EPISODE21 「そう、お伽話ほど古いお話――」
ナツキがゆっくりと目を開けると、そこに空は見えず天井に覆われていた。
「……ここは、どこだ?」
喉が渇いた。とてもカラカラする。
「リリョウ! 目を覚ましたか!」
「ティリ、ウス? 水を、くれ……」
「水だな、待っていろ!」
ナツキの要望に、すぐに答えるティリウス。ナツキのベッドの横に備え付けているテーブルにある水差しからコップに適度に水を注ぐ。
「ほら、体を軽く起こして、ゆっくりと飲むんだ。……そうだ、ゆっくりと」
ティリウスに支えられて、水を飲んでいると、頭がクリアになってくる。
俺はどうなったんだ?
『勇者』を名乗る男に腕を斬り飛ばされてから、魔法の雨に向かって……
「……捕虜たちは、どうなった?」
「ッ……、お前は良くやった。『勇者』を相手にして腕を斬られながらも、あの広域魔法を一人で止めようとしたんだ。僕たちは展開についていけず、何も出来なかった」
「じゃあ……まさか」
「捕虜は全て殺されてしまった。もっとも、ノルン王国第三騎士団の団長であるマックス・キーナムだけは捕虜としてこの街にいたから助かっている」
たった一人だけ……
気休めにならない、そう思ったがティリウスは告げた。
「あまり言いたくはないが、あの兵士たちがノルン王国へ戻ったとしても極刑にされない可能性は少なくなかった。なにせ“勇者候補”が死んでしまっているからだ。ノルン王国の女王の噂が本当なら必ずやるだろう」
「……だけど、国で死ねる。家族に会えるかもしれなかった」
「残念だが、それはない。現に、ノルン王国の王女は『勇者』を使って全てを殺すようにと指示を出していたんだぞ。仮に国へ戻っても結果は変わらない」
もうしばらく横になってろ、とナツキをベッドに再び寝かす。
そして、ティリウスは、アイザックを呼んでくるとナツキに告げて部屋から出て行ってしまった。
「ああ、分かってたさ――俺は、無力だ」
*
どのくらい時間が経ったかわからない。だが、ナツキはもう一眠りしてしまったようだ。目を覚ました時にはアイザックとティリウスがいて、その後数分もしないうちに、クレイ、ウェンディ、トレノが部屋にやってきた。
サイザリスとヴィヴァーチェの姿が見えないが、そのことについてはすぐに教えてもらえた。
今回の一件を早く報告するとのことで、サイザリスは直接魔王城へ向かったのだと。そして、サイザリスを運んだのがヴィヴァーチェだ。
「お加減はいかがですか?」
「最低だよ」
ナツキは苛立ちを隠そうとはせずに答えた。
無理もないと、アイザックは思う。あの場にいたすべての者が何も出来なかった。
唯一行動ができたのはナツキだけだ。勇者に立ち向かい、数多の魔術と真っ向から対峙したのだ。
結果はどうあれ、これは賞賛されるべき行動だった。だが、そんなことをしたらナツキが気分を害してしまうことは考えなくても分かる。
和平派のアイザックたちとは違い、強硬派などは今回の一件をプラスに考えている者もいるしまつだ。
「とりあえず、ゆっくりと休んだほうがよいだろう。もう、三日も寝ていたのだよ、リリョウ」
トレノが若干やつれた顔をして優しく声を掛けた。
「正直、君は危なかった。斬られた腕はすぐに治ったが、大量の攻撃魔術を浴びて……生きているのが不思議なくらいだった。リリョウ、君に何かがあれば、私は姉上に合わせる顔がない! 二度と無茶はしないでくれ!」
「トレノ殿……」
アイザックはトレノの肩にそっと手を置いた。
無理もない、アイザックですら同じ気持ちだ。いや、トレノよりもその気持ちは強い、だがナツキを思うがためにあえて口にしていないだけだ。
「リリョウが保護していた巫女たちもとても心配していたよ。特に、ユーリというこは気を失ってしまうほどだ」
クレイが嗜める口調で続ける。
「君は一人でこちらの世界へとやってきた。だが、ウィンチェスターという家族がいる、君が保護した巫女たちも現状では君を一番信頼しているよ。そして、君が助けたがっている親友もまだこちらの世界にいる。だからこそ、もっと自分を大事にするんだ」
「……だったら、見捨てればよかったのか?」
「違う。君のしたことは正しく、勇気ある行動だよ。だけどね、リリョウ。君を心配する者が、君に何かあれば悲しむ者がいるということを覚えていてほしいんだ」
「……」
「僕が言いたいのはそれだけだよ。巫女たちに君が目覚めたことを伝えてくるよ、きっと喜ぶからね」
体を大事に、そう言い残してクレイは部屋を出て行った。
ナツキは拳を握り締める。
クレイの言うことは分かる、分かる……けれど。
――俺は、俺は本当にこの人たちに頼っていいのだろうか?――
どこかでそんなことを思ってしまう。
勇者との戦いの時もそうだった。
ティリウスとアイザックを遠ざけた。危険だ、ということが分かっていたからという理由もある。
危険にさらしたくないとも思った。だが、本当はどう思った?
わからない、わからない、わからない。
「外の……」
「どうしました?」
「外の空気を吸いに行っていいか?」
「……ええ、構いませんよ。ですが、あまり遠くには行かないでください」
わかった、と返事をしたナツキはフラフラと部屋から出て行ってしまった。
その後を誰も追おうとはいなかった。
「意外だな、アイザック。てっきり後を追うかと思ったぞ?」
「私も意外でした。ティリウス様がご一緒してくださるかと思っていたのですが?」
「アイツには時間が必要だと思っただけだ」
「同意見です。今回の一件はナツキ様一人で抱えるには大き過ぎます。ですが……」
アイザックは少し躊躇ってから口を開いた。
「ナツキ様は私たちを仲間だと思ってくださっているでしょう。信用も信頼もしてくださっていると思っています。ですが、深い、心の奥底ではまだしていただけていません。結果として、私たちは勇者との戦いで遠ざけられました」
もちろん、私たちの身を案じてという意味もあったでしょう。
アイザックは言い聞かせるように付け足したが、その言葉はどこか弱弱しかった。
「無理もないだろう。僕たちは出会ってから何日しか立っていない。ここまでの関係が数日の内にできたということ自体が驚きだ」
ナツキが昏睡していた時間を含めても、一ヶ月と少ししか彼はこの世界で生活していない。
そんな中出会ったアイザックやティリウスたちとここまで一緒にやってこれただけで十分に驚ける話だ。
もっとも、色々あったので短い時間でも関係が築くことができたのだろう。
「しかし、まさか『勇者』がでてくるとは思わなかったわね」
沈黙を破るように、ずっと黙っていたウェンディが口を開いた。
そんな彼女にムッとした顔をしてティリウスが声を荒げる。
「ウェンディ・ウィンチェスター。貴様はどうしてこの部屋にいるんだ。貴様はリリョウを認めないだなどとあれだけ暴言を吐いたくせに、自分の都合が悪くなったとたん手のひらを返すように態度を変えるのか?」
ナツキが眠っている間、ティリウスはもちろん、アイザックもクレイからウェンディの事情は聞いていた。
アイザックは苦笑しただけだったが、ティリウスは違った。烈火のごとく怒った。
ナツキが寝ていなければ、彼はウェンディと一悶着起こしたのではないかと思うほどだった。
「待ちなさいよ、そんな話はしていないでしょう! 勇者の話を私はしているのよ」
「勇者ですか……」
アイザックはポツリと呟く。
ティリウスはフンと鼻を鳴らして、ウェンディを睨むのをやめる。
「アイザックや父上は、あの勇者、ウィリアム・レクターを知っているようだったな?」
「ええ、彼がまだ『勇者』ではない時に何度か戦いましたから。『勇者』となったのは知っていましたが、まさかあそこまでの力を持っていたとは思いませんでした。そして、ノルン王国の命令に従うような男でも決してなかったはずなのですが……」
何が彼にあったのでしょうか?
アイザックはポツリと呟いた。
*
「やあ、“勇者候補”君、三日も寝ていたみたいだね。僕としてはあの魔術の雨の中に突っ込んで死んでいなかったことが奇跡だと思うけどね」
「案外、暇なんだな勇者ってのは……三日も待ってたのか?」
“魔王候補”リリョウ・ナツキ・ウィンチェスターと『勇者』ウィリアム・レクターはお互いが戦った場所で向かい合っていた。
「来ると思っていたよ。君みたいな性格なら、きっと守れなかった人たちのために、自分の弱さを確認するために、この場所へ戻って弱さをかみ締めるはずだからね」
ウィリアムは剣を一本もっただけの軽装だ。部下もなにもいない。たった一人だった。
ただ、三日間過ごしたのだろう。簡易なテントと焚き火のあとが残されている。
「……三日間なにやってたんだよ?」
「供養さ……いや、謝罪かな? 命令とはいえ、僕と、僕たちの国の魔術師が彼等を殺してしまったんだからね」
自嘲するようにウィリアムが言う。
「わからねえ……そんなことを思うなら、どうしてアンタはそんな命令を受けたんだよ?」
「わからないのかい? 簡単だよ、国のためさ。僕は祖国を愛している、家族がいる、兄弟がいる、守りたい人たちがいる。そのためになら、どんなことだってやるよ」
「ノルン王国ってのは、アンタがそこまでしなけりゃいけないほど、強い国なのかよ?」
ナツキの言葉に彼は首を横に振るう。
「違うよ」
「じゃあ、なんだよ一体!」
「強い、とか強くないとかいう問題じゃないんだよ。あの国は、“恐ろしい”」
「恐ろしい、だと?」
「ああ、狂ってしまった狂気の国だよ」
そう言って、焚き火の跡からポットを掴むとカップ二つに珈琲を注いだ。
「座って話そう。君も立ったままじゃ辛いだろう。見たところ……体力と魔力が全快じゃないみたいだからね」
そんなことも解るのかとナツキは舌打ちするが、それでもウィリアムの誘いを受ける。
カップを受け取ると、躊躇いなく一口飲む。
「躊躇いがないね」
ウィリアムは、半分苦笑、半分驚きの表情をして腰を下ろす。ナツキも同じように腰を下ろした。
「別に、アンタが殺す気なら俺は多分死んじまうだろうな。諦めたわけじゃないし、抵抗はするけど、アンタがそこまで馬鹿だとは思わない。それだけだ」
「なるほど……君は少しだけ、僕の若い頃に似ている気がするよ」
「嬉しくないね」
「そういうところが特にね」
『勇者』は笑う。
“魔王候補”は舌打ちをした。
「ていうか、今更な質問で悪いんだけどさ」
「うん?」
「アンタ、勇者だろ?」
「そうだよ、本当に今更だね」
「だけど、アンタはノルン王国の人間じゃない。強制召喚されたんじゃないのか?」
リリョウのその問いに、ああ、とウィリアムは何かに納得したように頷いた。
「なるほど、君はまだ『勇者』という意味がわかっていないんだね」
「意味?」
「君は『魔王』の意味は知っているだろう?」
「それは魔族の守護者みたいなもんだろ?」
大雑把だけど正解だね、と勇者は頷く。
「『勇者』は人間の守護者だよ」
「……まさか」
少しだけ理解ができた。同時に嫌な考えが、ノイズのように頭を駆け巡る。
「君が今、なにを考えたのかはわからないけれど、一つ答えをあげよう。『勇者』は聖剣や魔剣など伝説上の武器に選ばれたり、神や精霊、聖獣、巫女に強大すぎる力を与えられたり、多くの敵を倒すことで守護者たる資格を得たりした者だ。時には、多くの者を救ったことで『勇者』となった者もいる。いいかい――人間の世界で“勇者候補”なんて言葉を使うのはノルン王国だけだよ」
もっとも、今では人間の色々な国で使われているが、ノルン王国にしかないシステムであるとウィリアムは捕捉する。
「では“勇者候補”とは何か? それはかつて……そう、お伽話ほど古いお話――」
『勇者』は語る。
――かつて強大な力を持つ悪魔にその国は侵略されていました。兵は死に、巫女も死に、民も死に、国の希望であった『勇者』でさえ悪魔に殺されてしまいました。
――心を痛めた女王様は、天に祈りの言葉を叫びます。
――それは祈りであって祈りではない言葉。神を罵倒し、呪い、死んでいった民の苦しみを貴様も味わうがよいと、祈りました。
――その時、奇跡が起こりました。
――神が答えたのです。
――神は一つの魔法陣を女王様へ授けます。
――その魔法陣は悪魔を屠る力をそなえ持つ『勇者』を呼び出す魔法陣でした。
――そして女王様は魔法陣を使い、異なる世界から一人の『勇者』を召喚しました。
――召喚された『勇者』は突然のできごとに右も左もわからない、異国の服装の若者でした。ですが、その若者は女王様から国の現状を聞き、心を痛め、震える心と体を必死に堪えて『勇者』として戦う決意をしました。
――そして、見事『勇者』となった若者は国を救ったのです。
――国を救った『勇者』は最初の約束通り、元の世界に戻るはずでしたが、彼がそれを拒みました。
――なぜなら『勇者』は女王様に恋をしてしまったからです。そして、恋をしていたのは女王様も同じでした。
――こうして二人は結婚し、女王様と『勇者』は一生懸命国を建て直し、平和に暮らしました。
「これが、ノルン王国の始まりのお伽話さ。だけど、この話には続きがあったんだよ。神は女王に魔法陣の返却を求めた、だが、女王は返却しなかった。使いはしない、だけどもしもまたこのようなことが未来に起きた時、神が今回のように答えてくれるとは解らない。だからこそ、国のために返すことはできないと」
「……その女王の言いたいことはわかるよ」
保険が欲しかったのだろう。
国のために、民のために。
「神も女王の訴えに返す言葉がなかったそうだ。結果的に行動を起こしたが、遅すぎたのは神だ。だからこそ、神は女王から強制的に魔法陣を奪えたのにも関わらずそれをしなかった。自身の非もあったことや、当時の女王が素晴らしい方だったからだ。だが、その後の女王が人格者であるとは限らない」
「話が読めてきたぞ」
「まぁ、最後まで聞きなさいよ。代を増す度に、少しずつ、神にばれないように魔法陣を中心に結界を張り、神殿を立て、いつしか神から強制的に奪えないようにしてしまったのだ」
もしかしたら、神に奪われてしまうかもしれないという疑心から。恐怖から。
少しずつ、少しずつ、神にばれないように、こっそりと。
「これで国も安泰だと。当時の女王たちは純粋に国のために、行動を起こしたわけだが……問題もあった」
「問題?」
「そう、問題だよ」
同時に、一番の問題だったんだ。そう、ウィリアムは告げる。
「言ったよね、最初の『勇者』は右も左もわからなかったって」
「ああ……ッ、つまり強制召喚の機能を残したままの状態ってわけか、それで現在に至ると!」
「そういうことさ、当時には時間がなかったらしい。だから、女王も心を痛めたらしいが強制的に『勇者』を呼び出した。だが、現在は違う!」
ダン、とウィリアムは乾いた土を叩いた。
「何世代前から始まったかは知らないけれど、魔法陣を使って『勇者』を何人も呼びだし、その中でもっとも優れた者を『勇者』と認めるようになった!」
「まさか“勇者候補”はもう『勇者』としての力を持っているのか? ノルン王国ではさらに“勇者候補”を呼び出すことで、最も強い『勇者』を決めているのかよ!」
「そういうことだね」
ふざけている、とナツキは呟いた。
同意見なのだろう、ウィリアムも頷く。
「そこまで強い『勇者』を選んでなにがしたいんだ!」
「……簡単に言ってしまうと、支配だよ」
「ば、馬鹿な……そんなくだらないことを、本当に……」
「思っているんだよ、ノルン王国は! いつからから、アレが欲しい、コレが欲しい、民のために、国のために、とまるで呪の言葉だ! 協力しない国は『勇者』の圧倒的過ぎる力で制圧されてしまう!」
「だから、アンタも協力するんだな……」
「ああ、そうさ! 幸い、僕は『勇者』だ。なにをもってして『勇者』となったかは敵対している君には話せないけれど、僕さえ言うことを聞けば祖国は平和とはいかなくてもノルン王国という脅威に怯えなくてすむ」
もうすぐ四十だというウィリアムは外見ではずっと若く見える。しかし、ナツキにはどこか老人のようだと感じてしまった。
まるで、何かに諦めた老人ようだった。
勇者、ノルン王国昔話でした。次話に少し続きますが、その後はナツキの復帰、その後を予定しています。
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