EPISODE32 「俺は強くなれるのか?」
最初に鋼があった。
鋼は幾千、幾億の武器や防具、道具となって人々の生活に欠かせないものとなった。
始まりは鋼にあった。
多くの場所で流通されていくことで、人々の生活を豊かにした。
終わりに鋼はあった。
数多の戦場で武器と防具がぶつかり、血の雨を降らせ、血の川を作り、世界中に多くの悲しみを撒いた。
そして、そこに鋼があった。
魔族にとって魔術とは違う、異能と呼べるその力の中に鋼という属性があった。それは数多の謎と強き力を携えたものだった。
――だが、鋼とは何か?
それを知る者は少ない。
*
道場というものがこの世界にあることのナツキは驚いた。
シャルロットと共に、ノワルの待つ屋敷の一室へ向かった。
そこは、まさしく道場という名が相応しく、母屋とは別に建てられ、地球の道場とさほど変わりはないと言えるだろう。
ナツキはシャルロットとジェスによって着替えさせられているが、その服装はシャツのジーンズだ。靴下は履いていないので、靴を脱いでそのまま道場へ上がる。
「意外と早くに目を覚ましおったのう」
「おかげさまで……」
色々と言ってやりたいことがあったが、先の精神的なダメージのせいでそこまでの余裕がない。
「さて、お前さんの、いいや――ワシらの力について話をするか」
床に胡坐を掻いているノワルは、ナツキにも座るようにと言う。
ナツキは胡坐を掻き、シャルロットは正座をする。そして、少し遅れてきたジェスがノワルの少し後ろで正座をした。
「さて、まずはじゃ……お前さん、鋼の属性は何だ?」
「属性?」
そう切り出したノワルの言葉に、ナツキは意味が分からないと首をかしげた。
「何を言ってるんだよ、鋼自体が属性じゃないのか?」
「違う。鋼は始まりじゃ、そこにさらに属性を上乗せすることで本来の力を得ることができる。お前さんは試練でそれを得なかったのか?」
「……」
首を横に振るう。
フム、と考えるようにノワルは顎鬚をさすりながら、何かを思い出すように黙る。
そして――
「ああ、なるほど……お前さん、試練から逃げ出したな?」
「……ッ」
「まぁ、気にすることじゃない。あんなもの試練なんぞと呼ばん。あれは拷問だ。ワシも逃げれるものなら逃げたかった……逃げ出すことのできたお前さんが羨ましい」
しかし、どうやって逃げ出せたんじゃろうなとノワルは少し考えるものの、数秒してから「わからん」と切り捨てた。
「ちょ、ちょっと待ってください! 彼が、本当に試練から逃げ出したのであれば、力を得ることはできなかったのでは?」
シャルロットのもっともな問い。だが、ノワルは首を横に振るう。
「いや、違う。正確に言うと鋼の力は、他の力と少々勝手が違う。まず、自身の力を受け入れ、扱えるようになることで一般的な試練の合格と同じじゃ。しかし、鋼はそこからがある」
「続き、がですか?」
「そうじゃ。扱うことができれば、当たり前じゃがその後は実戦や訓練などを重ねて自分だけの力にしていくものじゃが。鋼は、自身の鋼を作らなければいけない」
自身の鋼を作る?
そんなことをした記憶はナツキにはなかった。
だから、分からない。
「分からん、という顔をしてるのう。じゃから逃げた、と言ったんじゃ。お前さん、辛い試練に耐えられなくて心が壊れそうになったじゃろう? 後は、周囲がよほど心配していたか、じゃろうな。それらの些細な偶然が重なって、中途半端な所で試練が終わってしまったんじゃ」
――だから、ウィリアム・レクターごときに負けることになる。
ノワルは強い光を宿した瞳でナツキを見据え、そう言った。
とてもボケ老人とは思えない、強い瞳だった。
そして、信じられないことに、ナツキが敗北した「勇者」ウィリアム・レクターを、ごとき、扱いだ。
一体、この老人は何なんだ。そう叫びたくなったナツキだった。
「仕方ない、まずは試練の続きをワシがやってやろう」
「は?」
そんなことができるのか、と聞こうとするナツキなどお構いなしにノワルは立ち上がると、一本の剣をいつの間にか握り締めていた。
「ジェスや、すまんが結界を頼む。そうじゃな、長丁場になるかもしれん、七割程度でええ」
「七割もですかッ? で、できないことはないですが……」
「では頼む。シャルロットは万が一のために槍を用意しておくんじゃ」
え? と、シャルロットは戸惑った。
万が一のために槍を用意――それは、一体何を意味するのか?
「さあ、用意せい」
「は、はい!」
その問いをさせてもらえる時間もなく、シャルロットは動いた。
そして、展開に一番着いていけないのはナツキだった。
そもそもナツキは試練から逃げ出した覚えがない。あれで終わったと思っていた。
だというのに、続きがあるのか? あれ以上の?
「どうしたんじゃ? 震えとるぞ、怖いんか?」
「……怖かねーよ」
強がったナツキに老人は、ホッホッホと笑う。
「……あのさ」
「なんじゃ?」
「正直、わけわかんねーことだらけなんだけどよ、これから起こることに耐えれば……俺は強くなれるのか?」
その問いにノワルは、
「馬鹿もんが、お前さんならワシよりも強くなるわい」
フッと、不敵な笑みを浮かべてみせた。
*
場所は変わり、魔国の王都であるカッシュガルド。
そこにあるのは魔王が住まう城、魔王城。そして、魔王城に隣接する魔神神殿。
その魔神神殿の一番奥に姫巫女の間というものがある。
魔神信仰である巫女をすべる者を、姫巫女と言う。そして、姫巫女の間というのは文字通り姫巫女が生活し、魔神に祈りを捧げる部屋となっているのだ。
――表向きには。
「そろそろ、始まるか」
姫巫女の間に一人、艶やかな黒髪を伸ばした女性が一人、椅子に腰掛けていた。
質素な部屋であり、椅子、机、ベッド、本棚、箪笥と最低限の物しか揃っていない。
魔国において、いや魔神信仰と言うべきか、巫女はあくまでも一人の人として扱われる。当たり前なことだが、これが信仰深い人間の国などになると、巫女は神の眷属と言われるので違いは大きい。
話を戻すと、魔国、魔神信仰では巫女という存在はあくまでも職業である。無論、なりたくてなれるわけでもないし、色々と規則もあるのだが、そう厳しいものではない。
歳相応の子であれば、それなりの部屋の使い方をするのが当たり前だった。
だが、この姫巫女は違う。
長い時間、この部屋で生活しているというのに、部屋の中に生活感がなく、だからと言って無人を思わせる感じもしない。
いるようで、いない、そんな曖昧な言葉が合っていた。
「あの子が壊れそうだったから、あの子が必死でもうやめたいと願ったから、我が強制的にこちら側に引き戻してしまったが……今は、それが正しかったのか後悔している」
誰も聞いていないというのに、誰かに聞かせるわけでもなく、女性は言う。
「我は間違っていたのか?」
それは未だに分からない。
「我はどうして、あの子に加護を与えた?」
分からない。
「この、感情はなんと言うのだろうな……我は長い時を生き過ぎたのかもしれん。だが、この感情がどういう物なのか知りたいと思っている」
彼女は苦笑する。
黒髪に、黒い瞳、そして黒い衣装に身を纏い、唯一肌だけが病的に白い女性は、ここにはいない一人の男を想って呟く。
「我はそなたが大きな力を得ると信じておるぞ、ナツキよ」
女性はそう言って、目を閉じ、動かなくなった。
椅子に座り、まるで美しい像のように、生きているのか疑いたくなるほどに。
そんな彼女の顔にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
最新話お届けします。今回はいつもと比べて若干短いです。
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