幕の肆 『ゲームオーバー』秀吉との約束
大名家それぞれの動員兵力はわかりませんが、本作では各家の石高、あるいは貫高をもとにおおよその数値を出しています。
ブレイク知識(まあ俗にいう雑学知識)
四国の石高(戦国時代のデータ:○○,○万石=○○万○千石)
土佐国…20,2万石
伊予国…38,9万石
讃岐国…17,6万石
阿波国…18,4万石
淡路国… 5,6万石
こうやって見ると四国って面積の割に意外と石高高い気がします。
信濃国 松本城本丸館大広間(山口征伐軍家康率いる四国勢の軍議場)
そこにはすでに、遠征の疲れを癒し、さらには英気を養い、やる気満々の将たちが、甲冑に身を包み、各々に用意された床几に座し、軍団長である徳川家康の来着を待っていた。
その面々は、
土佐国主であり、四国の古豪『長宗我部元親』、『長宗我部盛親』親子
阿波国主であり、豊臣家古参『蜂須賀家政』
讃岐国主であり、豊臣三中老(*)の一人、『生駒親正』、『生駒一正』親子
淡路国主であり、賤ヶ岳七本槍の一人、『脇坂安治』
伊予正木城主であり、同じく賤ヶ岳七本槍の一人『加藤嘉明』
伊予宇和島城主であり、築城の名手『藤堂高虎』
等の万石越えの城持ち大名から、数百石程度の所領を四国に持つ将たちの中でも大身の者たちはここにいる。
どっ、どっ、どっ、どっ、どっ、どっ、どっ、どっ、どっ、どっ、どっ、
「すまん、遅れた。」
小走りしながらやってきて開口一番に謝罪したのは、軍団長の家康である。その背後には、本多忠勝が付いていた。
「早速だが皆に言わねばならん、厄介な事となった。すでに気づいている者も多いだろうが…」
そう言って現在置かれてる自分たちの現状をゆっくり話していった。
兵糧がこのままだと二日も持たないこと、
ほかの部隊も同じ、もしくはすでに激しい飢餓に襲われていること
信濃国内のすべての田畑が刈り取られてるため現地調達もできないこと
兵糧だけじゃなく、馬の餌、矢、弾、火薬などの物資は今持ってる分しかないこと
これを聞いた将たちは驚愕した。確かに信濃国は敵地。城も形勢不利になった山口勢が退去した空城を使ってるわけだから城から出た際に物資を持っていくだろうから、減ってて当然なのだが、減るどころではなく、消えているのだ。物資はおろか、城の防備すら無に帰している。
どういうことかと言えば、松本城本丸館大広間とあるが、実際には現在松本城内は建物らしきものはほとんどない。四国勢が入城する前に来ていた徳川の精鋭が来たときには城壁と城門こそある程度機能していたものの、もともと山口軍の城だったここは、退去する際に中の建物をすべて解体した、と言わんばかりに何もなかった。焼き払った気配もなければ、取り壊した跡もなく不気味なほどにまっさらな大地しか残ってない、だから急ピッチで兵たちを収容する長屋や、軍議場として大型の建物を造らせたのだ。しかし、城内にいくつかある井戸は生きており、水の確保は安心できた。
家康が半蔵から聞いた内容の一つは、「松本城のほかにも、信濃国内の城は山口に味方する真田家の上田城以外は同じ状態である。」とのことだった。
まるで、以前から何もなかったかのように。
そのため、特に大軍を擁する、「北陸軍、豊臣秀長軍は補給線の確保に時間を取られ、攻めるに責められない状態である」、とも報告を受けた。
これが秀吉本人でもいれば、得意の土木作業であっという間なんだろうが、残念ながらそこまで動ける将もほとんどいないのが現状である。
補給線の確保、つまり兵糧の確保という意味に繋がるのだが、厄介なことに、信濃国内すべての城が更地になってるということはつまり、兵糧庫すらないという状態で、信濃に入国したほかの豊臣軍は自前の食糧しかないためすぐに飢餓状態に陥ったというわけだ。
家康がここまでのことをできる限りオブラートに包んで、あまり動揺しないように言うものの、内容が内容だけに、やはり将たちに絶望的な表情が見える。
そんな中、家康は再び立ち上がって話す。
「しかしながら幸い、拙者の本拠地である江戸をはじめ、関東一円より多くの物資を輸送中じゃ。ご安心下され。」
そう言って将たちを宥める。そういうと幾分安堵の顔をする。しかし、家康は心中穏やかではなかった。その輸送部隊との連絡が昨日以降、ぱったりとなくなったからである。護衛として伊賀忍、甲賀忍合わせて500弱を付け、一刻ごとに連絡を受けていたにもかかわらず、甲斐国境あたりを境に連絡がない。おそらく、山口家の忍に遣られたと考えるべきだ。しかし家康は用意周到な男である。駿河から故郷三河を通り、伊那を抜けてくる輸送部隊とはまだ連絡が来ている。だから、家康自身は対して焦ってはいなかった。
そんな中、陣中に一つの報告が入る。
「申し上げます!城外北にて、敵と思われる兵を発見!数おおよそ1万!」
見張りと思しき兵卒は片膝をつくや大声で叫ぶ。途端に陣中に緊張が走る。ここの陣中にいる将のほとんどは多くの戦場を駆け、いくさ慣れしたベテランたちだ。冷静に対処する。
「旗印は?」
家康に比較的近い位置に座っていた、元親が尋ねる。
「見えた旗は三つ!地黄に髑髏、茜に笹の葉、そして水色桔梗です。」
最後の桔梗紋という言葉に諸将がざわめいた。そんな中、家康は淡々と言う。
「髑髏は前田慶次、笹は、可児才蔵じゃろう。そして桔梗は…生きておったか、明智殿…。」
家康にとって明智光秀は、命の恩人であった。史実では、第一次信長包囲網において、金ヶ崎撤退戦において、光秀、家康は織田軍の殿である秀吉と合流するまで最前線からの撤退として、最後尾で共に戦った仲である。また、武田家殲滅戦である、天目山の戦いにおいても、光秀は自分の失言により信長の怒りを買い、折檻を受けた時も、逃亡する武田の兵士や家族を見逃していた家康をかばったためとも言われている。
その際、家康は「光秀をあそこまで折檻するくらいなら自分にくれ」と信長に進言したくらいだ。この話を聞くと、『明智光秀=南光坊天海』という説もあながちウソではない気もする。
そんなことを説明していると、別の兵士が報告する。
「申し上げます!敵大将は、桔梗紋!明智日向守!両脇を前田慶次、可児才蔵が守っております。しかし、城攻めの気配なく、城より離れた位置にて動きません!」
そういうとまた別の兵が、
「申し上げます!敵の中に、元北条家の兵もいる模様。また、見知った顔では、佐々家の兵もいます。」
そこまで言って伝令たちは出て行った、立ち上がりいろんな顔になっている諸将たちに、家康は座るよう促した。
「先ほどの報告に伊賀者からの追加情報じゃ。敵は鉄砲を多く揃えておる。また、大阪で見たことのある大筒や大鉄砲もあるとのこと。籠城は不利と見る。よって拙者は野に打って出るべきと思うがいかがか?」
家康はそこまで言うと、目を瞑り諸将に返答を促す。家康本人としては、相手があの光秀であろうとも自分が得意な野戦に持ち込みたい。光秀も野戦において、特に自軍が劣勢の時において、最も才覚が発揮される。『十兵衛は烏合の衆でも一糸乱れぬ連携を見せる』と言われるほどである。
実際に光秀は、織田に仕える前、足利義昭の昵懇衆(*)の一人として朝倉家の食客になり扶持をもらっていた頃、越前の一向一揆に遭遇した際に、貸し与えられたわずかの兵で十倍以上いる一向宗に加担した連中を翻弄した。
織田家に鞍替え以降も、信長から貸し与えられた兵士や将校たちを自身の手足の如く使い、上洛戦、金ヶ崎、姉川、長篠、と多くの戦場を生き抜いてきた。秀吉とはまた違う意味での、人心掌握の達人である。
と、家康は思っている。
そんなことを思いめぐらしていると、この中では唯一の織豊系大名でない長宗我部元親が、口を開いた。
「拙者も明智殿と面識がある身ゆえ、家康殿が言う通り打って出るべきかと。大筒すら用意しているのであれば、籠城はなおさら下策かと思います。しかもこの城は、明らかに山口殿が作為的に細工を施していると思われます。あの薄っぺらい壁とボロボロの城門では在って無きようなもの。それに士気が落ちていようと数は我らが倍近く。野戦の巧者である家康殿が率いるならば、明智殿相手でも難なく破れるでしょう。」
元親の言葉に、家康は、うむ、と頷くとほかの将たちの方を見る。
そうすると、この中では最高齢の将、生駒親正が口を開く。
「拙者も元親殿と同意です、明智殿は野戦の巧者でもありますが、攻城の巧者でもあります。それならば守りに徹するよりも一気呵成に攻めたて、追い立てるべきでしょう。」
老練な将である親正も、同じ意見を出したことで、ほかの将も賛同した。
「これにて軍議を終わらせる、四半刻後、打って出る。先手は長宗我部勢5000、次に藤堂勢2500、加藤勢3000をもって出撃、蜂須賀勢4000、生駒勢3500は儂と共に出撃する。その他、2500は後詰として松本城に待機とする。…異論はあるか?」
家康は周りを見る。皆、何も言わない。
「では、解散!」
信濃国 松本城外北 明智軍の陣
「…やはり打って出るか…。」
陣幕の外で山口信濃守から借り受けた遠眼鏡(*)を通して光秀は松本城から出てきた敵勢を見る。
「山口殿の策は的中したというわけだ。しかし、敵の大将が徳川殿か…。」
そう言って遠眼鏡を腰帯に挟むと陣中に入った。
「来ましたかい、家康は。」
そう言って、陣中にありながら瓢箪を出し、酒を呑んでいる慶次は聞く。
「家康の姿はまだ見えない。長宗我部勢が先陣のようだ。」
そういうと今度は髑髏の頭を削り取ったような杯で酒を呑む佐々成政が聞く。
「家康は強い、儂や日向殿でも勝てなかった秀吉に一度は勝った男だ。」
光秀もその言葉に、うむ、と頷く。
「しかし長宗我部殿が先陣なら話は別だ。いくら豊臣に屈した後に兵農分離を行った兵とはいえ、元は半農の武士だ。それに鉄砲をはじめ火力が違う。すでに取り掛かった陣城の普請も半刻のちには終わる。山口殿の言っていた、鉄砲、大筒が最大限生かされる砦となる。」
光秀もまた築城においては達人の一人である。そこに本来、未来人的存在の、忘れられかけている信濃守の知識を合わせれば、簡易的な陣城の構築ぐらいわけはない。
「それにしても山口殿の策は驚愕じゃな。」
成政がふと呟く。
「いかにも。」
光秀も同様であった。信濃守の策は、『国内全ての城を退去する際に外壁と外堀のみを残し解体せよ。』というものだった。もともと山口信濃守が国主となってから、川中島周辺の旧武田、上杉の城塞群をはじめ、不要であった城の資材はすべて本拠、長野城築城のために解体、回収していたものの、今回の戦においても、すべての資材、補給物資すらも長野城に持って行った。わずか二月前のことである。
それだけならまだしも、それに並行し、長野城をかつての小田原城並ではないものの強固な総構を資材が届くたびに作りあげ、家康が信濃に来たころにはある意味大阪城以上の要塞が完成していた。城の外壁には総石垣の塀に瓦屋根の櫓。しかも、どうやって調達したのか、各櫓には最低一門ずつ、大筒を備え、弾薬の備蓄も豊富にあった。
「本気で望めば、天下をとれたものを…」
光秀は苦笑しながら長野城がある方を見る。
「山口殿、まだまだ拙者は死にませぬ。乱世の行く末を見つめるためにも。例え敵があの、徳川家康だろうと。」
その後光秀は「配置に着け!」と檄を飛ばし、兵たちを鼓舞した。
対する長宗我部軍では、軍議では聞いてなかった前方にある砦の存在を確認して、動揺を隠せない子、盛親と眼前を見据え、終始無言のままの元親の姿であった。
かつて秀吉軍と四国で戦った時も元親はこんな顔をしたことがある。その時は本州から渡ってきた兵の
装備の違いに愕然とした。今回の光秀が築いた砦を見た時も愕然とした。しかし、同時に自分の奥底から、沸々《ふつふつ》と湧き上がるものがあった。
「盛親。」
ふと自分の息子を呼ぶ。
「父上、…如何されたので?」
盛親は無言のままだった父の呼びかけに、反応する。その顔には幾分、いや相当の動揺が見える。
「本州の戦はまだまだ奥が深いのぅ。戦人の血が騒ぐ。」
そういって振り向いた元親の顔は、いつになく喜びに満ちていた。
盛親はこんな顔をした父親を見るのは、秀吉と戦った以来だと思った。
「…左様ですな、父上。」
そんな父を見た盛親も、何かを感じたのか、覚悟した目で眼前の砦を見据える。
そして周りを見るとさっきまで長宗我部隊の少し後ろに位置していた加藤隊と藤堂隊がいつの間にか少し前に陣取り砦に向かい鉄砲や火矢を打ち始めた。
「ち、父上、先鋒は確か我らのはずでは?」
盛親が慌てた様子で、聞いてくる。
「ふん。連中にとっては所謂、外様の儂や徳川殿に手柄を取られたくないんだろうよ。構わん。捨ておけ。」
「しかし!なればこそ我らは…」
そんなことを言ってるうちにたちまち砦の柵などに刺さり、砦はあっという間に煙が立ち込め、火の手が上がる。
「…。」
その様子を見て、盛親は唖然。元親は顔をしかめる。
長宗我部が動かないのを見るや火が起ち始めた砦に向かって、加藤、藤堂、両軍は、ジリジリと砦に詰め寄る。盛親が騒いでいるのを元親は意にも止めず、燃え盛る砦を見つめる。
そして反撃がないとみるや、両軍とも普段めったにしない突撃を行い始めた。
「…!?」
これにはさすがの元親も予想外だったのか、目を開いた。加藤嘉明、藤堂高虎、ともに連携攻撃に定評のある部将であり、もともと騎馬も少ないため突撃はすべきでないと瞬時に判断した。それを伝えさせるために、使番を呼ぼうとすると、不意に盛親が寄って、
「父上、徳川殿より伝令が参りました。『決して仕掛けるな。』とのことです。」
と伝える。
「…相解ったと伝えよ。それと両名の将に一時撤退の合図を放て!」
盛親は「御意。」というと空に向かい鏑矢を放つ。しかし、いっこうに退く気配がない。
「…妙だ。」
元親が呟く。それを聞き取ったのか盛親が反応する。
「…はい、確かにあの二人が突撃するのはいささか…」
返答しかけたとき、元親は首を振り、「そうじゃない」という。
「あの砦、銃声はおろか、人の声すらしない。だからと言って周りに伏兵の気配すらない。」
そこで盛親も気づいた。確かに聞こえるのは炎が燃え盛る音と、味方の怒声。
敵というより、人の気配をまるで感じないのだ。
「攻撃に驚いた馬の嘶ぐらいあっていいと思うが…」
そういう風に思案していると、前方よりとてつもない轟音が、幾重にも重なって聞こえてきた。そして少し後に何か固いものが何かを押し潰したような音と、今まで聞いたこともないほどに連続して銃声が聞こえた。
「…なんだ…これは…!?」
そして気づいた。あれだけ激しく攻めていた両軍勢が急転換して退いていく。
そして燃えていたはずの砦から鈍く光る壁と間、間に備えられた大筒、そして銃口が3つ付いた火縄銃(*)を構えた4人組の兵士たちが壁の上から交互に逃げる兵士に向けて連射していた。
「父上!前を!」
盛親の声に耳を傾け前に視線を戻すと、あの壁と同じく鈍く光る何かでできた箱みたいなものが二つ並んでこちらに向かっていた。
その上に一人ずつ、特徴的な槍を持った男が立っていた。
一人は柄の先が十字状になっており兜には笹の葉を模した前立てを付けている。そして笹を旗指物代わりに指していた。
「我こそは、笹の戦人、可児才蔵吉長、我が宝蔵院流槍術の味を味わいたくば掛かって参れ!」
そういって槍の石突を床に叩く。そうすると箱状の何かが途端に動く。そして、坂道のようになったそれを下り、落ち着きを取り戻した加藤、藤堂勢に向かってく、そして近づいてくる雑兵や物頭を次々と叩き伏せていく。
その有様は、少々小高い丘に陣取っていた長宗我部勢にはありありと見えた。そしてふと感じた闘気というか殺気というか覇気みたいなのを感じた元親が麓の方に目をやると、もう一人の男がいつの間にか箱の上で馬に騎乗していた。
「天下無双のいくさ人!前田慶次、罷り通る《まかりとおる》!」
長年愛用してきた朱槍を右手に握り、高々と天に掲げる。そして元親がいる方へ槍を向ける。
「さあ!土佐武者の戦ぶり、見せてもらおうかぁ!はいよぉー!!」
図太い掛け声とともに慶次は馬の腹を軽く小突き、勢いよく箱の上から長宗我部軍前衛に飛び込んできた。元親は前衛の足軽たちに槍衾を作るように命じる。しかし、兵農分離をしてまだ5年も経ていないかつての長宗我部伝家の宝刀『一領具足』達には、慶次ほどの猛者を相手にするには役不足であるようで最初こそ足止めされた慶次であるが、すぐさま横薙ぎに槍を払い、なぎ倒されていた。
「…これが天下御免、関白殿下にただ一人、傾奇御免を許されたいくさ人か。」
元親はやられているというのになぜか澄んだ思いで慶次を見ていた。
「盛親。」
先ほどまで慶次の猛攻にあたふたしていた盛親。
「父上…?」
盛親は父の表情が変わっているのに気付いた。土佐の領主ではない。一人のいくさ人の顔だった。
「ここを頼む。」
言うや否や、盛親の静止を振り切って槍を持って前衛に向かってしまった。
かつて『鬼若児』といわれ恐れられた若き頃の元親が覚醒したと言わんばかりに。
残された盛親は、父の代わりに本陣に残り戦場に目を向ける、すると先ほどまであれだけ近くにいたあの箱みたいなものがずるずると中央に寄っているのだった。そして才蔵付近の箱も中央に寄っているのだ。
箱はどんどん後退していき、慶次と才蔵の中間あたりにて合流する。そして、今度は砦の方へゆっくり動いていく。止めさせようと加藤、藤堂の兵が箱の隙間、隙間に見える穴に槍を向けるが簡単に弾かれる。
砦の入り口あたりで動きを止めると再び箱がゆっくり動き始める。
正確には、開き始めた、というべきか。
最初に上の部分にあった金物板が端から中央に随時、倒れていく。
徐々に間隔を広げていき、入り口を守るかのように半円状に広がる。そして中央から誰かの馬印らしきものが立ち上がる。
『金の三階菅傘』
佐々成政の馬印である。
もう一つ馬印が上がる。
『金の提灯』
大道寺政繁である。
半円状に広がった板からは、各狭間より銃口が出ており、そこから敵のいる方角に各々銃撃を開始した。
信濃国 長野城(山口信濃守の本拠地) 北大手外門
そこには朱、白、黒の三色に分かれたいろいろ細工してある具足を身に包む部隊が集まっていた。全員が背中に旗指物を二本ずつ指している。
朱の部隊は全員が騎乗し朱槍をもっている。馬の鞍には片方には短筒を携帯させ、もう片方には半弓(*)を装備させている。具足は機動力を重視させるため、袖と小札を短くし、致命傷になる場所以外は鉄で作られておらず大陸の遊牧民たちのように革で作られている。
白の部隊は騎乗する者、徒歩の者、まちまちだが戦国の日本では珍しく、弩(*)を持つ者が多く、残りの者も大陸流の短弓(*)を装備している。三部隊の中では唯一、鉄砲を装備していない。具足も最も軽装で、前の部分こそ頑丈な鉄板で覆っているものの、背中の部分は具足の内に着る、鎖帷子しか身に着けていない。
黒の部隊はこの中で最も数が少ない。しかし、全員が騎乗しているうえに、各々が得意としている得物を身に着けている、また馬の鞍の両方に短筒と鉄砲を装備し、背中には青龍刀、そして馬の耳に防音を兼ねて革製の耳栓を装備させている。具足も、両隊が機動性を重視したものになっているのに対し、この隊は西洋、イスラム圏、東洋、日本の鎧をうまく日本人向けに改良を加えており、機動力、防御力双方を従来の甲冑よりも飛躍的に向上させている。残念ながらその分、量産に時間がかかり、最も少ないこの部隊のみの配備となった。
彼らは山口軍の主力たちである。信濃守は軍備に対しては常に自身の経験、知識、過去の出来事、知識人たちの助言、もちろん未来知識なども取り込み、ループを繰り返す戦国時代の度に改良を加えている。
この三部隊を信濃守はこう名乗らせ、旗印にはそれぞれ四文字を充てている。
『突撃朱備衆』…朱色の旗に『疾風怒濤』、数4000、通称『突撃衆』
『援護白備衆』…白無地の旗に『伝来精射』、数3500、通称『援護衆』
『精強黒備衆』…黒色の旗に『清廉武者』、数500、通称『精強衆』
そして彼ら約8000の兵を率いる約40人前後の小隊長をこう総称している。
『縣衆』
そしてこの縣衆は、信濃守が何度もループを繰り返す中で拾い上げてきた名もなきNPCと呼ばれる連中を一から育て上げて作り上げている戦闘集団である。
農民、浪人、雑兵、足軽、盗賊、海賊、奴婢、外国人など、あらゆる人材を登用し、自身が前のループで育てた者たちに新たに登用した連中を教育させるという手法により、なんかとてつもない『チート』な集団を作り上げてしまった。
そんな三部隊の最前列には今回の騒動の主犯、山口信濃守が、何やら瞑想している。
「…。」
「殿。」
そこに一人の武者が寄ってきた。彼もまた信濃守によって『その他大勢』の中から拾い上げられた一人。
家老衆新参の『長野智一』である。信濃守は出会った当初の呼び名で『太郎丸』と呼んでいる。
「…太郎丸、なんだかんだ言ってもお前はついてくるのな。どうせ次の時代でも顔を現すのに。」
こいつは昔っから人懐っこいやつで、しかももともと、名もなき連中だったせいか大人になってから年を取らない。だからまだまだ元服したばかりの若武者みたいな顔をしている。
「いい加減慣れてください。次があるとはいえお互い一回は死ぬのですから。」
そんな言葉の後に、「どうせまた会えるとしてもです。」と言ってきた。…若武者というよりもやはり童顔な所為か、幼く見える。流石にこんな顔をしていながら年を取らずに一緒にいるから不思議に思う。精神的にもやはり若い。そんな男でも、長年山口軍の将兵を率いてきた男の一人である。特に家老になるつい最近まで存在していた、通称『近衛衆』の総隊長として信濃守の周辺の警護を行うものであった。現在は山口家最強攻撃部隊、突撃衆総隊長として責務を全うしている。
信濃守はそういって自分を見る太郎丸を見つめ返し、
「そうであったな。…どうも最近は、死というものを軽く見てしまうことが多いな。」
謝った。そして腰に差していた、光秀に貸した遠眼鏡よりもはるかに高性能な遠眼鏡を出し、前方にかざす。その先には慶次の叔父である、前田利家と、越後の上杉景勝が率いる北陸勢の前線部隊らしき姿があった。
「さて、太郎丸、お前は突撃衆を引き連れ前線にくすぶっている北陸勢を蹴散らして参れ、数はおおよそ2万。約5倍の敵だが…」
そういってもう一度太郎丸を見る。そして、ニヤリと笑みを見せながら、
「いくら屈強な北陸兵とはいえ、俺たちの鍛えた信州兵に比べりゃぁ大した敵じゃねえ!甲斐、三河の兵士たちでさえ苦戦させた俺たちにとっちゃ、たかが5倍の数の差なんてお前が率いりゃ問題ない!頼んだぞ、太郎丸。」
信濃守はそう言い太郎丸を見る。
「分かってます。では、参ります。おそらくき帰城する間もないと思うので今言っときます。」
太郎丸は信濃守を見る。
「次の世界で会いましょう。…出陣!」
突撃衆は掛け声とともに馬蹄を鳴らし、北陸勢向かって去ってった。
「援護衆、万が一に備え、馬出にこもれ。」
信濃守の声に援護衆は無言で頭を下げ、北城外門の門をくぐり、各狭間に待機している。
「精強衆。行くぞ、いざ…秀吉のもとへ!」
信濃守の突然の言葉にも精強衆は動揺もせず、「応!」の掛け声のみを挙げ、信濃守を着いて行く。
城門を出る前に、信濃全域に忍ばせた一人から、一つの知らせが届いたのである。
「関白自身がわずかな手勢と入国し、多くの人夫と共に信濃川中島城に極秘に城を造り始めた。」
という情報が来たのだ。
信濃守は軍事と共に諜報網、情報網も常に技術革新させ、改革している。今回の情報もそんな改革の賜物だろう。
聞いた内容によると、北条征伐の際と同じことを行おうとしているらしい。すでに、多数の他国からの非戦闘員の入国を確認している信濃守には大体は予想ができていた。どうやら秀吉本人が来たわけは、全国から信濃近隣に持ち込まれた資材の運搬の妨害を自身の登場によって防ごうという魂胆だったようだ。甲斐と、三河から来る輸送部隊は徳川の輸送部隊に紛れてたらしく、ついでに壊滅させてある。美濃の方面はあえて見逃した。
「さて、秀吉、かつての約定、果たさせてもらおう。」
信濃守はいつにない厳しい顔で、川中島に疾駆するのだった。
*用語解説
『昵懇衆』…当時、官位などの役職がなかった光秀に、足利義昭が与えたという幕府の役職。光秀を手放したくない義昭が勝手に作った役職とも言われている。既に義昭の兄、義輝の代には任命されていたという説もある。
『遠眼鏡』…現代でいうとこの望遠鏡。
『銃口が三つ付いた火縄銃』…明国の『鉄三眼銃』という知識を応用し信濃守が開発させた架空の武器。『ライフリング』はされていないが、『銃弾を椎の実型』にしていることや、雨でも使えるように『フリントロック式』を採用するなどの構造を施している。
『』内は検索サイトで調べれば説明が出ます。