EPISODE34 「笑えるほど気持ちがいい」
ティリウス・スウェルズにとって、今まで生きてきた十五年よりも、リリョウ・ナツキ・ウィンチェスター……いや、由良夏樹と出会ってからのこの数ヶ月の方が濃密な時間を過ごしている。
そう断言できた。
だから。
だからこそ。
「なんなんだ、これは!」
この現状が信じられなかった。
「中で暴れとるんじゃよ」
そう言うのは老人――ノワル・トワール。
だが、ノワルの言葉を聞いても、理解できない。
「何をどう暴れれば、四肢から血を流しながら笑って刀を振り回す状態になるというのだッ!」
そう。ナツキは今、現在進行形で暴れている。
不本意だが、ただ暴れているだけならいい。だが、違う。
四肢を大怪我しているのは間違いなく、いずれこのままでは出血多量になるのは目に見えてわかる。だというのに立ち上がり、刀を振り回すということをしているのだ。
「痛みはないのッ?」
姉であるヴィヴァーチェ・スウェルズも悲鳴のような声を上げる。
だが、まさにそう感じてしまうのは無理もないことであった。
痛覚などないように、地を流しながら刀を振るうナツキ。一回刀を振るうごとに、魔力の刃が道場の床を抉り、同時に鮮血が舞う。
――だが、それだけならまだマシだった。
ナツキの目元には刃物で切られたと思われる傷が一閃。
つまりナツキの視界は潰されているのだ。
だというのに、相手はどこにいるのか正確に分かっている。そして血だらけの腕で血に塗れた刀を振り下ろしてくる。
――異常だ。異常すぎる。
そして何よりも異常なのは、ナツキの心臓部に刺さる短剣。
「リリョウに何をしたんだッ!」
ティリウスは混乱、怒り、そして現状を変えることのできない自分に悔しさを覚えながら怒鳴るように大きな声を上げたのだった。
*
何度叫び声を上げただろうか?
一体、どれくらいの時間が経っただろうか?
もう手に力は入らず、自身の血のせいもあって、いつの間にか握っていた刀が滑り落ちていく。
「……」
何かを呟いたが、もうそれも声になっていない。
いつになったら終わるのか、いつになったら解放されるのか。
いつになったら――俺は、死ねるのか……?
そんなことばかりを考えてしまう。
このままでは駄目だと思い、何度も何度も自問自答したことを繰り返す。
この試練は一体なんだ?
一体、何のためにやっている?
分からない。
「もう、これ以上……何に耐えろっていうんだ?」
体中から血を流しながら、業火に焼かれ、濁流に流され、大地に押しつぶされ、風に切り刻まれ、稲妻に打たれ、光と闇に飲まれた。
だが、死ぬことはなく、だからといって傷が言えることがなく、ただただ時間だけがゆっくりと、残酷にゆっくりと流れていた。
大和に会いたい、と思った。
アイザックやティリウスに会いたい、と強く思った。
ユーリにも会わなければ、と思った。
――誰にも、これ以上心配を掛けたくはなかった。
今、この時点で自身の何が試されているのかが分からない。
だけど、こんな所で、こんな何にもない空間で、一人でどうにかなってしまうのはゴメンだった。
――鋼の属性? そんなもんいらねぇよ。
血が混ざった涎を流しながら、どれくらいぶりだろうか、ナツキは笑みを浮かべた。
――誰かに心配を掛けなきゃ手に入らない力なんて、いらねえ。
強くなりたいと思った。それは本当にそう思ったし、本気だった。
だが、これは違う。
何か違う。
なりふり構っていられないのは分かっている。嫌な予感だってしている。
正直、自分の力がまだ九割もあると聞かされた時は、胸が躍ったのも事実だった。
だけど、こんな風に、また自分の中に閉じこもって、前みたいに誰かに心配を掛けているのは違う。
どういう仕組みだか分からないが、また誰かに迷惑を掛けているのが分かった。
「聞けよ」
立っているのか、倒れているのかさえ分からない状況で、ナツキは不敵に笑ってみせる。
「もう精神攻撃はウンザリだ。俺はアイツらのところへ帰る。足りない力はアイツらに貸してもらう。多分、そういうのを仲間っていうんだろう?」
一本の刃が現れる。
「属性って何だ? それがあれば強いのか? 俺が欲しいのは、そんなもんじゃない。誰かを守れる力だ、誰かを助ける力だ、そして俺自身のせいで悲しむ人が少しでも少なくなってしまうことを防ぎたい力だ!」
――それが、貴方の答えか?
「ああ、そうだよ。刀に炎を宿しても、強いか? 結局はココだろ」
トン、と自分の胸を軽く叩いた。
――是。貴方の求める強さは、心の強さ。
「そうだ」
――是。それが貴方の強さだ。
――貴方の属性、それは鋼。鋼の中の鋼。
――名は、鋼の心を求める力。
「なんだか冷血な奴になっちまいそうだな……ネーミングセンスがねえよ」
ナツキは笑う。
そして気付く。体中の傷が無いことに。
――貴方の鋼の属性は鋼。
――鋼の中の鋼。
――属性とは心の力。宿すもの、求めるもの、様々なもので決まる。
――貴方は心を強くすることを願った。強く思った。
――自身の力より、仲間のことを思った。
――私は願う。貴方の心が鋼にならないことを。そして、鋼に負けない強さを得ることを。
「……ありがとう」
そして、ナツキは眠るように意識をゆっくりと手放したのだった。
*
ピタリ、と鮮血を振りまきながら暴れるナツキの動きが止まる。
同時に、ティリウス、ヴィヴァーチェ、シャルロット、ノワルの動きも止まり、唯一結界を張ることに専念していたジェスも息を呑む。
ナツキの心臓に刺さっていたナイフが、パキンッと甲高い音を立てて砕けた。
「終わったようじゃな……」
ノワルだけ分かったように、やれやれとため息を吐いた。
「待て、何が一体……どういうことだか説明しろ!」
一方で理解できていないティリウスが叫ぶが、他の三人も同じだったのでノワルの方を向く。
ふう、と大きく息を吐くと、ノワルは一言だけ言った。
「成功じゃ」
「つまり、試練に成功したということですね!」
シャルロットが声を上げる。若干震えているのは、安堵からか。
その言葉にノワルは頷き、ジェスもホッとした。
そして……
「ジジィ、テメェ……体中が痛ぇんだよ……」
弱弱しい声だったが、動きを止めていたナツキから、呟くように相変わらず口の聞き方が悪い言葉が漏れる。
「リリョウ!」
ティリウスは正気を取り戻したナツキを見て駆け寄ろうとして、やめた。
「待っていろ、リリョウ! 今すぐに、傷の手当ができる者を釣れて来るからな!」
そう言い残すと、返事も聞かないままティリウスは走った。
シャルロットは槍を落とし、その場に尻餅を着く。正直、ここまでの戦闘は初めてだった。
「……ここまで強いのか、「魔王候補」は」
「規格外じゃないですか……ていうか、二度とゴメンです、こんなこと」
同様に座り込んでしまっているジェスも、ほとんど文句のように呟く。
「何がなんだか分からなかったけど、なんでこんなことになってるのよ!」
一人、まったく成り行きを知らないヴィヴァーチェだけが不満を全快にして大きな声を上げたが、そう得意ではない戦闘をしたせいか、パタリと倒れこむ。
そんな三人を見守りながら、一人のん気に煙草を咥えていたノワル。彼をはじめ、全員が傷だらけであるし、血だらけだ。
ノワルも体力を消耗しているのか動こうとしない。
だが、意識を保っていながら、動けないでいるナツキに笑みを浮かべて声を掛けた。
「リリョウ・ナツキ・ウィンチェスターよ、気分はどうじゃ?」
初めて、ノワルはナツキの名を呼んだ。
「ああ、笑えるほど気持ちがいい」
体中が痛くて、倒れることもできないでいるナツキは、それでも無理やり笑みを浮かべた。
「最高だよ」
いつもよりも短めですが最新話お届けします。
六月中に投稿予定でしたが、間に合いませんでした。すみません。
次話から話が動き出します。
ご意見、ご感想、ご評価をいただけると、とても嬉しいです。どうぞよろしくお願いします!