ルフレとセレスの出会い③
ライバルと言われて以来、セレスはルフレと会話するようになった。
少しずつ、彼女が心を開いているのが、ルフレにも感じられて、ルフレは今までに感じたことがない、高揚感を感じていた。
否、これは感じたことはあるのかもしれない。
ロイとの出会いも、そうであった。
しかし、少しだけロイとは違う、何かすっぽりとはまる安定感。
ルフレの周りはいつだって揺らいでいたが、セレスだけは、揺れない地面であると、ルフレは確信していた。
そして、二人の関係は、ある日を境に、決定的に変容することとなる。
それは、三の月の第一週のことだった。
まだ冷たい風が吹くものの、確実に日は長くなり、少しずつ、日差しも強くなってきていると感じられる頃。
「ねえ、ルフレ」
「何?」
アサレアに呼びかけられたのは、屋外でのこと。
「ちょっと、話さない?」
そういって、彼女は近くにあったベンチを指さす。
「……いいわ」
前置きされたことに、ある種の警戒心を覚えながらも、ルフレはアサレアを見た。
長い金髪を三つ編みにして、その碧い瞳は、しっかりとルフレを見据えているように、端からは見えた。
しかしルフレには分かる。
アサレアはルフレを見ているわけではない。
ルフレ・ルミエハという存在に、何かしらの感情を抱いて、そちらを向いているだけなのだ。
きっと彼女の瞳には、ルフレが映ることはない。
セレスと出会ってからだった。
アサレアとの関係性に疑問を抱き始めたのは。
ルフレは、驚くほど自分がアサレアに依存していないことに気づいたのだ。
ロイのように、友人だと胸を張って言えるならば、そこには相当の執着心と、依存心があってもいいはずなのに。
ルフレは、自分で分かっていたのだ。
おそらくアサレアは、ルフレを本当に友人だと思っているわけではないのだと。
「ねえ……私たち、もう、友達ではいられないわ」
アサレアが、芝居がかって、少しおおげさに言う。
その大きな声に、通りかかった生徒がちらちらとこちらを見た。
「……どうしてかは、聞いても?」
彼女が望んでいることが手に取って見えて、唯一、ルフレには理解できない、その動機だけを尋ねてみる。
「あなたがギルの心を奪ったからよ」
「……は?」
アサレアの激しい熱のこもった視線を受けながら、ルフレはその思いもよらない返答に、まぬけな反応を見せてしまった。
「は、じゃないわ。どうして友達の好きな人を奪うの!」
通りかかる生徒に、自分の台詞を聞かせること。
それが彼女の意図だ。
そして自分を正当化して、あとは世間に守ってもらおうとする。
確かに彼女の演技によって、明日には、ルフレとアサレアの別離は、ルフレが男を奪ったからという、噂がながれているだろう。
それによりアサレアは同情を集めるはずだ。
そして、ルフレがそうやって軽蔑されることは、彼女からすれば、ギルバードを奪った復讐にもなりえる。
しかし、彼女は二つほど失念していた。
その一、周りから軽蔑、あるいは嫉妬、憎悪の視線を投げられることに、ルフレは全くもってダメージを受けないということ。そもそも、そんなものに取り合っていれば、ルミエハ長姫として、ここまで生きてはこれない。ルフレは優秀で、かつ本家の一人娘であったため、ルミエハ家内部からは、次期後継者として丁重に扱われてきたが、外部からは、ルミエハの恨みつらみに巻き込まれ、それなりに攻撃を受けていた。
そしてその二、ルフレは一人でいることに、何の感慨も抱けないということだ。ルフレは、ルミエハ家の中では、いつだって独りだった。周りに何十人いようが、ルフレはいつだって独りだったのだ。ルフレが心を許せるのは、レイラとロイ、アンナのみ。しかしながら、その三人も、いつも隣にいるわけではなく、その立場に縛られた行動しかできないため、ルフレは一人で立てる必要があった。
「黙り込んでも、私は許さないわよ!」
声を震わせて、激怒しているように見えるアサレアは、嘘の塊だった。
どこまで本当なのだろう。
ギルバードを好きだと言ったアサレアは、本当は、ただ、悲劇のヒロインになりたいがために嘘をついたのだろうか。
そこまで考えてから、ルフレは小さく首を振った。
あまり思考にはまると、アサレアの怒りを助長してしまう。
ルフレは、どうするべきか悩んでいた。
どういえば、穏便にアサレアと別れられるのか。
「黙ってないで何か言えばいいじゃない! それとも、ルミエハの笠を着ないと、何も言えないの!?」
何かが、ルフレの中で音を立てて崩れ落ちた。
爪が手のひらに食い込むのも構わず、ルフレは、こぶしを握りしめたまま、アサレアの、その碧い瞳をにらんだ。
ただでさえ整った顔は、怒りでさらに研ぎ澄まされ、アサレアはたじろいでいた。
彼女は無自覚だった。
自分が言った言葉に対して。
「ルミエハの笠を着た覚えはないわ」
だからこそ、彼女は謝れなかった。
それどころか、決定打を下してしまったのだ。
「なによ! あなたなんか、ルミエハがなければ、見向きもされないくせに! ルミエハにかじりついて、ルミエハの力を振りかざして、人を従えて、何が楽しいのよっ!」
パンッと、軽い音を立てて、何かがはじかれる音がした。
ルフレの両手はアサレアの頬をはたいた形で止まっていた。
アサレアは、信じられないといった表情でルフレを見ていたが、しかしすぐに叫びだす。
「何よ! あなたが悪いのに! 私があなたにたたかれる覚えなんて――」
「――黙りなさいよ」
アサレアの激昂を止めたのはルフレではなく、金髪碧眼の少女、セレスだった。
彼女は冷静な声で二人の間に割り込むと、ルフレの方を見て、そして言った。
「珍しいじゃない。ルフレが取り乱すなんて。あなた、どんな嫌味を言われても、適当に流してたのに」
どうしてだろうか。
セレスは微笑んでいた。
いつから彼女が見ていたのかは分からないが、それでも、ちらりと見ただけでは、ルフレの方が悪く見えるだろうに。
「ちょっと! なんなのよ! そもそもあなた、ルフレと対立してたんじゃないの!?」
「いいえ。ルフレとは、この瞬間から、友達よ」
「……は? 何言ってるの? あんたあれだけルフレのこと気に食わないって」
「私はね、自分が認めたやつとしか、友達なんてなれないの。自分以下のやつと無理矢理つきあうなんて、私のプライドが許さないわ」
ルフレは、セレスの突然の友達宣言に、言葉を失っていた。
今の状況で、何がどうなれば、セレスとルフレが友達になるというのか。
「とにかくね、友達と認めた人が、冤罪背負ってるのは、許せないわ!」
「冤罪ですって!? 何よ! あなたに何が――」
「――ギルバード・ブリュネの心がどこにあろうと、ルフレに罪はない。彼女はギルバード・ブリュネとは距離を置いてきたし、これからだってそうするでしょう。だとすれば、奪われたのだのなんだの言うのは、濡れ衣着せられたのと同じなのよ」
セレスもアサレアに負けないくらい大きな声で、そう言い放つ。
アサレアの顔が、青ざめていくのが分かる。
これはおそらく彼女の計画外だろう。
「これ以上、不利になるのが嫌なら、さっさとどこかに行きなさいよ!」
ルフレが何一つ言うまでもなく、セレスがそういうことで、アサレアはさっと走り去っていく。
生徒たちの中でどういう噂が流れるのか、不明だが、おそらく、ルフレ・ルミエハと、セレス・アンバーが友人であるという話は、きっと、半信半疑で広まっていくのだ。
「さて、追い払ったわ」
「……本気なの?」
さも当然のようにそう言い放ち、腰に手をやってこちらを向き直ったセレスに、ルフレは問いかけた。
長い黒髪がなびくのも放置して、ただ、自身の深い緑色の瞳をセレスに向ける。
「本気よ。私の申し出を断るなんて許さないから!」
びしっとルフレに人差し指をつきつけて、そうして、彼女は自身たっぷりな笑みを向けた。
それは、勝者の笑み。
「私の色……」
ルフレは、ゆっくりと目を閉じる。
広がる闇に、おびえながらも、それでも光をまさぐった。
「え?」
「私の瞳の色は、何色だと思う?」
闇の中。
沈黙がその場を制すが、ふと、何かが揺らいだ気がした。
「深い、緑色」
闇の中に差し込んだ光は、そうして、そのまま、新たに“友人”となった人物の輪郭を作り上げる。
「正解、よ」
ルフレがそういえば、セレスの顔が、何か奇妙なものを見たようなものになる。
しかしそれも一瞬のこと、すぐに彼女は、勝ち誇った笑みを浮かべて言った。
「セレス・アンバー。セレスって呼んで」
「……ルフレ・ルミエハ。ルフレよ」
こうして、二人の友情は始まることとなる。
ルフレが後から聞いたところ、あのときセレスが作った表情は、ルフレに原因があったということだった。
正解、と言ったときのルフレは、微笑んでいたのだそうだ。
その瞳に、涙すら、浮かべながら。
これにて、ルフレとセレスは完結です。