EPISODE26 「僕の、親友の所へ」
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「うそ……」
少女は信じられないように首を横に振る。
一歩一歩、後ろに下がりながら、目の前の相手から逃げようとしていた。
「嘘ではありませんよ」
少女にはわからない。
どうしてこのような状況でこの男は笑っていられるのだろうか?
どうして、国を、母を、私を騙したのだろうか?
「あ、貴方は何が、目的なの!」
まるで悲鳴のような声だった。
「私の目的は―――――ですよ」
男は笑みを崩さずに、信じられないことを言った。
ありえない。
そんなことができるわけがない!
そんなことを思いながら、ジリジリと少しでも男から離れようと少女は後退していく。
「お逃げになるつもりですか?」
男は笑う。
「どこに逃げると言うのです? 人間の国々では貴方を受け入れてくれるような酔狂な国はないというのに。竜族は人間とかかわりを持とうとしていないからやはり無理だ」
幼い頃から見ていたはずの男の笑みが、酷く怖い。
「では魔族に助けを求めますか? 幸い、和平派という派閥が存在していることは貴方にとって都合が良いかもい知れませんね。しかし、この国がしてきたことを考えると……受け入れてくれるでしょうか?」
悔しくて、悲しくて、ボロボロと涙が零れる。
しかし、それでも少女は男を睨みつけるようにして目を離さなかった。
「貴方が……お前が、この国を駄目にしたんじゃない!」
「これは心外ですね。仮にそうであったとしても、貴方の言葉を誰が信じますか? 正直、貴方をここで殺さないのは、放っておいても何も害がないからですよ。少しでも害があれば、とうに殺していました」
男は笑みを深める。
そんな男は返り血で赤く染まり、少女の周囲には“人間だったもの”がバラバラとなって散乱している。まるで壊れたおもちゃのように。
「おや……」
男が何かに気付いたように、少女から目を離した。
瞬間、白い閃光が男を襲う。
だが、彼は手を軽く振っただけでその閃光をかき消してしまった。
「この程度ですか“勇者候補”様?」
皮肉なのではなく、ただ純粋に疑問に思って男は聞く。
「……まさか、貴方みたいな立派な人が、こんなことを!」
現れたのは小柄な少年だった。
歳は一六、七のまだ幼さが残る少年だった。
ただ一ついつもと違うのは、少女が見たことがないほど彼は激昂していた。
「ヤマト!」
少女は叫んだ。助けが来たのだと。あの男を倒してくれる勇者が現れたのだと。
だが――
「もう一度聞こう、この程度なのかい?」
「え?」
それは少女の声だった。
あまりにものことに、思考が追いつかなかった。
国で最も力を持つと謳われる“勇者候補”が――真っ赤な血を流して床に倒れていた。
「やはり、君程度ではこの程度なのだろうね……だが、駒としてなら十二分に使える」
男は笑みを絶やさずにそんなことを言う。
そして、少女に向き直る。
「私が本気だということを知ってもらう為に、貴方には死んでもらうことにします。舌の根が乾かない内に意見を変えてしまって申し訳ないが、いてもいなくても何もかわらない人物を殺したところで何か変化があるわけでもない」
男はそう言って、少女に手を伸ばした。
だが、再び白い閃光が男を襲った。今度はしっかりと、男の腕を焼く。
「ほう……」
腕を焼かれたというのに、気にするそぶりをみせず、むしろ感心したような顔をする男。
倒れた“勇者候補”の少年の掌からの攻撃だった。
「流石は、光の“勇者候補”といったところなのだろうか。だが、その程度で私に何かできるとでも?」
「……逃げて、ください!」
男の問いに答えず、少年は声を張りあげた。
「魔国へ! 僕の、親友のところへ、逃げてください! そして、事情を、この国の真実を! 彼ならきっと信じてくれ」
少年の言葉を遮るように男は剣を振るった。
鮮血が飛び散り、少年は動かなくなった。
「や、ヤマト……」
「心配しなくてもいい。この程度で私が鍛えた“勇者候補”が死ぬわけがない」
震える少女は、それでも懸命に声を絞り出した。
「ヤマトを、どうするつもり! 私をどうするつもり! この国をどうするつもりなの!?」
「貴方には関係がないことだ。逃げればいい、この“勇者候補”に敬意を表して君は逃がそう。どこの国にでも、どこの種族にでも泣きつけばいい」
男は笑みをさらにさらに深めた。
「もっとも、少しでも選択を間違えれば、貴方は死んだほうが良かったと思う可能性もあることも忘れないように」
言いたいことの意味が分かった。この国を憎む国、人間は多い、自分が選択を間違えれば男の言うとおりの結果になるだろう。何もできないまま。
だが、少女は逃げ出さなければいけない。
このことを誰かに告げるために。世界中が騙されていることを知ってもらうために。何よりも、自分のために犠牲となってくれた“勇者候補”のためにも。
少女は倒れている“勇者候補”を一度だけ見ると、走った。
男は追いかけてこない。
そのことを安堵してしまう自分が嫌だった。
それでも少女は走る。途中誰かに声を掛けられても、無視して走り続ける。
そして、その日――ノルン王国から王女は姿を消した。
*
それは人間の世界で言うところの――神速――という速さの領域だった。
風のごとく、まるで消えるような速さで駆け抜けるナツキにティリウスは驚きを隠せない。
(いつのまに、ここまでの差を付けられた?)
以前、共に走った時は同じだったというのに。それに今のナツキはまだ全快してはいない。
そのことに、苛立ちとわずかな不安を覚えながらも、これ以上距離を離されないようにとティリウスも駆ける。
ナツキは速度を落とすことはしなかった。
それはティリウスにとって侮辱にもなるだろうし、人命救助を優先したからである。
あっという間に馬車と悪魔の間に立つと、緋業火を抜いて構える。
一拍遅れてティリウスも追いつき、サーベルを抜いた。
「……まさか、人型か?」
ティリウスがそう呟くが、その意味はわからない。だが、確かに迫り来る悪魔が人に近い形をしていることはわかった。
初めてこちらの世界に来たときにに見た、獣のような悪魔ではなく、異形であるが形は人に近かった。
だが、異形は異形だ。悪魔は悪魔だ。
錆びた鎧を纏い、身の丈は二メートルを超えている。鍛えたのかと勘違いしたくなるほどの太い四肢を持ち、手には斧や鉈、そして剣や槍を、盾を持っている。
そして奴らを異形と言いたくなるほどの醜悪な顔。腐ったように、爛れたように、目や鼻がどこにあるのかわからず、それでいて鮫を思い出される歯が並ぶ口は耳があるであろう辺りまで避けている。
その姿はまさに異形だった。
「気をつけろ、あんな姿をしていても悪魔の中では中位と上位の間の力を持っている。それに……知能は僕たちに近い。獣のと思うな」
「……わかった」
ゴクリと唾を飲みこみ、ナツキは走った。
「援護する!」
その声と同時に、ナツキの横を紫電が走る。
だが、先頭にいた悪魔は巨大な盾でその紫電を受け止めた。が、威力を殺すことができずに、その巨体が宙に浮く。
その隙をナツキは見逃さない。
盾を構えたまま宙に浮いた悪魔に近づくと、ガラ空きとなった背中から一閃。
「チッ、硬い!」
両断することができず、思わず舌打ちをしてしまう。
それでも悪魔に致命傷を与えたのだろうか、大きな音を立てて地面に落ちた悪魔は跳ねるように体を動かすが起き上がることができない。
「とりあえず、次だ!」
叫ぶと同時に、振り下ろされてきた鉈を刀で受け止め、腹に蹴りを入れる。
轟、と緋業火に炎を纏わせ、体性を崩した悪魔を焼き斬った。
赤い鮮血が噴出すが、ナツキに掛かる前に緋業火が纏う炎で蒸発し、嫌な臭いがした。
「足を止めるな!」
ティリウスの叱責を受け、さらに刀を振るう。
何度も武器と打ち合い、盾に塞がれるものの、二回、三回と繰り返すと武器を両断し、盾すらも両断してみせる。
「いける!」
それが、ナツキが慢心した瞬間だった。
ずぶり。
そんな音が体の右側からした。
「リリョウッ!」
ティリウスが叫ぶ。
槍だ。槍がナツキの右肩に刺さっていた。
それも後方にいる悪魔が、前方にいる悪魔ごとナツキ目掛けて槍を放ったのだ。
「……お前ら、仲間意識すらねーのかよ!」
緋業火が手から地面に落ちる。
そして、その瞬間を見逃してくれるほど、悪魔たちは優しくはなかった。
七体の悪魔が左右前後から襲いかかってくる。きっともの凄い勢いで襲い掛かっているのだろう。だが、やけに遅く見えた。
だが、体は動かない。まだ、体が全快していないのだ。
「やべ……死ぬのか?」
いや、まだだ。
俺は何もやっていない、やろうともしていない。“魔王候補”として何かするわけでもない、ただ人を殺しただけだ。
大和を救うと言っていながら、まだ顔すらみていない。
保護した巫女たちに、ユーリに言ったじゃないか、一緒に頑張っていこうと。
アイザックの笑みを、ティリウスの不機嫌そうな顔を、ストロベリーローズ、トレノ、クレイ、ウェンディ、サイザリス、ローディック、出会った多くの人たちの顔を思い出す。
「こんなところで、こんなところで死ねるかよ!」
そして、ナツキの中でパキンと音を立てて何かが外れた。
*
アイザックは自分の判断を間違えたと思った。
ナツキが緋業火を落としたときには、悲鳴すら上げそうになった。
ナツキの元に駆けつけようと走ろうとした瞬間、彼を囲むようにして悪魔が飛び掛かってしまった。
アイザックの視界が絶望に染まった――その時だった。
「……ッ?」
膨大な魔力を感じ、そしてナツキに飛びか掛かっていた悪魔たちが無数の刃に貫かれ、絶命し、残酷なオブジェと化した。
ナツキはさらに数本の棒状の物を作り出すと、それを投げる。
それは矢のようにシンプルでありながら、槍のように長く、切っ先は鋭利に尖っていた。
音を立てて、飛ぶその槍は悪魔の眉間を貫き、盾を貫通して胴体に何本も刺さる。
悪魔といえど、生き物である。内臓をやられてしまえば簡単に死ぬ。人型の悪魔であれば、臓器の位置は人と同じである。
それを知っているのか知らないのか、それでもナツキは的確に槍を放った。
そして――最後の一体。
ダンッと音を立てて地面を踏むと、鋼色の大蛇が生まれ、放たれた。
鋼の大蛇は最後の一体に喰らいつく。グチャリと音を立てて、悪魔の上半身が消えた。
アイザックは放心していた。近くにいた御者も同じだ。
唯一、そうでなかったのは、倒れかけたナツキを支える為に駆け寄ったティリウスだけだった。
その姿を見て、アイザックもハッと現実に戻る。馬車の中に走り、巫女たちに声を掛けた。
「負傷者が出てしまいました。お力をお貸しください!」
全ての巫女が返事をした。
アイザックは御者に命じて、ナツキの元へと向かう。
その途中、アイザックは思い出していた。それは、ナツキが最後に放った鋼色の蛇だ。
「――鋼なる蛇」
かつてメアリ・ウィンチェスターが使っていた力の一つであった。
「アイザック様、どうかなさいましたか?」
御者に問われ、アイザックは首を横に振るう。
「何でもありません、一刻も早くナツキ様の下へお願いします」
アイザックがそう告げると、馬車はさらに速さを増してナツキたちの下へと走ったのだった。
少しずつ話は動き出しました。もう黒幕? とお思いでしょうが、まだまだ先は長いです。
少し展開を早めてみましたが、いかがだったでしょうか?
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