第9話 「収束」
ドモン・ジーはイラついていた。
突然現れたカインズとかいうアイズの隊員のせいで、仕事が妨害され、お楽しみを邪魔されたからだ。
収まりきらない性欲を発散したくて堪らなかった。
今は仲間と共に、女達が逃げないように取り囲んで見張っているが、ドモンがしたいことはそんなことではない。
反りたった欲望が、今にも爆発しそうだ。
そうだ。見せしめという名目で、女を1人犯してやろうか。
そんな思いがドモンの頭をよぎった時、1人の女が逃げ出そうとした。
これはチャンスだ。
ドモンはその女の腕を掴んで、乱暴に地面に叩きつけた。
「痛っ!」
逃走に失敗したユリーナは、苦悶の表情を見せた。
「お前らぁ! 逃げようなんて考えるなよ! こうなるからなぁ!」
ドモンは興奮しながらユリーナの上着を破いた。白いシャツと、そこから透けて見える下着が露になった。ドモンがシャツを破こうと、手を伸ばす。
ユリーナが貞操の消失を覚悟したその時。
クロムの蹴りが物凄い勢いでドモンの右肩に直撃した。走行中の車から飛び降りたクロムの、その慣性を生かしたままの一撃。しかも、クロムの靴には鉄板が仕込まれている。食らえばひとたまりもない。
ドモンは10メートル先まで吹っ飛ばされ、地面に激突。ごろごろと転がり、小岩にぶつかった。
そしてその時に、男の大事な部分に大ダメージを受けた。
「んぐがうあああああああああ!!」
もはや声とは呼べない声をあげ、狂った獣のようにのたうち回るドモン。
その様子を見ていたオーナーと眼鏡の男は、同情を隠すことができなかった。
「猛スピードも慣れれば大したことないな」
ユリーナが見上げた先には、凛々しく立つ制服姿の人物が。綺麗な黒の長髪に、端整な顔立ち。背は低いが、スレンダーで勇ましい佇まい。細く鋭いが、どこかに優しさを含んだ眼。
「アイズ所属のクロムだ。お前達を連行する」
* * *
俺はざっと周りを見渡し、状況を確認した。
少し離れた場所で、小柄な女とカインズが戦っている。
地面に座る娼婦が7人と、その近くに立つ男が2人。
そして俺が蹴飛ばした大男が1人。
俺の足元に座る女性は、シャツ一枚とスカート一枚という出で立ちで、随分薄着だ。恐らく、暴行を受ける寸前だったのだろう。
ハゲ頭の大男が、怒り狂いながら俺に向かって突進してくる。俺は体を右に傾けさせながら足払いをかけ、その男を転倒させた。そして、そいつが地面に落ちる前に、腰の小袋から麻酔針を取り出してハゲ男の腕に刺した。
ハゲ男は先程までの興奮状態が嘘のように、ふっと気を失って倒れた。
俺は薄着の女に手を差しのべて言った。
「立てるか? 大きな怪我はないようだな。よかった」
薄着の女は目を見開いて言った。
「う、後ろ!」
俺の背後から殺気を感じた。
「分かってる」
俺は後ろを振り向くことなく、真後ろに肘鉄を放った。「ぐっ」と低い唸り声を出した男が倒れる。俺は体を右に回転させつつ、麻酔針をその男に刺した。
「数時間は眠れる麻酔針だ。大人しくしてもらうぞ」
俺の後ろに誰かが近づく気配は察していた。足音も聞こえていた。たとえ後ろを取られようが、隙を突かれることはない。
3人の男のうち、2人を眠らせた。残る1人を探して周りを見渡すと、眼鏡をかけた小男を見つけた。その男は俺の視線に気づくと、すたこらと逃げ出した。
「おおっとぉ! 逃がさねーぜ!」
いつの間にか車から降りていたエリックが、小男の逃げ道に回り込んでお手製のスタンガンの一撃を浴びせた。
「うがぁっ!」
小男は鈍い声を発して地面に倒れた。
「あいつらっ……! やられやがった!」
カインズと戦っていた女が、戦いの手を止めて、俺達のいる場所を睨んでいた。
「アイズの隊員が3人……ってことは、ガンダスのヤローもやられたのか? くそっ、雑魚共が!」
女はそう言って迅速に逃げ出した。
「どうします、隊長? 追いますか?」
「いや、放っておけ。それより、カインズ……」
俺はカインズの元へ歩いていった。カインズは体のいたるところに小さな切り傷が付いていて、呼吸が荒かった。
「苦戦してたようだな。お前らしくない。敵が女だったから油断したか?」
「そんなことないですよ。ただボクが未熟なだけです」
確かにカインズの身体能力はずば抜けているし、ポテンシャルは申し分ないが、いかんせん経験が浅い。今回の切り傷は、それに帰因するものだろう。
「さて、この男達が眠っている間に、軽く拘束しておくぞ」
俺は腰の小袋から手錠を取り出した。
「待って……」
下着姿の艶やかな女が、俺の背中に寄りかかった。
「アタシの子供が……3人の子供が、都会の育児施設に預けられてるんです……。その男達が捕まったら……あの子達の居場所が無くなるんです……。お願いします……見逃して下さい……」
3人の子供、と聞いて、娼館の管理人室で見た情報を思い出した。まさか、この女は。
「あなたは……ネーミリカ・ユルマさんですか?」
女は、俺の質問で一瞬驚いた様子を見せたが、すぐさま頷いた。
「はい。どうして、アタシの名前を……?」
「管理人室で、あなたの名前を見ました。あなたのお子さんのことも、そこで知りました」
そうか。この人はまだ知らないのか。自分の子供が、今どうなっているのかを。
「ネーミリカさん。残念ですが、あなたのお子さんは皆、亡くなってます」
ネーミリカの目が見開くのが分かった。
「……う、嘘……」
「管理人室の資料には、『ネーミリカ・ユルマの3人の子供は、全員感染症で死亡。』と書いてありました」
ネーミリカは生気を失ったように崩れ落ち、虚ろな目で地面を見つめていた。
『はじまりの日』から50年経った今でも、死亡率は高い水準のままだ。
人が死にやすい時代。端的に言えば、今はそういう時代だ。
衛生管理がしっかりしてる都会でさえ、感染症で亡くなる子供は珍しくない。特に、ネーミリカの子供の命を奪った『シアノ熱』は、世界中に感染者がいる難病である。
俺は今まで、何度も何度も人の死を経験してきた。そのせいだろうか、人の死に淡白になっている。ネーミリカに訃報にを告げる自分の口調が、淡々としていることに気がついた。
「ネーミリカさん……」
薄着の女が、ネーミリカに駆け寄った。ネーミリカは小さい声でその女に話しかけた。
「ごめん、ユリーナ。アタシ、あんたを騙してた」
ユリーナと呼ばれた薄着の女が、「えっ?」と短く言った。
「あの男達は、結構前から自分達がアイズに目を付けられてることに気づいたみたい。ほら、エリックとかいうバイトの子がいたじゃない? あの子がアイズのスパイなんだって、あいつらが言ってた。その話をアタシは聞いたの。そしてドモンがアタシにこう言った。『アイズが助けに来るぞ、と新人の女に伝えろ』って。そうやって希望を与えてから絶望を味わわせたいんだってさ」
「絶望……?」
「そう。絶望に満ちた顔した女の方がそそられるんだってさ。下らないわよね」
ネーミリカはユリーナに「ごめん」ともう一度謝った。
長い沈黙が、この場を支配した。
というか、エリックの密偵バレてるじゃねーか。
あいつがもっと上手くスパイしていれば、逃げられずに済んだのに。
俺がエリックを睨むと、エリックはさっと目をそらした。
何はともあれ、任務完了だ。