく踏みつける。オーディンの蹴りの威力を受け流せず、『責務の一振』に亀裂が入った。
「しまっ……」
やってはいけない失敗を犯したと、アレイシアは冷や汗を流した。普通の大剣なら、多少ヒビが入っても使えなくはない。だが『責務の一振』は剣というよりむしろ、巨大な精密機器なのだ。少しの傷が致命傷になり得る。分厚い装甲のおかげで、かろうじて剣として振るえはしたが、本来なら精密機器で敵を殴るのは好ましい用途ではない。
オーディンの反撃で、『責務の一振』は機能を失った。壊れた電灯や基盤では、脳に作用する光を出力出来ない。『責務の一振』は大きくて重いだけの凡庸な剣になってしまったのだ。
最初に影響が出たのは、持ち主であるアレイシアの方だった。身体強化の能力が消えたため、『責務の一振』を振るだけの力が引き出せない。巨大な重石と化した『責務の一振』を、僅かに持ち上げるのが精一杯だった。
「どうした? 急に大人しくなりおって」
目を閉じつつ回避行動を続けていたオーディンだったが、斬撃の気配が無いのに気付き、足を止めた。もしやと思い目を開けてみたら、案の定体は重くならなかった。先程の蹴りで『責務の一振』の束縛効果が消えたのだと、オーディンは確信した。
「くそっ……このくらい……こんな、重さくらい……!」
アレイシアは歯を食い縛って、体を震わせつつ『責務の一振』を持ち上げようとする。しかし、アレイシアの力ではいくら踏ん張ろうと限界があった。持っているだけでも全力を要しているのに、自由自在に振れるはずがない。
「ふん。勝負あったな」
武器を使えない相手に剣を向ける気は無かった。オーディンは『加害の一振』を鞘に収める。アレイシアは踏ん張りながらもオーディンを睨む。
「まだ……よ! アタシはまだ……」
「いや、もう無理だよ。あーちゃん」
依然として戦おうとするアレイシアを止めたのは、ルナロードだった。諦念の眼差しでアレイシアを見て、口元の笑みを消す。
「そんな……ルナロード様」
「分かっていたんだよ。君が叶う相手じゃないって。本当、君は予想通りの事しかしないよね。ずっとそうだった。君は私の予想を裏切れない。全く、失望させてくれる」
ルナロードの声は冷たかった。彼女の乾いた表情が、強くアレイシアの希望を抉る。
「すみません……アタシが役に立たないせいで、ルナロード様を悲しませてしまい……」
「違うよ。あぁ、やっぱり君は何も分かってない。君が弱いから失望してるんじゃないよ。君が私の予想通りにしか動かないから。有り触れた未来しか私に見せないからなんだ。『予想外の展開』は、君には期待出来そうにないよ。もういいよ」
もういい。その言葉がトドメだった。アレイシアは、責任を果たすべき相手を失ったのだ。
「お……お許しを! アタシにチャンスを下さい! アタシにはまだ、やるべき事が!」
「無いよ。与えてあげたチャンスを全部ふいにした君に、もうやるべき仕事は無い。さようなら、アレイシア・ルーン。これからは自由に生きたらいいんじゃない? 責任とか仕事とか考えずにさ。短い人生をどう過ごすか選べばいい」
ルナロードから解雇通告は、アレイシアにとってこれ以上ない絶望だった。生きる目的を今、奪われたのだ。仕事も責任も無くなったら、一体どう生きればいいのか。捨てられた後の『自由』や『選択』など、アレイシアは求めていなかった。
「嫌……嫌よ! アタシにはあなたしか……他に居場所なんてどこにも無いの! 捨てるなんて、あんまりだわ!」
「人を散々がっかりさせておいて、それは無いんじゃない? 今までは他に期待する相手も無かったし、仕方なく君も見てあげたけどさ。もう、新しい観察対象を見つけちゃったから。つまんない研究より楽しい研究をしたいよね? ま、君は分からないか」
「ルナロード様! アタシ、何でもするわ! どんな扱いだっていいから、お側に……」
アレイシアはルナロードの足を掴んだ。ルナロードは眉をひそめてアレイシアを見下し、彼女の手を蹴り払った。
「それが予想通りでつまらないって言ってるんだよ。あ、そうそう。気付いてないだろうけど、君もうすぐシアノ熱で死ぬよ。もう感染してるし」
「え……嘘よねルナロード様? アタシにはワクチンを投与してくれて……アタシには助かって欲しいって……」
「あぁ、あれ? うん。嘘だよ。君にあげたのは無関係の薬品さ。そもそも、新型シアノ熱のワクチンはまだ出来てないし」
「…………嘘よ」
アレイシアは茫然自失になっていた。ルナロードから完全に見捨てられた事を理解し、動く気力さえ失っていた。口を開けたまま黙るアレイシアを放置して、ルナロードは去ろうとする。
「待て」
ルナロードの前に立ちはだかったのはオーディンだった。やっと見つけた厄介者を、みすみす逃すはずがない。
「なぁに? 私とお喋りしたいのかな?」
「ノーラは父親似だったのだろうな。全く、貴様には反吐が出る。元々気に食わなかったが、こうして面と向かってその思いが強くなったぞ」
「あははは。アレイシアを捨てたのが見苦しかったかい? 悪党の君が道徳を語るなんて滑稽な……」
ヘラヘラと笑うルナロード。彼女の表情は、赤い血で上塗りされた。
「道徳ではない。我が輩が不愉快だった。それだけだ」
斬撃は一瞬だった。オーディンが『贖罪の一振』を抜剣し、居合のごとくルナロードの手首を切断するまで、瞬く程の時間も無かった。
「……へぇ」
ルナロードは、手首から先を失った左腕をじっと観察していた。興味深そうに見つめた後、ニタリと笑う。出血は既に止まっていた。
「私に一撃与えるとはね。やっぱり君は恐ろしい」
そう言うルナロードの声に、恐怖の色は浮かんで無かった。古今東西あらゆる人々の恐怖を見てきたオーディンには分かるのだ。怖くないフリをしている人間と、本当に恐れていない人間の違いが。
「貴様も竜人か」
「正解。せっかく戦える体を手に入れたんだから、君と一戦交えてみるのもいいけど……」
ルナロードは右手を振り、別れを告げる動作をした。次の瞬間、ルナロードは風を巻き起こしながら後退し、オーディンの間合いの外へ出ていた。
「つまらない結末になりそうだから、やめとくよ」
ルナロードは走り去った。あまりにも素早く、追い付けないのは火を見るより明らかだった。追えない敵を追うつもりは無く、オーディンは剣を収めた。
ルナロードは傍観しに来ただけだった。アレイシアの最後のチャンスを観察し、そして期待外れだったからこれ以上の期待をやめた。ずっと隣に置いて、ずっと失望してきた相手を、とうとう切り捨てた。ルナロードにとっては決まり切った別れだったのだが、アレイシアにとっては唐突な裏切りにしか思えなかった。今までも、これからも、一緒にいさせてくれると信じていたのに。
「ルナロード様……なんで……なんでなのよぉ」
壊れた『責務の一振』を抱え、泣きじゃくるアレイシア。生き甲斐を奪われ孤独を押し付けられた彼女に、オーディンは声をかけた。
「貴様が悪の道に堕ちると言うなら、いつでもイーヴィル・パーティーは門を開こう。だが、今一度考えてみるが良い。貴様の責任とは何だ。やるべき事は、何であるか」
最早敵でもなく、ルナロードの従者でもなくなったアレイシアに、オーディンは用は無い。しかし、進むべき道を迷っている者を無視して去る気にはなれなかった。
アレイシアは涙を流しながらオーディンに視線を向ける。オーディンは続けた。
「その剣、修理すれば再び使えるのではないか? まだ貴様の剣は折れておらん」
オーディンは知っているのだ。本当の責務とは、他者から強要されるものではなく、己の覚悟から湧き出てくるものだと。そして、簡単に折れてしまうものでもないと。
オーディンは去り、アレイシアは一人残された。彼女は濡れた瞳で空を見上げ、思いを巡らせた。泣いて、考えて、泣いて、考えて。いつしか、足が動いた。
行こう。
結論を出した時、彼女は歩いていた。重たい武器を引きずり、目指すべき場所へと。
◯お知らせ
13日(金)から19日(木)までの一週間、連載をお休みします。再開日は20日(金)になります。




