第970話 「ラトニアの街の攻防」
「ねぇ、ナナちゃん。君は病院の人達を避難させて下さい。あのドラゴンは自分が何とかしますのでー」
ナナは人並み以上の力を持つが、ドラゴンと戦うとなれば不十分だった。『ハンガードルガ』の胃袋を移植されていても、それを戦闘に用いるにはマジマジの『特殊生体圧縮化加工』の技術が必須だ。マジマジがいない今、ナナは竜人の能力を十全に使えない。腹から吐き出すためのドラゴンを補充出来ないからだ。
ナナに戦闘は向いてない。それに、彼女にはもう殺す感覚を思い出させたくない。ナナを戦線から外すロマノの判断は、ロマノ自身の願い故だった。
「む、むちゃだよ!」
ナナもロマノを止めた。丸腰の人間がドラゴンに挑むなど、常識的に考えて自殺行為に等しい。しかも『ファストグシーガ』は地上最速のドラゴンだ。翼を持たない代わりに、強靭な足で大地を飛ぶように駆ける。人間が立ち向かっても為す術なく引き裂かれるのがオチだろう。ナナはマジマジから教わったから知っているのだ。
それでもロマノは前に出る。敵の強さを計れない程ロマノは未熟ではない。だが、敵の強さに応じて大きさを変えるような勇気は持っていない。どんな困難が目の前にあろうと、誰かを助けるために戦うのがロマノだ。
「気配は外にも2匹……じゃあ合計3匹来てますねー。ちょっと大変ですけど、やりますよー自分は」
怖くないはずがなかった。だとしても戦うのだ。理不尽な世界に屈しないために。
「でも……」
「大丈夫です。ロマノ団長に任せなさーい。君はみんなを助けてね」
ロマノは和やかに微笑んだ。精一杯見せた自信が、ナナにも安心を与えた。
「う、うん! あたち、みんなたすけるよ!」
殺すのではなく、助ける。ナナがアイズに来て学んだ事だ。クロムがロマノの背中を見て憧れを抱いたように、ナナもクロムを見て同じようになりたいと願ったのだ。
ナナはいち早く走って、逃げ遅れた人をファストグシーガから離した。守るべき人の安全があると思えれば、ロマノは安心して全力で戦える。
「帰ってきて良かったですねー、本当に」
世界が危機に瀕しているのはロマノも気付いていた。ドラゴン襲来やシアノ熱の感染は、人類の歴史が終わるかどうかの瀬戸際だ。史上最悪のこの災害は、とある天才が引き起こした人災。そして同時に、人の枠を超えた狂気による天災だ。
アイズの力が求められるのは今だ。ルトゥギアの『災害』はウォレット達に任せてある。ロマノは、クロム達の不在のラトニアを守るべくやってきた。クロムが安心して戻ってくれるよう、この街だけは絶対に壊させない。
ファストグシーガの襲撃場所がこの病院だったのは不幸中の幸いだった。ロマノもナナと同じく、アイズ隊員として病人の看病を手伝っていた。積極的に看病していたロマノは、病院からほとんど足を離さなかった。おかげで、ファストグシーガが来てもすぐに駆けつけられたという訳だ。
ファストグシーガはロマノを睨む。外にいた2匹も、獲物の気配を察して病院内に入って来た。ただ一人で佇むロマノは、さぞ隙だらけの小動物のように見えたことだろう。
「アイズの看板背負ってますからねー。かっこ悪い所は見せられませんよー。……ごほっ、ごほっ」
少し咳き込んでしまった。喉が痛く、頭がぼーっとしがちだ。最近看病に張り切りすぎて、睡眠不足だからかもしれない。とは言え、弱音は吐いていられない。万全の体調ではなくても、不利な状況であっても、最善の結果を出すのが『アイズ流護身術』だ。
ファストグシーガは風のように素早く走り、ロマノの喉元に爪を振るった。畳み掛けるように続く攻撃を、ロマノは全て避け切る。ドラゴンとの戦いは慣れていないが、深く観察し、警戒すれば、対処出来ない程ではない。
「そこっ!」
ファストグシーガの隙を見抜き、ロマノは反撃の一手を叩き込んだ。致命傷とはいかなくても、動きを抑えるくらいの威力はあった。
数秒の攻防だが、少しの油断が死に繋がる激闘だった。集中力を限界まで高め、全身が熱くなる。必死に息を整えていないと、呼吸が乱れてしまいそうだった。
「自分も若くないんですかねー」
軽口を言う余裕はあったが、欲を言えばもっと余裕で戦いたかった。ドラゴン三体を同時に相手するのは、やはり難易度が高いらしい。
ここが正念場だ。この街を守る事は、クロムの大切なものを守る事でもある。クロムの涙は見たくない。だから息が苦しくても全力で戦うのだ。
クロムの顔がロマノの脳裏に浮かぶ。部下であり、弟子であり……娘のようであったクロムを。
そしてもう一人。同じく娘のように可愛がっていたアレイシアの顔も、思い出していた。
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