幕の捌 『中立地帯の提案』 東信濃、所有化計画
ブレイク知識
長柄武器について
長柄武器とは、槍、戟、薙刀、偃月刀などの長い棒の先端に穂先(刃など)を取り付けた武器の総称であり、日本のみならず世界各地でながい間、武器の主力であり続けた。
日本では時代の変遷によって主として使われた武器は異なり、武士身分の登場前までは中国から渡来の、矛、一騎討ちこそ武士の華と言われた源平合戦のころでは、長巻と言われる片刃の大剣に柄を付けたものや薙刀が流行る。集団による攻撃が常識となった戦国時代では、従来の長さの倍以上の長さの、長柄槍が戦国時代通して主力となり、全国に広まった。
この長柄槍に目をつけ、それを使った戦法の創始者こそが、戦国三大梟雄の一人、『齊藤道三』、通称『蝮の道三』である。
そして、長柄槍を鉄砲と共に有効な武器の一つとして重要視し、考えた武将こそ、『織田信長』である。
信濃国小県郡 北信地方太守 村上義清軍の駐屯地
現在はただの駐屯地に過ぎない。しかし、その地は後々こう称される場所に立地していた。
『上田城』
後の天下の謀将、『真田昌幸』によって天下に轟くことになる名城はまだ影も形もない。むしろ、その城主となる、昌幸は生まれてすらいない。
しかし、生涯を通して仇敵となる真田家の未来の居城に駐屯地を置くことになるとは義清は露とも思ってないだろう。
ここは、先ほどわずかな兵力の真田幸隆との熾烈な争い(…?)を繰り広げた、村上義清が領地の境界線に迅速に送り込むために造った砦である。防御力は大してないものの、大軍を収容するには十分な規模を持っていた。
そこに、今、限界収容数の半分も満たない数の将兵が前線から帰ってきた。
留守を守っていた兵士たちは迎え入れたのだが、帰還してきた兵士たちはみんな疲れ果て、勝利の余韻すらなかったので明らかに敗戦したのだ、と分かった。
留守居役を任された部将たちは、すぐさま大将の義清に出迎えのあいさつに向かう。
そして、部隊の最後列にいた義清に近寄って、労いの言葉をかけようとするが、その後ろに見たことない家紋の旗を掲げた部隊が追従してきた。敵と思い、抜刀して構える。
しかしその刹那、相手側からとてつもない速さで矢が放たれ、持っていた刀が手からこぼれた。
戦闘を歩いている巨躯の男がいさめると、弓を持っていたものが構えを解き、再び中に入ろうとした。すれ違い際、巨躯の男、山口信濃守が振り向き、
「我らは別に貴公らを殲滅する気はない。安心しろ。」
放たれた言葉は、なぜかわからないが我々を足止めさせるほどの威圧感を感じさせたのだった。
信濃国 村上軍駐屯地 本陣
先ほどの戦の最中、村上義清の陣営に近づいた信濃守は「撤退すれば攻撃しない。」と言って村上軍を撤退させた。
そして義清に対し、『自軍(精強衆)に対する戦闘行為に対しての講和』と称して、信濃守はじめ精強衆全軍は威圧的意味も込めて義清の撤退に追従した。
義清からすれば向こうからの奇襲に反撃したに過ぎないのだが、信濃守の軍はあれほどの激戦でありながらほぼ無傷も同然であり、対して村上軍は当初率いていた2000からわずか400程度まで減っていた。
これは敗戦した際に、従っていた兵士たちが逃げ帰っていくからである。
そして、村上軍駐屯地に入った信濃守は、本陣と言える場所に呼ばれた。もちろん陣幕の前まで精強衆を引き連れて。
陣幕の中には、正面に大将、村上義清がいて両側には重臣らしき者たちもいた。
信濃守は、自分自身と戻ってきた軍師、富山智鉄こと、鉄平。それについてきた森次郎、水ノ介、源之助である。
村上側からは信濃守のみ入れる予定だが、信濃守の幕の前の番兵を軽い威圧で無理やり押しとおらせた。
「御目通りの申し出適いありがとうございます。」
信濃守は開口一番、立ったまま社交辞令として礼を言った。
なぜ立ったままかというと、自分の本来座る位置に床几はもちろん、敷物一つないからである。
「貴様!陣幕に入れてもらいながら立ったまま口上を述べるとはどんな了見だ!この礼儀知らずめが!!」
義清に比較的近い重臣(比較的腹が出てる中年親父)と思えるものが信濃守に向かって言い捨てる。それを聞いたほかの将の中で信濃守に近い将(如何にもインテリっぽい若造)が、「まあまあ」、といさめる。
「仕方ありませぬ。この者、他国からの流れ者のようですし…礼儀が知らないならば我々が教えればよろしいこと。…これ、その方、陣幕に入った際はな、まず片膝をつき、膝の上に手を置いてな、頭を下げるのじゃ。」
若造はにやけながら、信濃守に礼儀作法云々を指南し始める。
「…で最後にもう一度礼をして陣幕を去るのじゃ。当家に仕えたいならば、最低限の礼儀をわきまえよ。」
そう言って、若造が重臣たちに目をやると、義清以外の者がくすくすと笑いだしている。義清も笑ってはいないが、明らかに嘗めきった顔をしていた。
「今のうちにはっきり言っておこう。」
信濃守は中年親父や若造が笑っている最中、ハア、とため息をつき、そう吐いた。
「俺は別にこんな奴に仕えたいとは思わん。少なくとも俺の軍勢をうまく采配するには力不足だ。」
そう言って、さっき笑った連中のほうを見やる。連中は今にも怒って、信濃守を斬ろうとする素振りが見える。
「俺は貴様らが誤って俺らのすみかに入らねえようにしてもらいに来たんだ。勘違いすんな。」
そこまで信濃守が言うと、手近の将たちが抜刀して信濃守に斬りかかる。
しかし、瞬時に信濃守の背後にいた源之助らがその者たちを抑え込む。さながら格闘技の絞め技の如く。
「貴様らに一度だけ言っておく。俺らはその気になれば今すぐにこの場にいる人間すべてを殲滅できる。貴様らに残る選択肢は、無条件で要求を呑んで生き延びるか、蹴って皆殺しにされるかのどっちかだ。既に別働隊4000が小県郡内の村上領すべてを攻撃する準備は整っている。呑むか、死ぬか、選べ!」
少なくとも4000以上無傷な上に動ける軍勢がいる。
信濃守はそう言って、気を失い地に伏せている将の座っていた床几の一つを自分のもとに持ってこさせドカリ、と座った。巨漢である信濃守はそれだけでも十分に威圧感があったらしく、義清はようやく口を開いた。
「分かった、要求を呑もう。しかし条件が…」
「言ったはずだ無条件による要件承諾以外受け付けない、と。」
義清が言いかけた言葉に間髪入れず、信濃守は言い返す。
「…わかった。」
そして、義清は折れたのだった。
「なに、そこまで不平等な条件じゃない。」
そう言って信濃守は鉄平の方を見る。
鉄平は「御意」と言って巻物を信濃守に渡した。
停戦条件
一、まず、当家との間に争いごとを起こした場合、この停戦協定は破棄される。
一、小県郡、佐久郡の村上領、及び村上家に属する者の領地は当家に譲渡すること。
一、当家の者が貴領内を通る際、関所などで検問行為を行った場合も協定は破棄する。
一、当家の領内に貴領内の者が侵入した際も同様とする。このことは村上家に住む全ての民を対象としている。
一、貴領内において、売買は当家御抱商人『信濃屋』との取引を最優先とすること。これを破った際も協定を破棄する。
以上
と書かれていた。
明らかに不平等な条件である。
「なお、我々は今後15年以内にここより立ち去るのでそれまでの条件となります。」
15年間この条約を守れば自由にしていい。そう義清は受け取った。
「仕方ない。要求を呑んでしまった以上、手切れは当家の壊滅を意味するようなもの。15年の辛抱だ。」
義清はそう言って、先ほど提示された領内の者に加増という名目で別の領内への移転を命じたのだった。
「南信濃制圧時には当家は手を出しませぬゆえ。」
そう言って、信濃守は陣幕を出る。
中の声を聴いていた村上家の兵士たちは、信濃守に敵意のまなざしを向けるも、外に控えていた精強衆の見えない威圧と、縣衆たちの眼力ですぐに逃げ去って行った。
信濃守はいったん、陣幕の方を向き、鼻で笑い、駐屯地を出て行った。
翌日 信濃国 真田郷 幸隆の居館
信濃守は翌日、精強衆たちを拠点としている海野郷に帰らせ、自身は鉄平と源之助、森次郎と共に、真田幸隆の居館に向かった。
先日の村上家での騒動が伝わったのか、幸隆は恐々とした表情で信濃守一行を広間に通した。
先の戦では命を救われたが、だからといって信濃守という男が味方であるとは限らない。聞いた声色からは若々しい気配を感じたが、若輩者とは思えない威圧感と風格。あの村上義清でさえ気圧されてしまったほどという。
あの年齢で信じられないほどの修羅場を潜り抜けてきたような、そんなことがうかがえる。
…広間に向かうにつれ、幸隆は自分の足が重く感じた。本能がこの先に進むことを拒絶するかのごとく。
同 幸隆の居館 広間
信濃守は村上義清との話し合い(という名の脅迫)によって、信濃国の東信地方全域を領することを認めさせた。しかし当人は、別に東信濃を統治する気はない。ひとまず海野郷だけでは18000の人員の生活には規模が小さすぎるから、東信濃の二郡を割譲してもらったに過ぎない。内政が得意な者たちに領内の統治を委任し、ほかの者にはひとまず未開地の開拓を行わせる屯田兵になってもらった。
この地は相次ぐ戦乱にさらされることが多かったのか、多くの廃村や、荒地が跋扈していた。特に村上家に攻められたらしき集落跡などは肉の腐った臭いや焼け焦げた死体などが打ち捨ててあった。とりあえず屯田兵たちにはこれらの死体などを焼却し、供養をしてから、18000人分の食糧を賄えるくらいまで開拓せよ、と伝えてある。
信濃守は既に今後のプランを大まかに決めており、いまは信濃を拠点に活動するつもりはなかった。
まあ、それはさておき今は真田幸隆の居館にやってきている。
村上家の脅威はひとまず消えたものの、村上家に属さぬ在地の地侍などはこの真田をはじめ、いくつか残っている。ひとまず今回のループにおいて顔見知りとなった幸隆を味方にしたい。そう考えた末の訪問である。
「殿、参られたようです。」
控えていた鉄平が声をかける。
一応礼儀として、下座に座り御辞儀をした状態で待つ。
ガラッ!
勢いよく襖があいた。
上座に座った音が聞こえ、信濃守はあいさつした。
「御目通り適いありがとうございます。拙者、山口信濃守と申します。」
信濃守はそういうや返答を待たず、頭を上げる。見上げると幸隆は供も小姓も連れていなかった。
「拙者、田舎者ゆえ、礼儀を知らぬこと、平にご容赦を。」
信濃守の言葉に幸隆は何かを感じ取ったのだろう。
「いえ、手前こそ大した持て成しもできず申し訳ない。」
と言って、信濃守を見た。幸隆はこの山口信濃守と名乗る男が何をしに来たのかわからなかった。
「信濃守殿、先日の村上勢との戦では縁も所縁もない拙者をお助けいただき感謝いたします。」
だからとりあえず用件を聞くその前に、命を救われたことに関して礼を述べる。
「…いえ、拙者の気まぐれは今に始まったことではありませぬ。幸い、何もなかったゆえに御気になさらず。」
信濃守も、村上家での対応とはうって変って、当たり障りの無いように話す。
「…して、此度の訪問は何の御用でありましょうか?」
幸隆は本来の用事を聞いてきた。
当然だろう、4000前後の兵力を自在に運用できるらしいという、どこから出たか定かではない噂が立つほどだ。
…実際には倍近くの兵を運用できるが…。
そんな軍事力だけならかなりの実力者である、この男ならば本気で思えば、我らを降すのはもちろん、長らく明確な国主がいない、この信濃国を統一するのは決して難くない。
その男がなぜ自分みたいな在郷の地侍に会いに来たのか、幸隆には皆目、見当もつかなかった。
訪問の目的を聞かれた信濃守は、一回頷き目を瞑る。しかしすぐに目を開けこう話した。
「今回、拙者は、村上家との和睦によって、東信濃と言われる佐久郡、そしてここ小県郡全域を領することになった。すでに村上家に属していた将たちは拙者の軍に報復されるのを恐れ、北信地方に逃げたようだ。」
幸隆は少々失念した。要は村上家に媚びて、あの軍事力を背景に領地を貰い受けたつもりなのだ、と。
しかし、次に出た言葉でその考えは簡単に崩れ去る。
「拙者らは、先ほどの戦で壊滅的被害を受けた海野郷をはじめ、もはや廃棄された地を開拓する。よって今後も貴公のような在郷の者には決して軍役をさせるつもりはない。今までどおりに暮らして構わない。」
幸隆は、この言葉を要約した。
つまり、この男は我々を従えるつもりもなく、戦に駆り出すつもりもなく、今迄みたいに暮らして良いということ。
これほど好条件な領主がいただろうか。
「しかし…。」
そう言ってきたのでもう一度信濃守の方を見る。
「当家の者が住んでいる領域に貴公の民、たとえ百姓でも侵入した場合、全力を挙げて攻めかかる準備があることを言っておく。」
信濃守はそう言って真顔になる。その瞬間、かつてあの時に感じた威圧感を凌駕するそれが幸隆に襲いかかった。幸隆は、これに関してはただただ頷くしかなかった。
頷くと、圧迫される感覚が消える。瞬間、嫌な汗がドッと出てきた。
「ではよろしくお願いします。」
信濃守はそう言って、居館を出た。そのあと大体、5日かけてほかの地侍達にも同様のことを言って回ったが、安堵して喜んで要求を呑むものもいれば、賛成したと見せかけ領土を掠め取ろうとする者もいた。
信濃守は当初の約定通り、侵略行為に対しては行われたその日の四半刻の内に、苛烈に攻めたて、あっという間に領主を追い立てる。残されたその他の者は、領地に残し、屯田兵として新田開発だったりを行わせ重用した。
そのおかげか信濃守が他国に出立しようとする頃には、領民は20000人を越えていた。
後日談ではあるが真田幸隆は、信濃守が諸国漫遊中の間、山口領の領国経営を任されることとなる。そのノウハウが今回のループにおいていくつかの大名家に影響を及ぼすことになるのは、まだまだ先の話である。
1533年 7月(信濃守ループから半年後)
信濃国 海野郷
約半年前、厳寒の季節に戦渦に遭ったこの集落も、村上の攻撃による壊滅後すぐに運よく信濃守が来たことで見事に復興していた。むしろ以前よりも規模も大きく、人口も倍加している。ここ以外にも、山口家の領地となった地域は平和に暮らせる場所となった。もちろん、利潤を掠め取ろうと考え侵攻してきた小領主たちもいたが、反撃されるたびにその数も減っていった。何よりも信濃守に味方した者の領土がわずかな期間で、豊饒な大地と変わっていくのを見て、戦うよりもその御利益に預かった方が儲けものであると考えるのも無理はない。
そして、今日は信濃守が他国に出立する日。
海野郷の人々はもちろん、留守を任せる真田幸隆、その他信濃守の提案に賛成し、協力してくれた者たちもその出立を見送る準備をしていた。信濃守についていくのは、10人のいつもの面々。その他の者たちはとりあえず信濃守の号令が下るまでは自由に生きて構わないことにしている。
「信濃守殿、留守の間はこの幸隆が皆と協力して信濃殿の領地をお守りいたします。」
幸隆の声と共に、地侍達が頷き返す。
信濃守は味方することを表明した者全員に対し、ひとまず新田開発や治水工事の基礎を伝授した。そのおかげか、今年の収穫は最低でも倍はくだらないと考えられている。
「うむ、幸隆殿はじめ皆々様には自分の領地以外も面倒を見させて済まないと思うが、許してくれ。」
信濃守の言葉に、また地侍衆は気にしていない旨を次々表明した。
「では殿、そろそろ参りましょう。」
いつの間にやら信濃守の愛馬を連れてきた太郎丸がそう言ってくる。
なんとなく太郎丸に軽く拳骨して、「うむ。」と言って信濃守は馬に跨る。
「では、皆、言ってまいる。」
その言葉を皮切りに信濃守御一行は信濃国を東に進路をとった。
道中
「して、どこに向かうのです?」
集落を後にし、信濃守、太郎丸、次郎丸、源之助、鉄平、水ノ介、森次郎、重兵衛、そして諸国見聞の名義でつれてきた、三人の子供である。
この子供たちは、あの『童』達である。
ひとまず西に向かうことは聞いていた太郎丸たちだが、進路は東。逆方向である。
「西に向かうのになぜ東に向かうのです?」
太郎丸はもう一度聞いてきた。とりあえず軽く拳骨した。
ところで余談であるが、信濃守はよく太郎丸に拳骨をしていることがある。これはなんか特別な理由があってやっているわけではなく、単に癖…まあダメな癖ではあるが。しかし面白いことに、ほかの者が太郎丸にちょっかいを出すと、毎度の如く、ヤンブラな弟、次郎丸がブチギレてよく吊し上げられているのだが、なぜか信濃守が拳骨した時だけは…なのである。
理由は単純。拳骨されると太郎丸は毎度の如く涙目になる。その表情を見るだけでヤンブラは満足らしい。
我ながらおかしなキャラクターを造り上げたもの…と信濃守は項垂れるしかなかった。
ちょっとした豆知識
日本の城郭は戦国時代においては2~3万以上あったという。
城郭建築は戦国後期から江戸前期までに急速に発展を遂げる。
城と言えば高い石垣や、白亜の天守などが目立つが、そういった城西に多い。東国では東北地方や北陸地方に限っては石垣を積み上げた城自体が少ない。大大名クラスの者が使用している程度である。
一方、西国は大名小名問わず、石垣で建てた城が多い。