表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
GAME OF PROLOGUE 序 『信州公』の始まり  作者: ナッツ・ユキトモ(旧名:TOMO)
第零章 『超チートな武将』vs『日本一の出世頭』
3/14

幕の参 『桔梗と三つ葉葵』 十兵衛、生きざまを見せる

今幕では時系列が結構コロコロ変わります。

※官位や役職などは作中の時系列に合わせます。

名が変わる例

例:徳川家康

竹千代→松平元信→松平元康→徳川家康

役職が付く例

例:徳川秀忠

御所→大御所

官位の例

例:織田信長

吉法師→三郎信長→上総介→尾張守→弾正忠→右大将→右大臣

異名、渾名の例

例:織田信長

大うつけ→第六天魔王

 時系列は戻り決戦前夜


 信濃国 長野城城下


 そこには不揃いな装備を施し、群がる一軍の姿があった。


 馬に餌をやってる者、道端でごろりと寝ころぶ者、くだらない話をしている者、そして座禅を組み、瞑想している者。

 

 彼らは山口家が豊臣と戦うことを知って駆け付けてきた全国各地の浪人衆であった。

 その中には前田慶次をはじめとするいくさ人や柳生宗厳やぎゅうむねよし宗矩むねのり親子、可児才蔵などの武芸者、そして佐々成政や大道寺政繁などの豊臣政権による改易や取り潰しに遭い、否応なく浪人となった者もいる。


 まさに烏合の衆、とでも言いよう。とはいえ慶次や柳生親子のようにわずかな数で参陣したものもいれば、成政や政繁のようにかつての旧臣たちを率いて入城したものもいる。


 そんな多様な者たちだらけの部隊を率いているのが、数年前に天下統一目前の、『織田信長おだのぶなが』を本能寺にて殺したといわれている、明智光秀である。


 光秀は史実通りならば、その数日後に当時の羽柴秀吉に京都南の山崎にて敗戦、その後に自身の本拠地である『近江国 坂本さかもと城』に戻る途中、落ち武者狩りの連中に遭えなく討ち取られたのだった。


 しかし、今作の主人公である山口信濃守は今までのゲームプレイの中で彼を1582年までに死なせたのは2回しかない。また豊臣政権時においては一度もない。その理由はもちろん個人的に光秀という人物が好きだからである。


 まあそんなわけで明智光秀は今回のプレーでも生き延び信濃守に付いているのだった。


 「…幾たびのことか…、信長様の遺志は本来の思惑をかけ離れ、関白秀吉によって始まってしまうのか…。かつて共に戦場をかけた者たちの、死した者たちの願った『平和な時代』、その平和を願い、民たちの安全と喜びを願い、まつりごとをするのがまさに天下人として当然の務めだ。…しかし、寄りにもよって関白自らが異国への侵略を目論む…」

 

 光秀は真面目な男だ。常に民たちの笑顔のために愚直なまでに動いてきた男だった。

 将軍家を利用し、織田家の支援のもと京都再興を目論んだのも京都の民の平和のため。

 信長が朝廷をないがしろにした際に謀反を起こし信長を討ったのも、そんなところである。


 『月がきれいだ。』そんなことを思いながら光秀はふとつぶやいていた。


 「…信長様、あなたの遺志を継げず、申し訳ありません、私は…わたしは…」


 月を見上げつぶやく光秀の目から一滴の涙が流れる、そこへ今まで馬に餌を与えていた男が近づいてきた。秀吉から『天下御免』の傾奇者と称された前田慶次である。


 「死に出の旅路に涙は禁物ですぜ。軍団長殿。」


 片手に持った大杯で酒を飲みほした慶次は笑いながらそう言う。


 「慶次殿…しかし…」


 そこまで言いかけると慶次は矢継ぎ早に、


 「戦の前に辛気臭い顔をするんじゃねえよ。軍団長殿よ。謀反人だろうが逆賊だろうが関係ないさ。無論、傾奇者だろうといくさ人だろうとすらも関係ねえ。今はお互い、あの男に惚れて味方し天下人の軍を相手に戦ってんだ。いわば同志よ。そして信濃守の旦那はあんたを俺たちの指揮を任せた。確かに才蔵や成政はまだあんたを恨んでいるだろう。だが、俺はあんたに従う。俺が惚れた男があんたを選んだんだ。だからあんたに従う。」


そう捲し立てる。そして、慶次は光秀に向かって何かを投げてきた。光秀がうまい具合に受け取り、見てみると、それは慶次が持ってた杯よりもはるかに小さなさかずきであった。慶次が下戸げこである自分に合わせて持ってきたのだと悟った。


 「ありがとうございます慶次殿、危うく信長様との約束を破るところでした。慶次殿、下戸ではありますが、一献いっこんいただけますか?」


 光秀がそう言い、杯を向けると慶次は楽しそうに笑いながら、持っていた瓢箪ひょうたんを傾け、酒を注いだのだった。




 またまた、さかのぼって数日前(家康出陣から二日ほど後) 美濃国 大垣城


 戦国好きならばこの城の名を知らない人なんていないと思う。まあ知らないとむしろそれは似非えせ戦国好きか、知ったかぶりな連中と思うのだが。


 この城はあの超有名な天下分け目の大決戦、関ヶ原の合戦において、石田三成率いる西軍の最前線基地となった堅城であり、戦前には天守閣が国宝にも指定されていた名城である。史実において東軍の大将だった徳川家康はこの堅城に籠城戦をされるのを嫌い、あえて関ヶ原での野戦に持ち込んだという。

 実際は家康自身、攻城戦を苦手としていたためなのだが。


 話を戻そう。


 ここ大垣城では征討軍の大将であった宇喜多秀家が、気に食わん、と言いたそうな顔で広間にぽつんと座っていた。

 主であり養父である秀吉から大将を辞され、ある男の補佐を命じられたからである。

 その男とは無論、徳川家康である。さらに家康は、近江国 長浜城で四国勢と合流すると、いったん足を止め、岐阜城にいた秀家に、「大垣まで迎えに来い」と使いを出してきたために余計にイラついているのだった。


 もともと宇喜多秀家という人物は、備前びぜん国の戦国大名であり、中国地方の三大謀将の一人に挙げられる『宇喜多直家うきたなおいえ』の嫡男であり、はっきり言って名門の血筋であった。人質として豊臣家に送られたとはいえ出自の理由からか、豊臣家中の中でも別格の扱いを受け、秀吉の養女を娶り、外様とはいえ豊臣一門である。また若いながらも、備前、備中びっちゅう美作みまさかの3ヵ国を領しており、秀吉がもっとも信頼していた大名だと思う。

 そんな秀家だからこそ、はっきり言って迎えを呼ぶ程度の下知ならば、自分よりももっと格下の連中のやつに任せたかった。「必ず本人が来るように」という家康自身が書いた伝令文さえなければ。


 タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ…


 遠くから廊下を歩いてくる音が聞こえてくる。音が近づいて、ピタッと止まったのを感じると秀家は衣服の佇まいを正し、平伏した。


 ガラッ…


 ふすまが開く音がした方から入ってきたのは無論、今回新たに秀吉から信州征伐の総大将に任じられた、徳川家康である。


 ドスッ


 「おもてを上げよ。」


 家康の野太い声とともに、秀家は顔を上げる。そして驚く。家康は完全に甲冑姿なのだ。まだ信濃にすら入ってないのに武装して有事に備えているのを見て、家康を気に食わない男と思っていた秀家ではあるが流石、伊達に年をとってはいないと感心したのだった。

 

 「徳川大納言様、拙者の不甲斐ない有様のせいで、大した成果挙げられないばかりか、貴重な将兵を失うという惨憺たるものです。殿下に申し訳ない気持ちで夜もまともに眠れない…。」


 一応社交辞令として自身の失態を恥じているという風体ふうていをとった秀家ではあるが、本心は裏腹に、自分を若造だとか、七光りと罵っていた加藤、福島の秀吉子飼の二人が戦線離脱してむしろ『好都合』と思っていたぐらいである。当然ながら、秀家本人は秀吉に対しての責任だけは感じているらしい。


 しかし、桶狭間の合戦以来、織田、朝倉、浅井、武田などの名だたる大名と戦い、生きてきた家康にとって、秀家のその将兵を軽んじる態度は瞬時に気付き、そのことに家康は年甲斐なく激昂してしまった。


 「…備前(秀家のこと)、貴様には大将の資質はない!!将兵の犠牲を蔑ろにした挙句、あまつさえ殿下より借り受けた者達が負傷したことをほくそ笑むとは何事じゃ!!」


ッビクッ!!


 家康の威圧感がヒシヒシと伝わってくる。秀家はこれほどの威圧感を感じたことがなかった。だから、その威圧感にビビッて考えを家康に見抜かれていたことに気付くことはなかった。

 家康にとっても、秀家程度の男ははっきり言って小物以下の存在だったために厳しい態度で苦言を呈した程度にとどめ、


 「まあ、貴公はまだ若い。備前宰相《(秀家の通称)》殿にもいずれ、儂が言っていることがわかる時が来たであろうが、あえて言わせていただいた。まあ貴公は関白殿下の一門の一人に連なるものじゃ。拙者はこのまま四国の将たちと共に、信濃に参る。好きに致すがよい。」


 それだけ言ってさっさと大垣城を後にした。


 翌日、秀家は早馬で岐阜に戻り、自身が率いる軍の部隊をいくつかに分け、飛騨路から向かう軍、木曽路より向かう軍に分け、信州高遠城で合流すると宣言した。そして自ら率先して進軍し、家康が信州松本城に入城した三日後、山口軍の明智勢率いる浪人衆の猛攻が開始する前日に、高遠城に入ったのだった。


 家康が入城した夜 信濃国松本城大手門


 松本城の前身は深志城と呼ばれ、史実では武田信玄による信州統治では、海津城、高遠城と共に信濃国の中でも重要な拠点の一つであった。また、戦国時代以前は信濃守護家『小笠原家』の居城でもあった。

 武田滅亡後、松本城となってからは徳川家や豊臣家の重臣が城主となる。


 松本城には、既に家康が来ると伊賀忍から江戸で知らせを受けていた重臣『本多ほんだ忠勝ただかつ』、『井伊いい直政なおまさ』、『榊原さかきばら康政やすまさ』をはじめとする、家康傘下の猛将数名と精鋭1000がいた。

 全員既に具足を身につけ、今すぐにでも出撃できるような、そんな表情をしていた。


 「殿、京からの長旅、ご苦労様です。」    


 その中で前に出て片膝をついてあいさつしたのはかつて、あの武田信玄をもって「徳川軍の過ぎたる者」と言わしめた、徳川軍最強の男、本多忠勝である。忠勝は徳川家康にとっては桶狭間合戦以来、常に自身のそばにおいている。『三方ヶ原の戦い』において、家康を撤退させる際に殿しんがりとなり、当時最強と言われた武田軍相手に無傷で戦い抜いたことから信玄にそう評された。


 「忠勝殿と共に拙者等もまいりました。その他、大久保兄弟、内藤正成、天野康景が参っております。」


 そういって、家康に話すのは、直政だ。


 「酒井殿をはじめとする軍勢のほとんどは、殿の御世継、秀忠様のもとに居りますゆえ、連れて来れませんでした。ここにおるものは、皆、国元より殿を守るために志願してきた者たちです。」

 

 康政が申し訳なさそうにそれを言うと、家康は「いやいや」と首を振り、


 「お主たちの忠義、この家康はうれしく思うぞ。それに、関白殿下から江戸の軍は出撃不要と言われておりながらあまり多く連れてくると今後に支障が出るゆえ、むしろ、好都合じゃ。」


 家康はそう言い、平伏している足軽たちの方へ行き、わざわざ関東から来た者達に労をねぎらった。

 そして、その後、城外にて待機している四国勢の大名たちを呼び集め、


 「海を越えて四国から、このような山国まで来ていただいて、誠に感謝いたします。しかも、拙者のような、草深い関東などにうつされた年寄りに付き従うような真似をさせて、申し訳ござらん。」


 頭を下げて謝罪したのだ。この家康の行為は、流石に意外だったようで、『土佐とさの出来人』と言われる長宗我部元親なんかは、


 「家康殿、頭を御上げ下さい。我々のような者にそのように謝るのは不粋ぶすいですぞ。御気になさらずに。儂も中山道ははじめて通ったたゆえ、貴公が先導してくれたおかげで助かりました。こちらこそ感謝いたす。」


 と笑いながら駆け寄り、家康の頭を上げさせた。


 「元親殿…かたじけない。」


 そう言い、諸将に対して感謝の言葉を言っていった。


 「では、遠路はるばる参った皆様、今日明日は、ゆっくり休んで下され。すでに家臣に命じ、疲れを取っていただくよう準備をしています。さあ、どうぞ中へ。」


 家康は、城内に手をかざし四国勢を城内に入れた。このような気配りに感銘を受けたのか、元親なんかは、目を熱くさせながら城内に入っていった。

 やがて、全員が入城したのを確認すると、家康も自身の家臣たちを向かわせ自分自身は、松本城より少し歩いた団子茶店に向かった。

 

 「…半蔵。」


 ふいに、家康は茶店の店主に変装していた服部半蔵にそう声をかけた。


 「…御意。」

 

 変装した半蔵はそう答え、耳元で何かを呟いた。


 「……。」


 それを聞くと家康は驚愕の顔色になる。


 「誠かそれは!?」


 聞き間違えではないか。そう思いたいがために、半蔵に聞き返した。

 

 「事実です。実際、ここまで我々以外の里の者も仕掛けたようですが、還ってきてはおらぬようです。また、信濃国内すべての城に向かわせた者たちからの報告によれば信憑性は高いかと。現に、木曽路から松本までの道筋にあった田畑はすべて刈り取られています。伊那、高遠、飯田、諏訪などの周辺もほぼ同様であるとのことです。」


 半蔵はそこまで言って、再び団子を焼き始めた。


 「なんということじゃ。」


 家康はそう言って、茶をすする。

数刻後、家康は松本城に入城し、主だった将を集め、半蔵から言われた内容を、包み隠さず話した。幾多の修羅場を生きた家康だからこそこのことをあまり騒がれずに治められたが、残念ながら信濃海津城跡にいる北陸勢はお抱え忍びたちの口からその事を聞かされ、ただでさえ落ちていた士気がさらに落ちていった。


 時は最初に戻り、長野城明智軍の陣場


 光秀は、自軍にいる将兵すべてを集め、城外南の千曲川を越えた 対岸にいた。騎乗したその姿は、かつて信長と共に生きた姿と一切変わらない。多少、年齢に合わせ白髪は増えているが。

 その両隣には、かつてともに戦場を生きた部将『斉藤利三さいとうとしみつ』、そして短い間ではあるが自分を理解してくれた、前田慶次がいた。


 光秀はここまで来ると、くるっと、後ろを向き、こう言い放った。

 

 「これより、我々浪人衆は、徳川の拠点である松本城を攻める。」

 

 そういうと兵卒の者はもちろん、将の中にもどよめきが走った。

 そのざわざわした雰囲気を治める為、光秀は続けざまに放つ。


 「おそらくこの戦い、我々に対し、家康は野戦を仕掛けてくる。敵の数は倍以上。数こそ不利だ。」 


 そう言って刀を抜き、それを天に向ける。鋭い眼光に、夜でも黒光りする刃に、兵士たちは息を飲む。


 「しかし!敵は信州殿の策により士気は落ちている!士気が高い我々にとって恐るるに足らず!秀吉の大陸出兵を止めさせることで、戦国乱世を終わらせ、今度こそ、民の望んだ太平の世を造ろうぞ!」


そこまで言うと先ほどまでいろいろな感情が混じった表情をしていた者たちは落ち着き始め、光秀に鋭い目を向け始めた。


 「俺はついて行くぜ。光秀殿。天下相手の大戦おおいくさ、おそらく後にも先にも一回きりだぁ!」

 

 慶次がそう叫ぶと「そうだぁ!」やら「俺もだぁ!」やらの声が出始める。


 「儂もついていく。信長様を殺した貴様は許すつもりはない。しかし、秀吉の鼻を明かしたいのは同様じゃ。この内蔵助、明智殿に従おう。」


 いままで仏頂面だった佐々成政もそれに続く。光秀はそれに対し軽く頭を下げた。

 

 その他の将も決心した顔で光秀に頷く。


 「我々は戦国乱世の終結の使者なり!」

 

 そう言って最高潮に興奮を高めた浪人衆は、意気揚々と十兵衛に着いていったのだった。


 

 長野城本丸


 主人公である山口信濃守は、天守からその姿を見ていた。そこには信濃守と共にもう一人一緒にいた。と言ってもそのものは病床に就いているが。


 「行ったな。」


 起き上がりそう言って信濃守に返答を促す。信濃守は無言で頷き、


 「毎回毎回明智殿は、初対面の度に拙者を忘れてしまうようだ。貴殿のように忘れぬ者もいるのにな。」


 信濃守は苦笑気味にそう言って相手の方を向く。そうすると手に持っていた二つの果実かなんかをかじり、


 「俺は、自身を偽るのは昔の時だけで十分だからな。幼少のころは何分、いろいろ試すことというか、いろいろあるからな。」


 かじりながらそう言って男はもう一つの方を信濃守に投げつける。信濃守もまた苦笑しながら、話すのに支障が出ないほどにかじる。


 「今度はどうしようかな。」


 そう言って信濃守は懐から何やら書かれた、紙を出す。


 「ええと…豊臣、徳川、が三回ずつ、上杉、北条……………驚いたな。意外にもお前と一緒に天下取りしたことねえわ。」


 笑いながらその男に言う。


 「なんだよ。じゃあよ、次は俺にはじめっから付け。楽しいぞ。お前いつも炎の中から現れるからたまには違う会い方もいいだろ?」


 男は笑う。この男もまた幾たびも信濃守という存在によって天命がなかなか尽きない人間だ。


 「そうだな。決めたよ。……じゃあ先に言って待っててくれ、もうすぐ行くからよ。」 


 そういうと男は笑い笑い、消えていった。



 ちょっとした豆知識


家康自身は野戦が得意、特に30歳を過ぎてからの野戦は負け知らず。『桶狭間前哨戦』、『小牧・長久手の戦』が有名。

実際、武田信玄をはじめとした武田軍団以外には負けたことがない。

一方、秀吉は攻城戦が得意。『高松城水攻め』、『三木城干し殺し』、『墨俣、石垣山一夜城』などの戦法が有名である。


ちなみに戦術的(各個撃破)には家康のほうが秀吉より強い。

しかし、戦略的(包囲網)には秀吉が強く、物量作戦に家康は敗れた。


このやりかた、見たことある人多いんじゃないんですか?


その他の武将についてはいずれまた…

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ