幕の弐 『徳川大納言出陣』、日本一の所領持
今作ではオリジナル言語の説明をあとがき部分で説明してることがあります。
数日前
山城国京都 聚楽第
時の天下人、豊臣秀吉は焦った。大軍をもって圧倒的数差による信濃侵攻は思うように進まず、また並行して行っていた山口信濃守を『朝敵』にするための勅命請願が、関白である自分を以ってしても帝(天皇)に聞き届けられなかったからである。
それに自分の子飼大名の加藤清正、福島正則が重傷で戦場に復帰できなくなるのも予想外だった。
そしてここは、秀吉の京都での御殿、聚楽第である。そこには、戦況を打破するためにある男が呼ばれていた。
大広間にて
「関白殿下、徳川大納言様参られました。」
そう言って大広間端のふすまより声がし、廊下より来たのは南蛮胴の甲冑に羊歯の飾りをあしらえた兜を抱えた小太りの男、徳川大納言家康である。実際は裏で今回の騒動の黒幕であるのだが。
「それがしに戦支度をして登城せよと通達があったときはまさかと思いましたぞ、関白様。拙者が長野に出向いてとどめを刺して参れということでしょうかな?」
黒幕である家康自身もまさか山口勢がここまで持ちこたえるというのは流石に予想外だったようで、同じく黒幕の一人である伊達政宗が東北での一揆の鎮圧を契機に東北における領土拡大をひそかに始めたのも、親豊臣系大名の蒲生氏郷や、上杉景勝が信州侵攻に手間取り、政宗の動きに対する警戒が弱まったためともいえよう。
「そうなんじゃ。家康殿、やはり備前(宇喜多秀家)では役不足であった。ゆえに後詰の援軍に我が弟秀長も行かせたがそれでもまだ籠城を続けておる。俺が直々に出向いていきたいが、そうなると九州や四国の大名たちが動くとも限らん。だから一番信頼のおけるお主に出向いていただきたいのだ。」
実際、秀吉は徳川家康を前田利家以上に信頼を寄せていたといわれている。
「わかりました、しかし我が軍の大半は江戸におりますゆえ我が子、秀忠との合流をしてからでもよろしいでしょうか?」
確かに家康の居城は江戸である。京都の屋敷に控えていたのは100にも満たない警備のために残しておいた兵士だけであり、軍役に備えた兵はみんな江戸に控えていた。無論、そんなことは秀吉自身も熟知しており、
「安心なされ家康殿、既に加藤嘉明、長宗我部元親率いる四国勢2万をすでに大阪より上陸させておりすでに大津城にて待機させておる。あとは総大将であるお主さえ来着次第、美濃へ向かえる状態じゃ。江戸にいるお主の家来たちには、そのまま東北を監視してもらいたいからな。伊達の若造めがこれぞ好機とばかりに動き出したからのう。」
秀吉としても家康の戦術と徳川軍主力、三河武者の恐ろしさは熟知している。実際に史実ではその手腕に苦汁を舐め記録も残っている。だからこそ家康が自身の腹心たちではない武将でどれ程までできるのかも知りたかった。…この時すでに秀吉は信州攻めで手間取り始めた時点で宇喜多秀家を家康の副将にして朝鮮攻略の全権を任せる考えだった。
「…かしこまりました。ではこれより拙者も出陣します。」
そういって家康は大広間より下がっていった。大手門に向かう途中で家康はふと足を止め、庭の一点を見つめ、
「半蔵、だれぞ使いに出てもらいたい。5人ほどつれて我が屋敷で待っていてくれ。」
と言ってさっさと行ってしまった。
……………
相変わらず静かな廊下ではあったがほんの一瞬ではあるが空気がざわめいたのだった。
聚楽第 大手門
家康が大手門に差し掛かるとある男が話しかけてきた。
「徳川家康様。いよいよあなたまでも出陣でござるか?」
その男とは堺の商人、『千利休』である。もともと利休を含む畿内(堺や京都、大阪、大津など)の商人は、信長死後、徳川家への助力による徳川による庇護を望んでいたという。実際、史実によれば、本能寺の変の際、堺にいた家康は伊賀越えを行う際に山賊や落ち武者狩りに金子を渡して窮地を脱し、家康を守った京の商人『茶屋清延(通称:四郎次郎)』もいるし、千利休自身も自身の身銭を切ってまで、伊賀、甲賀の忍衆を雇い一行の護衛を依頼するなどの援助もしている。秀吉が大阪城を築き、そこを天下人の居城としたのは、徳川家寄りの畿内商人、特に堺や大阪などの港町に本店を持つ商人を監視させる意味もあるためだという。
それも加味したせいなのか、秀吉は堺や大阪の商人たちによる対南蛮貿易の利益よりも次第に博多から入ってくる対明・朝鮮貿易の利益に注目していった。
そのためなのか、利休存命の間は、常に秀吉は畿内商人監視の一環として畿内商人の代名詞的人物であり、なおかつ世間的にも有名な茶人である利休を片時も離さなかった。
「…利休殿か、左様です。拙者もこれより信濃に参れと下知されました。関白様としてはまさか山口殿に謀反を起こされるほど、朝鮮出兵を反対されたのが意外だったのだろう。多くの諸大名たちが領地拡大のために外征を強く望んでいるということは北条征伐の時に聞かされてはいたから拙者はあまり驚かなかったが。まさに窮鼠猫を噛む、あの時は何も言わなんだから私も賛成したのかと思ってましたが。」
それを聞くと利休は悲しそうに空を見上げた。
・・
「山口殿は信濃の領主になるまでは信長様の軍師として各地を転戦し、多くの異国の文化に触れてましたからなぁ。当初は冗談半分に聞いていたのでしょう。信長様から以前似たような話は聞き及んでました。唐入りについては信長様の遺志を継ぐという意味でしょうが、実際にやっていることにはやはり雲泥の差を感じます。私も本当にするとは…微塵も考えませんでした。軍師であった山口殿もこの甘い考えに身命を賭して反対しているのでしょう。朝鮮に出撃して多くの兵を失うよりは、信州一国とはいえ土地があれば少しは領土が増えるはずだからですか、ですが本気になった山口殿の軍略に多くの将が苦戦を強いられた。そこで日本一の所領持であり、唯一、関白様が苦戦した家康様に白羽の矢が立ったわけですな?相手が山口殿ならば流石の家康様も苦戦なさりましょう。…江戸の軍勢とは清州あたりで合流を?」
そう言って黙りながらこっちを向いてきた利休に、家康は何やら不穏な気配を感じ、思わず聞いてしまった。
「…利休殿、もしや何かあったのか?そのように口達者に話したのははじめて聞いたぞ。」
利休は普段は寡黙な男である。この寡黙な茶人がここまで弁舌にしゃべるのを、家康は見たことがなかった。
「いえ、とくには…ただ、山口殿はここ数十年来の友人。だからこそなおさら解る、いや、解ってしまうのです。山口殿がなぜ、この時期、この状況で兵を起こしたかを…まぁ少々違和感を感じますが。」
家康は黙って聞いていた。
『解せぬ。』
確かに家康も今回の山口の挙兵に些か《いささか》違和感を感じたのは同感だったからだ。
今回の山口軍による信州挙兵は確かに、徳川と伊達の所謂唆しが大本の根源ではあるものの、だからと言ってこの話をした翌日にはすでに一族そろって大阪、京都などの中央の屋敷からいなくなり翌々日には従属破棄の通達と、同時に信濃の豊臣直轄領である木曽郡(2万石)をはじめ、信濃国中に点在していた御成大名(*)の領地を、瞬く間に併合したためである。
早急なこの事態は伊達政宗も、予想していなかったようで先日、江戸に早馬にて奥州の動乱の鎮静を最優先するとの情報を得た。
「…家康様。いかが為されましたかな?」
利休は急に黙った家康を心配し、小走りに駆け寄った。
「いや大事在りませぬ。…!?、利休殿。なにを?」
いきなり駆け寄ってきた利休に驚いたふりをする家康はいつの間にか胸の内側に何かが引っかかっているのに気付いた。無論、普通の書状のようなものである。
「…その書状には我ら堺の会合衆が独自に調べ上げた朝鮮出兵の真実が隠されております。御屋敷にお戻りになってから御覧下さいますよう。」
所謂密書の類のようだ。
「では家康様、御武運を。」
そう言って千利休は聚楽第から出ていった。
京都 徳川屋敷 小書院(書斎)
家康は屋敷に戻ると、すぐさま小書院にこもり、身辺の警護を任せている伊賀忍頭領『服部半蔵』と留守居役の『本多正純』を呼びつけた。
待っている間に家康はいくつかの書をしたためていた。
「殿、半蔵及び正純、参りました。」
そういって入ってきたのは、一見すると好々爺に見える男と壮年の男。無論、半蔵と正純である。
「うむ。早速だが正純、お前には江戸に使いに出てもらいたい。…これを江戸の息子秀忠に、もう一つをお前の父、本多正信に届けよ。」
そういわれ正純は、即座に頷き、
「御意。ではこれより早馬にて参ります。」
「うむ。護衛として、伊賀のものを数人つける。」
正純はそこまで言うと、さっさと部屋を出ていった。そして家康も正純が遠ざかって行ったのを確認し、半蔵のほうを向いた。
「さて、半蔵。」
半蔵は穏やかな表情のままこちらを向いてきた。
「…」
無言ではあるが。半蔵の眼は真剣に家康を見つめていた。
「本来であれば、お前にあの書状を持って行かせるつもりだった。…先ほどの利休殿の密書を見るまでは。半蔵、お主は此度のこと何か聞いていたか?」
そういって着物の内側から文を取り出し半蔵にも読ませた。
「…否。おそらく利休殿の中で隠していたのでしょうな。しかし、おそらく利休殿自身もこの情報は人伝で聞いたのだと思います。」
半蔵は最後まで読み解くと家康のほうを向いて話した。
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「…そうなるとやはりあの男が手に入れた情報か。朝鮮出兵は南蛮人の入れ知恵とは、無きにしも非ず…か。それを何らかの方法で知ったあ奴は、兵を挙げた…言われてみればそうじゃな。迂闊じゃった。なぜ気づかんかったか。第一陣に指名された宇喜多の家来にはキリシタンも多い。秀家の正室も確かキリシタン。戦死した小西行長もキリシタンだ。黒田長政も、細川忠興の妻もキリシタンだ。…そうか、あいつはこのことに気付いた、だから矛先を自らに向けさせた。半蔵こうしてはおれぬ。あの男、まだ死なせるわけにはいかない。…我が悲願達成のためにも速く信州に向かわねば。」
そこまで言うと用意されていた茶を飲みほし、フゥ、と一息はいた。
「御意。殿、この屋敷にいる兵は既に準備万端です。如何に?」
その間を見計らい半蔵は家康に伺った。
「無論すぐに出陣いたす。半蔵、先に大津で待つ軍に使いを頼みたい。『長浜にて合流いたす』とな。行け。」
そういうと音もなく半蔵は消えた。
「御意。」
という一言を残して。
数日後 近江国 長浜城
そこにはすでに四国から海を渡ってはるばる内陸にまで来ていた武将たちが、総大将となる徳川家康の指揮のもと、続々とさらなる内陸信州へ向かっているのだった。
*『御成大名』…1万石~5万石程度の辛うじて大名の地位にいる連中のことを呼称している。史実では江戸時代の話だがこの程度の大名家を『陣屋大名』、あるいは『小名』と呼び、『陣屋』、つまり城を持つ程領地を持てない大名のこと。
作者が位置づけのために造語した。
本作では江戸時代の表記のままでは違和感を感じたため、あえて名称を変え、それっぽい銘記にした。